自己流解釈
今日は百人一首のこの歌です
人も惜し 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに もの思ふ身は
作者は 後鳥羽院 です
一般的な解釈は次のようになっております
私が勝手に解釈すると最後の部分が少し異なるような気がします
悩んでしまうこの私にはではなくて
この私はでは一体どうすればいいんだろう?
位の解釈の方がしっくりくるような気がします
もの思ふ身は と「に」にではなくて「は」でおわっているのでそうなるのではないかなと思う次第です
そうなると単なる愚痴ではなくて、逆に決意の現れのような歌になってくるわけです
どうでしょう?