君、何か悩みはないの?
悩みや考え事がある時、紙に書き出す。すると問題点が次第に分かり、解決までの大まかなプロセスを考えられる。あとは行動するだけで良い。
日時的に生活の問題を解決していると、人に「何か悩みはないの?」と聞かれた時困る。
急にそんなこと言われても思いつきませんというものでなく、解決できる問題はすでに解決しているのだ。
人に話して解決する、もしくは楽になる悩みなど、本当にないのである。 話して楽になる問題は根本的解決に結びつくことなく流されていく。
時間による解決を否定するのではなく、時間で解決する事がわかっているならば、何を話す事があるのかわからない。
強いて悩みを言えば、当たり障りのない会話が苦しいと言う事になる。
じゃあ大きな悩みはどうやって解決するのか?
本当に困っている。先人たちの知恵を借り、必死にこの先の人生について考える。
常に浮遊したような気持ちで毎日が終わる。決められたことをこなして、豊かな生活を実現するために、自分の時間を守る。
私の生きる目的は、豊かな生活を得ることだったのか?いつから心が穏やかであることを願ったのか?
ちゃんと目的地を決めて走っていたはずが、迂回でも立ち止まるでもなく、逆走しているかのような気持ちになる。
逆走もやはり違う。心の底から求めていた在りたい姿が遠ざかっていくようなそんな気持ち。
焦りがどんどん大きくなる。刻一刻とチャンスが奪われていくようなそんな気持ち。
常に努力し続け、いつくるかわからないチャンスを手にしなければならない。そのチャンスが訪れる場所から遠ざかっている。
回り道で迷子になっている。
こんな悩みを打ち明けたところで明確な回答が出るわけでもなく、人それぞれに何かに置き換えて話をするのだ。
共感で解決できない悩みを共感で解決しようとする姿にどう返事をすれば良いのか、これもまた一つの悩みである。
ならばいっそのこと相手の心の底にある悩みを聞いて自己に落とし込む方が自分の苦しい悩みを忘れさせてくれるかもしれない。
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