全てが嫌になって二輪免許を取りに行き、この世の光を見た話
躁鬱というものはかなり厄介で、本当に何も出来ない時と本当になにもかもが出来る時がはっきり分かれている。
2023年の11月に私はぼぼ毎日朝昼晩泣いていた。
無能感、劣等感、コンプレックス、それらの劣弱意識に押し潰されて毎日3回泣いていた。
基本的に夏の終わりから年末くらいまでが鬱の期間なので「あ〜今年も来たのねハイハイ」とは思っていたが、それでもなかなか毎年鬱くんは厳しい。
そんな11月の某日、本当にちょっとだけ通常の思考が戻った時があった。
「なんでこんな泣いてるんだろう」、「ご飯食べなきゃ」、「風呂も」「洗濯」「ゴミ出し」…………
人間、生きていくにはいろいろなことをしなきゃいけないらしい。正常な精神なうちにやることをやっているうち、「なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」という腹立たしさすら考えられる思考に戻ってきた。
腹立たしさの発散方法は人それぞれだけれど、その時に私が取った方法は「なにか新しいことをして気を紛らわす」であった。
そこで出たのが二輪免許の所得である。
中学生の頃、図書館に置いてあった『キノの旅』で自我を得て、同時に2次元の平面世界に囚われた私にとって二輪免許の所得は人生のマイルストーンとして14歳のころからすでに置かれていたのである。
その場で家から通える距離にある教習所に電話をして入学予定をとった。
どうやら年末というのは入学する人が多いらしく、私の入学式は押しに押して12月の初めになった。
いま考えると、この時の即時行動、突発性、無謀性はもう既に鬱期が終わり軽度の躁期の状態だったのかなとも思う。
そうして私は約17万というそこそこの大金を払い、7年ぶりの自動車学校に入学した。
「クラッチ」との遭遇
現代っ子らしくAT限でしか車の免許を取っていなかったので、「クラッチ」なるものを初めて認識した。
見事に脳を破壊された。
バイク、あまりにもやることが多すぎる。
あまりの情報量に脳の大部分を支配され、死ぬまでハロウィンのことしか考えられない身体にされた。
結局クラッチには序盤戦でかなり苦しめられることになる。
長らく自転車を乗ってきた身として「同じ形で全く違う操作をするもの」というのは、脳で理解できても身体が追いつかない。
だって自転車のブレーキを「ギュッ!!!!」って握る時なんてあまりないじゃないですか。
優しい教官ばかりでよかったな、とかなり感謝している。
擬人化
自分の癖なのか一般的なオタク仕草の一種なのかはわからないが、この辺りから行為の擬人化が始まる。
要するに自己の責任の放棄、「○○ができないのは自分が悪いんじゃなくて〇〇(という架空の人物)が悪い」というあまりにもお粗末な思考であるが、これが自分の中で重要なファクターとなった。
一本橋は全教習中、一度も落ちることがなかった。教官曰く「自転車乗りは全員得意」らしい。
他の教習生が橋から落ちた時、顔から落ちているのを見てトラウマになった。
あのおじさん大丈夫だったのだろうか。
問題児。
全ての元凶。
日本から坂を無くす公約をどこかの党が掲げたら一票を投じてしまうかもしれない。
とにかく坂道発進ができない。
自己の能力不足全てを架空の人物にぶつけて自己正当化を図ろうとするおぞましさは置いておいて、全科目の中で唯一の不安が坂道発進だった。
ずっとエンストをしていた。ATのありがたさが身に染みてわかった。
人間、実際に自分の身に降りかからないとあらゆるものへの感謝を忘れる。
ありがとう、ATを開発してくれた人。
学科・シュミレーター
車の免許を取っていれば、二輪教習では学科が大幅に免除される。
全17回の二輪教習のうち、学科はわずか1回だけ。その1回で二輪の特性と道路交通法における二輪の扱いを習得するのだ。
学科は非常に勉強になったし、車を運転するときにも役立つことも多々あったので楽しかった。
シュミレーターに関しては以下のツイートを見て察してほしい。
卒業検定(準備)
私は道を覚えるのが苦手、所謂方向音痴である。
通っていた学校は卒業検定で走るルートがAとBあり、当日に「はい、あなたはAコース走ってねー」「はい、あなたはBコースよー」と分けられるシステムだった。
要するに「いつもと違う道順のルート」を「2種類」覚える必要があった。
方向音痴にそれがどれほど厳しい課題かをわかっていただけるだろうか。
ちなみに卒業試験寸前まで坂道発進はできていなかったし、なんなら発進すらままならなかった。
再度鬱期
3月からまた鬱期に入り、ほぼ2ヶ月教習に行かなかった。
正確には5月に1回、7月に卒業試験前最後の1回に行った。つまり4月と6月丸っと飛んだ。
どんな資格も鬱の前には無力。教習所から封筒が届き「このままだとアナタ退学になるよ」という手紙を読んでも家から出られなかった。
期間ギリギリにちょっと気が楽になって外に出られたのは本当に幸運だったのだと思う。
卒業検定(直前)
1ヶ月ぶりの教習所、1ヶ月ぶりのバイク。
そのまま卒業検定。
私は赤ちゃんだった。
当日までにルートを覚えることを断念した私は「当日めちゃくちゃ早く行ってどちらのルートでの検定か聞いて、残り時間死ぬ気でその1ルートを覚える」作戦に出た。
卒業検定
死ぬ気でルートを覚えた。
操作の不安は坂道発進だけ。
卒業検定の試験教官は「ひいき」などが出ないように全く関係のない教官、つまり普段は車の教官をしている人たちがやるらしい。
私の担当になった人は失礼だけど結構なお年のおじいちゃんだった。
「リラックスしてやればいいでね〜」
背中をぽん、と優しく叩かれて私はバイクの横に立った。
卒業検定(終了)
奇跡が起きた。
コースを走り終わって次の人にバイクを譲ると教官のおじいちゃんがのんびり歩きながら
「よかったよかった。減点もほぼ無いで合格。よう頑張ったね」
そう言うとまた背中をぽん、と叩いて次の人の走りを見るために元の場所に戻っていった。
承認欲求というものがある。
「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という願望。
別にこの教官のおじいちゃんが自分を「価値ある存在として認めた」訳ではない。この言葉に労いの気持ちはあるけれど、そこまでの大きな意味はないかもしれない。
けれど私の中のルサンチマンが、このおじいちゃんの言葉で軽くなったのを感じた。
この世は闇で暗くて、時たまほんの少しだけ明るく光る場所がある。
この時の私は、確実にその「ほんの少しだけ明るく光る場所」にいた気がする。
普通の人が普段いるその場所の暖かさと柔らかさに私は浮かれた。
正式な結果発表までこのツイートの後、狭い会議室に1時間半も待たされることを私は知らない。
卒業
車の免許を持っていると、教習所の実技試験(卒業検定)を合格するとその県の運転免許センターに行って免許を更新するだけでいい。
つまり運転免許センターでは一切試験と名の付くものをする必要はない。
正真正銘、私は二輪の免許を所得できる見込みになった。
私が「二輪の免許取りに行ってるんですよ〜」と人に話すと「何か乗りたいバイクでもあるの?」とよく聞かれる。
取りに行った理由が理由なので「バイクよくわからないんで乗りたいバイクも特にないんです」と正直に答えると皆笑う。
なんならバイクが好きな人からは「なんで乗るかもわからないものの免許取りに行ってるの?」とも言われた。
取りに行った理由は不純だったけれど、取った意味は確かにあったと思う。
「ほんの少しだけ明るく光る場所」に行けたという意味が。