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死にたくなって台所で2時間泣いて、ピアスを開けた話

タイトルの通り、死にたくなって台所で2時間泣いてピアスを開けました。


近頃、どういうマインドセットなのか晩御飯の最初の一口を食べて咀嚼している時に「あっ、死ななきゃ」と考えてしまう日が続いていました。

ご飯は美味しいんですよ。味もちゃんとするし、「おいしいなぁ」とも感じますし、作った分は完食できる。
でも頭の中では「痛くない方法で死ななきゃなぁ。はやく死ななきゃなぁ」なんてことを考えながら食べてるんです。
特に理由もなく、突然そんな『異常』が私に起こりました。


昔見たツイートの『普通の人間は死にたいなんてすぐに思わない』みたいなのを思い出しながら、口を動かして、ご飯を飲み込んで、食べてるんです。

『普通は日常の些細な失敗で死にたいなんて思わないなんて本当か? お前の中の普通なだけであって、世間一般ではみんなごくごく普通に死にたい、なんて考えるものじゃないのか?』なんてことを考えながら、おかずを口にして、食べていくんです。

食べて

考えて

食べて

考えて

死ぬ

助けて




そんな『晩御飯一口目希死念慮』が半月くらい続いて、自分でも「ヤバい! このままだと本当に首括って死ぬ!」と思い始めてきました。(まだたくさん読みたい小説も漫画も映画もあるのに)

そこから私は「晩御飯の一口目で死にたくなるなら、毎日外食して美味しいもの食べて、一口目の頭の中を『うんめェ〜〜〜〜!!!!(ルフィ)』だけにして『死ななきゃ』を考えさせないようにすればいいのではないか?」という仮説を出し、晩御飯を普段の生活の水準以上のものを食べに行く生活にしました。


「うんめェ〜〜〜〜!!!!(ルフィ)」

「うんめェ〜〜〜〜!!!!(ルフィ)」

「うんめェ〜〜〜〜!!!!(ルフィ)」

「うんめェ〜〜〜〜!!!!(死ななきゃ)」

「うんめェ〜けど死ななきゃ(死ななきゃ)」

「死ななきゃ(死ななきゃ)」


私の考える仮説は結局見事に打ち砕かれ、外食でどれほど美味しいものを食べても一口目には『死ななきゃ』が来るようになったところで、2日間ほど怖くてなにも口にできなくなり、嘘でも冗談でもなく麦茶だけ口にして生きていました。

その間にあった予定はすべてキャンセル。だってベッドから立てなかったから。

立てたら褒められる幼児以下が私。そう思うとベッドの上で1人泣いてた。
本当に幼児以下だった。

お茶以外なにも口にできなくなって3日目の朝、目が覚めてからようやくトイレのために立つことができた。

人間、一度立ち上がってしまうと『あれもしなきゃ』『これもしなきゃ』となってしまう。コンコルド効果っていうんでしたっけ。こういうの。

これまで感じたことがないくらいの空腹感でキッチンに行き、カップヌードルを二つ食べた。口の中を火傷した。ずたずた。舌と口の上の皮が剥がれた。

その火傷の痛みでなんとかなく自分が本当に生きていることに実感が持てた。間違いなく生きていた。

カップヌードルを食べながらなんだか泣けてきて、食べ終わってからも泣いていて、ゴミを片付けて氷を入れた麦茶のコップを両手で持ちながらまだ泣いていた。

「生きててよかった」とも思った。

でも「死んでもよかった」とも思った。

カップヌードルのゴミを捨てようとしたところで耐えきれなくなってキッチンの床で座って2時間泣いた。ぶっ続けでは泣いてないけど、泣き止むのは次に泣き始めるための休憩だった。嗚咽ってこんな感じなんだな、なんて考えながらも、息も上手く吸えないくらい泣いた。

「生きててよかった」と「死んでもよかった」が共存する私は歪で、どちらに振ってもおかしく無いことを知る27歳。遅かったかもしれない。


めちゃくちゃ泣き終わってから、Amazonでピアッサーを頼んだ。
次の日の午前に届くらしい。2時間泣いた人間にもAmazonは優しい。

今日のことを忘れてはいけないと思った。
今日のことを事細かにスマホへメモするより、私の肉に消えない傷をつけたほうが今日のことを忘れないと思ったから。
かっこいいこと書いてるけど、今考えたらリスカとかと同じかもしれないが、自分の中で『死ぬため』ではなく『覚えているため』だから違うんだぞ。たぶん。

次の日、インターホンで起き、ピアッサーを受け取った。

使用後

穴を開けた後にも『死にたい〜〜〜〜〜うお〜〜〜〜!』と思うことは多々あるけど、その度にピアスを指でぐにぐに触って『あっ、私生きてる』と実感している。
自分が生きていることを実感する機能を追加できた。


世の中のピアス開けてる人の中で、オシャレでもなんでもなく『自分が生きてると実感するために開けた』人間がいる。そんな話。



今はそこそこ元気です。

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