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日記(11/22) 〜体のだるさとTOEICとホモデウス〜
最近かなり体がだるくてしんどい。
定時で仕事が終わるとすぐに家に戻りベッドにもぐり込む。そのまま1-2時間寝てしまうことも多い。
病気で3ヶ月休職していて、今月に復帰したばかりなのでしんどいのはまぁ仕方ないところかもしれない。
それに寒さも加わり、若干風邪気味だ。(僕は寒さにめちゃくちゃ弱い)
今日は仕事を休ませてもらい、夕方まで寝ていた。
明日からの3連休ではいいかげんに体調を整えないといけないなと思う。
「社会人は体調管理も仕事のうち」とよく聞いて育ってきたが、器用に体調管理なんてできそうにない。(社会も変わりつつあり、最近はあまり聞かなくなった)
というか、そんなことがちゃんとできる人間ってめちゃくちゃ優秀で全体の一握りではないかと思う。
ついつい夜更して趣味に没頭したり、楽しみにしていたイベントに雨の中でかけて風邪を引いたり、元々マイペースで時間を守れなかったり。
大人だろうと人間ってそんなものじゃないかな。
社会人としては欠点でも、愛嬌のある人はそのだらしなさまで魅力に変えてしまうからすごい。
そう、ちょっと駄目な人、抜けてる人って魅力的だったりするのだ。
社会人としてまともで優秀であることはもはや諦めつつあるけど、多少の愛嬌は持っていたいなと思う。
愛嬌・・・今はそんなもの持ってる気がしない。
この前の日曜日にTOEICの試験を受けた。
ギリギリまで寝ていたのでかなり慌ただしく出かけ、何とか受付時間に間に合った。
TOEICの試験というのはとにかく問題の量が多く疲れる。
2時間のあいだ集中力を研ぎ澄ますので、終了の合図があった途端に意識が急に緩んでいくのがわかる。
クラウドソーシングで翻訳の仕事でもやったりすることがこれからあると思うので、仕事を得るアピールとしてTOEICのスコアは高い方がいい。
今回は、まぁ、2年前に受けたときよりは多少点数が上がっていると思う。
ただ、試験を受けただけで達成感があり点数はもうどうでもいいやという気もする。
手段が目的となってしまった残念な例のお手本かもしれない。
この3連休はなるべく読書をして過ごしたいと思う。
今年の5月にノヴァル・ユア・ハラリの『Homo Deus』を原書で書い読み始めたけど、2割しか読まず積んでいた。
世界的に話題になったこの本も気づいたら日本でも翻訳版が出て、海外ではハラリの新著も出版されている。
こりゃさすがにいかんと思い、積んでいた『Homo Deus』に再び手を付けることにした。
内容としては抜群に面白いのだけど、やはり英語の本を読むのはそれなりの周知がなければできず、疲れるところがある。
英文科出てんだろ、しっかりしろと自分を叱る。
あ、Netflixでも観たい映画が溜まってたんだった。
リラックスしてゲームでもしたいなぁという気もする。
今の世の中には手軽に楽しめる質の高い娯楽が多すぎる。
これだけ快楽の選択肢が増えると、もはや仕事に生きがいを見出すのも無数にある生き方のオプションのうちの一つでしかないと思う。
しかし、本当に何をするにも選択肢が多くある意味で大変な時代だ。
その中から自分に最適な答えを見つけ出そうとするのはほぼ不可能だ。
それでもなるべくベターな選択をするためには、自分がこうあれば幸せという基準を持ち、それに基づいて一個一個の選択をしていくほかないと思う。
一生懸命働くことがやりたいなら当面はそれが答えだし、働きたくないならそれが答えだ。
Netflixで『ストレンジャー・シングス』より『マニアック』が面白いと思えばそれがあなたの答えだ。
僕は特に出かけず家でくつろいで(ダラダラして)そこそこに本を読みこの3連休を過ごそうと思う。
それが僕の目下のところの答えである。