先生と、私と、人間と、食事
「先生はね、半分人間を辞めてるんですよ」
その言葉が、四、五年経った今でも、脳裏に焼き付いている。
その言葉をホワイトボードの前で愚痴るように言ったのは、私が計六年半通う――半ばその校舎の主になっていそうな――地域のごくごく当たり前に近い、指導方針の緩い塾の国語と英語の先生だった。
なんでも、その先生は『クローン病』という、国が難病指定をしている病気に罹っている。食物を摂ると、消化器官が炎症、閉塞を起こし、その閉塞部分を切除して、残りのパーツ同士を縫合するという、なんとも聞くだけで大掛かりな手術を要するらしい。治療法は未だに確立されていない。
もっとも、病気であるにもかかわらず、食べては痛みで転げ回って、入院して手術していたのは若い頃の話で、「もう(小腸を)切るところも無いけんね」と、笑って仰っていた。今では、どうしても食べたくなった時は『噛み捨て』――食物を口に含んで味わったあと、飲み込まず吐き出すこと――をして満足感を得ているらしい。
平常時は、夜寝る前に栄養チューブを鼻から胃の方へ入れて、そのまま就寝されるそうだ。
もう一度繰り返そう。
「先生はね、半分人間を辞めてるんですよ」
この言葉は、「食べることは生きること」という考えに基づくものだ。
食べること、空腹を覚えることこそ、人間である。
そんなことを、先生は言いたかったのだろうか。
当時塾で、夏期講習で連日カンヅメになって勉強に励んでいた私たちに言ったこの言葉。
『腹減った〜……死ぬ〜』
こんなことを言う生徒も少なくなかった。まあ、元々少人数の塾ではあったが、その中に占める比率が、という話だ。
先生には、どう映ったのだろうか。どう聞こえたのだろうか。先生は、どう、思われたのだろうか。
食べたくても食べられない、先生に。
手足は棒のようで、半袖から覗いた腕の血管は浮いている。皮膚も、若干余っているように見受けられる。
ウエストは、女生徒の私の手ですら、輪を作って一周したら、双方の親指と小指がくっ付くのではと思うほど細い。
木綿生地なのにシワひとつない半袖カッターシャツの上に締められた黒いベルトが、余計に線の細さを強調していた。
シャツの色は、淡いコバルトブルーだった。
染めてから少し経ったのであろう、頭頂部が白んだ髪の毛には艶は無い。それでも、毎日綺麗に整えられていた。ただその時は、後頭部の一部が踊るように浮き上がっていた。
校舎の外では、クマゼミだろうか、アブラゼミのジージーという、名前の通り脂ぎったような鳴き声とは違う、少し透明感のある鳴き声の蝉が、これでもかと騒がしくワシワシと鳴き喚いていた。
黄ばみとシャーペンの落書きが所々に点在する壁。埃と、うっすらカビの匂いのする煩いエアコン。消した跡が逆に白く残っているホワイトボード。天井との隙間にホチキスで貼り付けられた、『勇往邁進』の印字。
或る夏の日の出来事だった。
季節は移り変わり、私は高校生になった。
元々人付き合いが苦手で、他所と少しずつ少しずつズレていた私は、とうとう精神を病んだ。
後に分かることだが、私は軽度の発達障害を抱えていた。主治医の言葉で、私が長いこと悩んでいた問に答えが出たように感じた。
例えば、状況に合わせて臨機応変に対応すること。
或いは、習った一の方程式を十の問題に活用すること。
或いは、他人の仕草を真似して覚え、自分のものにすること。
或いは、適度に手を抜くこと。
私には、できないことばかりだった。要領のいい周囲の人間が、心底羨ましかった。
精神の破壊は、これに留まらない。
虐めに遭った。
学校に行けなくなった。
虐めの内容がどのようなものであったかは、ここでは語らないでおく。
とにかく、私は『普通の人間、普通の生活』とはかけ離れたところで蹲っていた。
それしか出来なかったのだ。その時は。
自分が大嫌いになった。
内面的にも、外面的にも。
元から周りより太っていた私は、この頃に『食べ吐き』と出会った。
試しに吐くと、みるみる体重は落ちていった。
そうして、一年半で十二キロの減量に至った。
私は、摂食障害に陥っていた。
単位制高校に編入して一年、減量生活が狂う。
過食症になった。
夜中の二時にモゾモゾと起き出しては、キッチンの冷蔵庫、冷凍庫、戸棚を漁り、食べ物を胃に詰め込んで再び寝る。
そんな生活で、十キロのリバウンド。実に二ヶ月程の出来事であった。
体重の増加に対する恐怖。それでも止まらない過食と食欲。
わけがわからない。自分が自分で無くなったような感覚。夢であって欲しい。何度も何度もそう思った。
最終的に、半年が過ぎて、合計十五キロの体重増加。
私は食べ吐きに走った。
以前のようにスルスルと落ちるはず。そう信じて疑わなかった。
しかし。
吐けども吐けども減らない体重。
胃酸で焼けて痛む喉。
右手の甲にできて、いつも存在を主張する吐きダコと呼ばれる赤い腫れ。
浮腫んだ顔と手足。
胃酸で溶けたのか、擦り合わせるとキシキシと音の鳴る歯。
怖くなった。
『摂食障害』の文字を、いよいよ自覚し始めた瞬間だった。
一年遅れで、私にも受験の年が巡って来た。
それに伴い、一時通うのを中断していた塾に、春期講習から通い始めた。中断していたのは、中学時代に嫌がらせをしてきた同級生や、前籍校で同じクラスだった同級生が入塾したからだ。精神状態の悪化というのも理由の一つではあるが。
兎にも角にも、また、先生に会えることになった。
その塾には先生が二人いらっしゃって、若い方の数学の先生に先にお会いして、入塾の手続きをした。その時に
「I先生は、まだいらっしゃいますか」
と尋ねたところ
「いらっしゃるよ」
と返事を頂いた。
晴れやかな気持ちで、書類に記入した。
迎えた個別指導の初日。
「ああ、Hさんこんにちは。さぁさぁ、どうぞ」
相変わらずの紳士的な振る舞いで、個別用の部屋に案内された。
「体調の方は変わりはありませんか?」
どきりとした。
先生には鬱状態になった頃にも会っているし、症状も話していたからこその言葉だったのだろう。
話してしまおうか。
「……鬱は、この前入院沙汰までいきました。潰瘍性大腸炎にもなりました」
これには先生も驚かれていた。なぜなら、クローン病と潰瘍性大腸炎は似たような病気で、処方薬も同じものが多いからだ。
「先生とお仲間になりよるねぇ」
控えめに、先生は笑っていた。
これも言ってしまおうと。楽になるかもしれないと。
「……あとは、摂食障害、ですね」
「摂食障害……そうですか……。君も大変やね」
先生は、少し間を置いて、労いの言葉をかけてくださった。
ふと思ったのだ。
先生に最後の話をして良かったのか、と。
食べたくても食べられない先生と、食べられるのに進んで吐き出す私
なんという皮肉な話だろうか。
先生の、また痩せたのだろうか、少し皮が余り皺の増えた手の甲が目に入る。
罪悪感が凄まじいものだった。
今思い起こせば、あの、短いがどんな間よりも永く感じた沈黙の時間に、何かしらの先生の意思が、考えが、思いが、あったように思えて仕方がないのだ。
「さ、今回は時制の単元を振り返ってみましょう」
そう言うと先生は、掛けていた、ジョン・レノンのような、黒いフレームの丸眼鏡を机の上に置いて、柔和な笑みを私に向けた。
先生
先生が半分人間を辞めているのだとしたら
私も、同じく半分人間を辞めているのでしょうか。
Fin.