会社をやめたら、やんじゃった!心の不調きろく ~はじまり編~
会社員をやめて7日目。
こころのバランスが、土砂流のようにくずれた。
はじめに。どうして会社をやめたのか。
どうもこんにちは、とりのささみこ、という名前で文章を書いたりしている者です。
2024年春、会社を退職。現在、副業としてやっていたライティング等のおしごとを細々としつつ、キャリアブレイク中。
会社で働いている間は、なんだかいつもモヤモヤしていた。
目の前の仕事は大切だけど、これが1日のなかでいちばん時間をかけてやりたいことかと考えると、どうもしっくりこない。
副業にも手を出してみたものの、日常のタスクが増えたことで頭はより混乱。わたしが本当にしたいことって、いったい何?
そんな日々のなか、去年、結婚した。
結婚生活は幸せ。
だけど、仕事で活躍する夫のとなりにいたら、さらに気持ちがぐらついた。
今のまま会社員を続けて、いいんだろうか?
子どもができたら?夫が仕事で転勤になったら?わたしはたぶん、簡単にキャリアを手放す。
それはつまり、いまの仕事が、自分の人生からいつでもなくなっていい程度のものということだ。
このままで、いいのか。
このままじゃ、いやだ。
昔から、文章をかくことがすきだった。本気で仕事にしたいと思っていた時期もある。その気持ちに、「自分にはむりだ」と蓋をしたのが20代のはじめ頃。
でも、どうやら蓋のつけ方が甘かったらしい。やっぱり、文章を書いていたい。そして、それを自分の仕事と呼びたい。
たくさん悩んで、ときどき泣いたりもして、ついに会社をやめることにした。
半年かけて準備をすすめ、3月、有休消化期間を残して最終出社。
そして4月になり、さぁ心機一転スタートだと思ったところで…空前絶後のメンタル不調に陥った。
心療内科で告げられた診断名は、「適応障害」だった。
不調のきろくをつける理由
仕事がしんどくて精神疾患に陥る、という人は少なくない。実際、身の回りでもそういう例を見たことがある。
けれど、仕事を辞めてからこころが不調になるというのは聞いたことがなかった。
会社にいた頃だって必ずしもメンタルが安定していたわけではない。むしろ、ストレスで荒れることもしばしば…だからこそ、退職という決断にも踏み切ったのだ。
いったい、わたしのこころに何が起きている?
現在、病院でのカウンセリングと投薬で症状を治療中だが、まだまだふとした瞬間に、心が弱まっているのを感じる。
症状がおさまっても、つらさの記憶は消えない。いずれまた同じことを繰り返すのではないか。そう思うと、また一段と不安になる。
自分で自分を、立て直せるようになりたい。
そのためには、己のコンディションをよく知ることが必要だと思った。
どんなときに具合がわるくなるのか、原因はなにか。そして、どうすれば快復できるのか。
まずは、はじまりの日のことを。その感覚を、おぼえているうちに書き残しておこうと思う。
※注意※
以下に続く文章では、わたしがメンタル不調に陥ったときの様子を細かく記録しています。
人によっては、読んでいて苦しく思うことがあるかもしれません。
そのときはどうぞ、そっとページを閉じてください。もしくは、暇つぶしをお探しでしたら、代わりに過去に書いた明るい文章を読んでみてください。
素敵なコミックエッセイを読んでフィンランドにかぶれた話や、品名のテンションがおかしい紅茶をたらふく飲んできた話がおすすめです。
はじまりの記録(本編)
土曜日の朝ごはんに用意したフレンチトーストの出来は、今までで最悪だった。
フライパンの中で焼いている間にみるみるくずれて、皿に盛ったらべチャッとつぶれた。
わたしは小麦アレルギーなので、使ったのはスーパーで買ったグルテンの入っていない米粉パン。たしかにふつうのパンよりもろくて崩れやすいけど、こんなに形が整わないのははじめてだ。
食べてみると、味もなんだか微妙な感じ。ちゃんと前の日から卵液に漬け込んでいたはずなのに、中のほうが白いままで、食感もモソモソしている。
グルテンフリーのパンはだいたい、ふつうのパンより高い。それでも、パンがくれる幸福感を手放しきれないからわざわざ買ったのに。
このグズグズにくずれたフレンチトーストは、いま思えば暗示だったのかもしれない。
完璧な一日になるはずだった。
予想よりも遅く咲いた桜。翌週は夫が休日出勤なので、この土日が花見のチャンス。天気予報では、今日は晴れてあたたかくなる見込み。
朝のうちに家を出て、まずは目黒川の端っこまで行こう。そこから川沿いをお花見散歩。中目黒駅まで着いたら日比谷線に乗って、そのあとは…
この数日、ワクワクしながら行程を練っていた。
楽しい計画を立てるのは好きだ。未来に”おたのしみ”があれば、目の前のこともがんばって乗り越えられる。
今日着る服も、3日前から決めていた。春らしいピンクの花柄、シフォン素材のワンピース。
しかし、着替える前にふと天気予報アプリを開いたら、「え?」と声が出た。
予報が晴れから曇りに変わっている。最高気温も15度しかない。
「今日、なんか寒そう」
「ほんとだ。あなた、寒がりだからコート着たほうがいいね」
夫の言葉に、渋々頷く。青空の下、ワンピース1枚で軽やかに歩く妄想はしゅるしゅるとしぼんだ。
外の空気はやっぱり冷えていた。
我が家から目黒川までは徒歩で30分弱。電車だととなり駅だが、歩いて交通費を節約する。無職には、ひと駅160円の運賃だって痛いのだ。歩けばそのぶんカロリーも消費するし。
もう4月なのに、冬が戻ってきたような天気だった。雲がぶ厚くたれこめているぶん、頭もすこし重く感じる。風は、せっかくセットした前髪を容赦なく乱してくる。
「どうでしたか、フリーになっての初週は」
「ぼちぼちって感じ、かなぁ」
道中にも、時たま桜の樹が咲いている。曇り空の下の花は、白っぽく、モノクロ写真のよう。
「はやく色々仕事探さなきゃって思うけど、結局新しいことはとくにしてないし」
この1週間は、前職から依頼してもらった仕事と、副業から続いている仕事をいくつかこなした。
自分のブログを作ったり、noteを更新したかったけど、なかなか個人的な文章には手をつけられなかった。
一方で、3月中にクラウドソーシングサイト等から応募していた数件の仕事は、どれも不発に終わっている。新しい応募はまだしていない。
正直、がんばっていた時間よりもだらだらしていた時間のほうが長かった。
「いいんじゃない、しばらくお休み期間ってことで。ずっと忙しそうだったし」
副業でWEB記事を書き始めたのが4年ほど前。去年からは地域の交流会で知り合ったクライアントとのお付き合いが新たにスタートし、イベントレポートを書くほか、コミュニティ運営のお手伝いもするようになった。
周りと比べて残業の少ない職場だったとはいえ、やはりWワークは重たい。体力的にも、そして精神的にも。
今年に入ってから、クライアントワークの量が増えた。そのなかでいくつかミスも続いていて、落ち込むことも多かった。
「おれとしては、好きなことやってくれていたらって思うよ。元気に過ごしてくれるのが一番だし」
なんてありがたい言葉か。
足元へ目を落とす。白いスニーカーは1か月ほど前に買ったばかりなのに、もう薄汚れていた。
好きなこと、かぁ。
文章を書くことが好き。でも、文章って、あくまでも手段だ。価値がつくのは、中身のほう。じゃあ、わたしの中身ってなんだろう。
あぁこうやって、すぐに悩みの壺にハマろうとすのがわたしの悪いところだ。自分にいら立ちが募る。
いや、悩むことは悪くない。わたしが一番許せないのは、気を抜くと、悩むことすらからも逃げる自分。
ブログやnoteなど、自分の中からつくりだしていく文章を書けないでいるのは、そういうことだ。
結婚してすぐに仕事をやめたわたしに、夫への甘えがないかと言えば、嘘。現状は貯金から生活費を半分出しているけど、このままだったら、じきに経済的に頼ることになるだろう。
それでいいじゃない、と、夫本人も、親も、友人も、なんならやめた会社の上司も言った。
しょせん、わたしなんてそんなものだったのか。イライラのあとには、いつも決まって失望がやってくる。
いわゆる進学校で育ってきたわたしは、子どもの頃、自分は当たり前に”はたらく女性”になると思っていた。専業主婦、という選択肢はわずかにだってなかった。
それがどうだろう。今やわたしは、はたから見れば”結婚して家庭に入った女性”だ。そうではない、自分のしたい仕事をがんばるために会社を辞めたんだと口では言っていても、行動が伴っていない。実際、家事もおろそか気味なので、おこがましくて主婦を名乗れはしないのだけど。
本気なら、とっくに毎日ブログを更新したり、媒体に自分を売り込んだり、役立つ資格をとったりしてるんじゃない?
チクチクと刺すことばはいくらでも湧いてくる。このステルス自傷行為もうすらサムい。
黙りこんだわたしの手を、夫はギュッと握ってくれた。
家を出て、15分ほど歩いてきた頃だった。
「いま何時くらいかなぁ。家出るの思ったより遅くなっちゃったから、川沿いは人が増えてるかも…」
ポケットに手を入れる。
…あれ?
立ち止まる。そこにあると思ったスマホがない。もう片方のポケットにも、かばんにも、どこにもない。
パッと脳裏に浮かんだ、リビングのテーブルワゴン。家を出る直前、わたし、そこにスマホを置いた。そして、そのまま置いてきた。
やっちまった……。
まっさきに脳裏に浮かんだのは、いま持っている数少ない取引先からの連絡のこと。
わたしを社会につなぎとめている細い糸。もし今なにか大切な連絡が来ていて、それに今日一日返信をできなかったら?
あとから考えれば、夜まで返信ができなくても、大したことではなかったのだ。しかし、ここ数か月で業務ミスをいくつかやらかしていたわたしは、このとき、「これ以上何かあったら切られる」という恐れでいっぱいになっていた。
「どうする?戻る?」
となり駅まではまだ距離がある。バス停も近くにない。最短の方法は、ここからまた15分かけて歩いて家まで戻ることだ。
「戻るよ。戻らなきゃ」
言ったとたんに、両目から涙がブワッとあふれ出した。
夫の顔が驚いている。わたしも驚いていた。
え、うわ、どうしよう。
こんな道端で。29歳にもなる大人が。すぐに止めなきゃと思う裏腹に、涙は次から次へとこぼれていった。
「戻んなきゃ、取引先、連絡くるかもだし」
鼻があつくなって、唇はふるえ、わたしはもう、何がなんだかわからない。
「うん、大丈夫だよ。歩いて戻ろう」
まるで5歳児みたいに、泣きじゃくりながら、手をひかれて道を歩く。横断歩道で信号をまっている間、向こう岸に立つひとがみんなわたしを奇異の目でみているような気がした。
わぁ、わあ。つらい。恥ずかしい。
「大丈夫、大丈夫」と言ってくれる夫。でもその優しさが今は痛い。
気付くと口から「しにたい」と言葉がこぼれていた。
「死んじゃだめだよ」
夫の声に、初めて焦った色がにじんだ。それがまた申し訳なくて泣けてくる。
こんなはずじゃなかったのに。今日は完璧にスケジュールを立てて、夫に楽しい休日を過ごしてもらいたかったのに。
いや、そんなの、最初からわたしのエゴでしかなかったじゃないか。家でゲームをしているほうが、夫にとてはよほどよかったし、疲れも癒えたに違いない。
ウキウキと楽しみにしていたものが、すべて色あせてみえる。今日一日のことだけでなく、この先の未来に待ち受けていることすべて。
歩いている間、わたしは「ごめんなさい」「しにたい」「消えたい」を繰り返しつぶやいて、そのたび夫に「謝らなくていいよ」「そんなこと言っちゃダメ」と慰めさせた。
最悪だ。本当に、心の底から、自分は消えていなくなったほうがよいと思った。こんなに優しいひとに迷惑をかけて、人生の重荷で居続けるくらいならと。
家にたどり着いた途端、わたしは玄関にうずくまって、わんわんと声を出して泣いた。
涙と一緒に、からだが溶けてグズグズに崩れていくような気がした。いっそ、本当にそうなりたかった。
こんな風にして、わたしのこころは壊れたのだった。
そのあとのこと、そしてこれからについて
予定していたところへは、結局、ほぼ全部行った。
ひとしきり泣いたあと、「このまま家で腐っていてなるものか」という謎の負けん気が湧いたのだ。
となり駅まではおとなしく電車に乗って目黒川沿いの桜を見物し、神谷町にある麻布台ヒルズへも物見遊山に出かけ(お目当ての展望フロアは残念ながら閉まっていたけど)、東京タワーと芝公園の周辺を散歩し、夜には近所の居酒屋で美味しい刺身を食べた。
気分はやっぱり沈みやすかったけど、笑顔になる場面もあり、思い描いていた通りでなくても充実した一日だった。
だから、あの道端大泣き事件は、これまでにもたまにあったホルモンバランスの崩れが、たまたま強く出たくらいに思っていた。
おかしいぞ、と気が付いたのは、翌週だ。
わたしには”楽しみな予定”がいくつかあった。友だちとの韓国旅行。元同期とのディズニー。久しぶりに会う親戚との約束。中でもビッグなのが、7月に控えた結婚式と新婚旅行。
そのすべてに、あの土曜日から、一切心が躍らない。
家族や、友人や、仕事でやり取りをする相手からかけられる些細な言葉が、やけに引っかかって気付けば涙が出てくる。
もともと片付けは下手だったが、家の中はますます荒れていく。気に入っている雑貨やフィギュアを見ているだけで悲しくなった。心を上向きにさせるために手元に置いているそれらが、ただの無機質な物体にしか見えなくて。
灰色の箱の中に閉じ込められて、四方の壁が迫ってくるような感じ。そんな気持ちでいる時間が、徐々に長くなっていく。
何かにすがりたくて神社におまいりをした。おみくじを引いたら大吉で、また泣いた。今の、このわたしの、どこが大吉だというのか?
そして、これはもう、病院で第三者の専門家に助けを求めるしかないのだとわかった。
すぐに近所の心療内科を予約。通院と、投薬治療が始まった。
今、これを書いているのが、あの日から約2か月後。ようやく、冷静な気持ちで振り返ることができつつある。何度も書き直して、エネルギーを使った。これで痩せてくれたらいいのに。
書いたものを読み直してみると、わたしの心に不調をもたらしたもの”たち”の姿が見え隠れする。その正体を、あえて言葉にはしない。
それらは、明確なかたちをもたず、複雑にからまりあっている。最近起きた出来事と、もう20年以上前の出来事と。外からやってきたものもあるし、わたしの内側から生まれたものもある。
わたしを取り巻くもの。わたしを形作るもの。わたしにとっての世界のすべてが、今のわたしに結果となってあらわれているのだ。
会社を辞めたとたんのメンタル不調だったので、最初は「この選択自体が間違いだったのでは」と自分を責めた。
でもきっと、そんな単純な話ではない。し、あのまま会社にいてもわたしはこうなっていた。それで職場とゴタゴタするくらいなら、これでいっそよかったのだ。あ、でも退職前なら労災がもらえたかもしれないのか。
さて、いっぺんグズグズに心の調子を崩したわたしは、気づいたことがある。
自分、”居心地のわるさ”に、めちゃくちゃ弱い。物理的にも精神的にも。
いわゆる「繊細さん」と呼ばれるような特徴は昔から身におぼえがあったけど、今回の不調でより深く自分の特性について考えるようになった。
居心地がいい環境にいると、元気でいやすい。だけど、居心地ってあっけなく変わってしまうものだ。
たとえば居心地いい職場だなと感じるとき、その要因はだいたい一緒にはたらく人たちとの関係性にあるだろうけど、この世には人事異動というものがある。大好きな上司が退職するかもしれないし、すごく感じの悪いひとが新メンバーとしてやってくるかもしれない。
そんなとき、自分から居心地のよさを見つけたり、作れたりしたら、わたしはもっと強くなれるんじゃないか。
居心地について、じっくり考えて、それを言葉にあらわしていこう。
元々立ち上げだけしていたブログの名前を「居心地研究室」として、自分のメディアを作っていくことにした。
奇しくも、病むことで、わたしはようやく自分のテーマにめぐり会った。
ずいぶん長々と書いたので、ここまで読んでくれているひとはあまりいないかもしれない。
それでも公開するのは、やっぱり文章を書いて、それを人に読んでもらうのが好きだから。
このシンプルな欲を自分に許すことができるようになり、心の底から、ほっとしている。
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