分水嶺


物事には歪めてはならないものがある。

それは東京電力に責を負わせることである。

その訳は、東京電力の責を正しく追求すれば、原子力に一度事故があった時の損失を思い知るからである。

そうすれば、他の電力会社も含めて、経営陣、株主、債権者が原子力の是非を真摯に議論し、望むべき方向を決めるのである。

現状は、政治が歪めて、東京電力の責を他に分散しようとしている。

さらに、浜岡だけを止めてお茶を濁そうとしている。

これを歪めていると言わず何と言おうか!

今まさにこの国は分水嶺に差し掛かっている。


そして、隠れていた悪もこの時ばかりは姿を出さずにはいられなくなっているのである。


この時を凝視しよう!


彼等の望む方向へ行かせないように!


東京電力を救済し、道理を歪めようとしているものを許してはならない。


時は、まさに分水嶺なのである。 



2011年5月17日にmixiにアップしたものを、そのまま転載しております。


結局は皆さんご存知の通り、東京電力は破産させずに、公的資金が投入されてしまいました。

何を救い、何が犠牲になったのでしょうか。

その後のこの国の在り様をみれば、まさに分水嶺であったと思います。

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