神産みの土壌
イエスさまと道真公は最後は誰も望んでいないような結果となってしまった
そして死後に神となられた
そうご自身でそうなったわけではなく残された方々によりそうなった
だからこういってはなんだがそれは贖罪に近いのではないのだろうか
残された方々のいたたまれない気持ちがそうさせた
だからそのような酷い結末がそれを後押ししたといえなくもない
それに比べて三島由紀夫さんはやはり己を美化しすぎたと思う
そこがやはり疑義がつくところとなるのではないだろうか?
やはり己を捨てでもというものがなければ残されたものもそこまでは到達できないのではないのだろうか?
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
義経公も同様に悲劇的であるがゆえに死後愛され続けている
だから悲劇的になれと言うわけではない
しかしながら現実は厳しくそのような方々ですらそうならざるを得なかった
そして残された方々がそこから神を産みだし
それを推し抱いてそれと共にそのどうしようもない現実と向き合い戦っていった
こういうことではないだろうか