【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第七話
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第七章「行き詰まり」
「で、これからどうしますか先生」
「そうだな、彼が寄ったという薬局に行ってみようと思う」
結局手がかりらしい手がかりはつかめなかったがまだ訪ねるべき場所は残っている。パトロギはリカントがよこした住所のメモを握りしめた。
「何か見つかるといいんですけどね……」
不安げに呟くパフィンに、パトロギはただ頷くことしかできなかった。
「ここがその例の薬局だ」
薬局は至って普通の薬局であった。レンガ造りの四角い建物で脇には大きく薬瓶のマークが描かれた看板が立っている。
扉を開けるとなぜか煙たい匂いがした。中は種類ごとに整然と薬が立ち並んでいた。カウンターには大きなサルの獣人がなんと長い煙管を吸っては、煙を吐き散らかしていた。
「薬局で煙管! 信じられない」
ウィローが鼻をつまんであからさまに顔をゆがめた。サルの獣人はレジからはみ出しそうなでっぷりとした身体を揺らし、どすのきいた声を出した。
「文句あんなら帰んな。どうせ何も買う気はないんだろ? 口だけは一丁前に言いやがって」
慌ててパトロギが前に出る。
「いやすまない。一つ聞きたいことがあってこちらを訪ねたんだ」
「あんたも例の事件かい? まったく商品も買わないで、ぺちゃくちゃおしゃべりだけしてさあ。警察もくるわで、客足は遠のくし、こっちも商売上がったりだよ」
うんざりしたようにサルの獣人は煙管を灰皿に叩きつけた。灰がぱっと舞い上がり、その一部がパトロギの顔をかすめた。焦げつく匂いが鼻をさす。パトロギは一歩足を引いた。
「たしかにそれは災難だ。君が怒るのも無理はない。だから率直に一つだけ問おう。それ以上の無駄な会話はしない。どうだろうか」
腰を低くして請うと、店員は頭をぼりぼりと掻いて考えこんだ。パトロギはじっと彼女の顔を見つめ、返答を待った。
やがて根負けしたように店員はやれやれと頭を振った。
「……まあ一つだけなら聞いてやるよ。何を聞きたいんだい」
「彼がきたのはいつ頃だっただろうか」
店員は鼻を鳴らした。
「たしか死ぬ一週間前だよ。顔色も悪くてふらっふらしていたもんさ。で、一番よく解熱剤はないかっていうもんだからそれ紹介して終わり。これで満足?」
「そうか、ありがとう。できれば薬の銘柄を――」
「よお、いつもの頼む」
タイミング悪くドアが開いて客が入ってきた。大柄な虎がパトロギたちを押しのけ、カウンターに肘をつく。
「あいよ。相変わらず膝痛めてんのかい」
慣れた手つきで店員は紙袋を取り出し、虎の獣人に笑いかけた。
「ああ、まったくもってよくなりゃしない。もう俺も歳かねえ」
「やだよ、またそんなこと言って。ほらもっていきな。……なんだい、あんたたちまだいたのかい。そこにいたら邪魔になるじゃないか。ほらとっとと帰んな」
が、パトロギたちが棒立ちのまま二人のやりとりを眺めていたことに気づいた瞬間、その表情は一変。迷惑そうに顔をゆがめて手を払った。
「ああ、時間をとらせて悪かった」
このまま食い下がっても得られるものは何もないだろう。
パトロギは頭を下げて薬局を後にした。
「一応あの医者が言っていたことは合っていましたね」
ウィローが大きく切り取った魚のソテーにかぶりついた。器用に付け合わせのレタスだけ抜き取って皿の中においている。
「ちょっと、お行儀悪いわよ」
パフィンが顔をしかめて見咎める。ウィローはそっぽを向いた。
「別にいいじゃないですか。僕が野菜食べても何の栄養にもなりゃしないんだから。というかパフィンさんはまず自分の心配したほうがいいんじゃないですかぁ? そんなに注文して本当に食べきれるんです?」
彼女の手元にはハンバーグ、コーンスープ、大きな丸パン、パスタ、オムライス、と、テーブルの上にところ狭しと並んでいる。ちなみに食後にはパンケーキとパフェが届く予定だ。パフィンが片眉を吊り上げた。
「あら、このくらいなら軽い間食程度よ。むしろ今日はお昼ご飯食べ損ねたから夕飯もいつもより多くしなきゃ」
「うえええ……さすがハーピー。胃袋どうなっているんです?」
みているだけで胃もたれしそう、と呟きながら、レタスをパフィンの皿の上にのせていく。
「もう! ウィローったら!」
「まあまあご飯時くらい喧嘩するのはやめたまえ」
職場ならばともかく、ここは外だ。パトロギがとりなすと、パフィンは頬を膨らませたが、結局口を開く代わりにナイフとフォークをとり、黙々と食べ始めた。積まれた食べ物が優雅に、気持ちいいほどすいすいと彼女の口の中に吸いこまれていく。
三人がいるのはこぢんまりとしたカフェだ。朝から出かけ、リカントが勤める病院、教えてもらった薬局と、ろくに食事をとらぬまま一日中歩き通しだった。三人は背と腹がくっつきそうなほどの空腹に耐えかね、目についた店に飛びこんだのだった。
店内は大きな窓があり、ベスティアの街並みを眺めることができる。ただし、パトロギたちが案内されたのは日当たりの悪い隅の席だった。微妙な時間帯のせいか客はまばらにも関わらず、だ。
まあちょうど西日が射しこまない位置だから幸いしたな。店員の意図とは真逆であろうが、パトロギはそう解釈することにした。そのほうが気分を害さずにすむ。
注文したサンドイッチをコーヒーで流しこみ、パトロギは息をついた。
「後はサーナの報告を待つしかないな」
「その結果がよいものだといいですけどね」
片肘をついたウィローが投げやりに言い捨てた。パトロギは何も答えずに再びコーヒーを口に含んだ。コーヒー特有の苦みが先ほどよりも舌にまとわりついた気がした。
ベスティアから帰ってくると、扉の横につけられた小さな郵便受けの中に真っ白な紙の端が覗いていた。素早く取り出して、差出人の名を確認する。質素な便せんに書かれていた文字は思い描いていた通りの名で、パトロギは安堵の息を吐き出した。
早速封を切って目を通していく。紙と眼鏡のレンズが触れそうなほど近い距離で急くように、しかし一文字も逃さないよう鬼気迫る顔で追う。二人はそんなパトロギの様子を息を詰めて見守っていた。やがてパトロギが緩慢な動作で顔を上げた。
「先生、結果はどうだったんです?」
「……蛇毒の検出はなし。あとは彼が罹った病名が判明したそうだ」
「へえ、なんだったんです?」
くすんだ顔色でパトロギは声を絞り出した。
パフィンが気遣わし気な視線を送る隣で、ウィローが尋ねた。まるで明日の天気を聞くような声色だった。
「ウイルス性の感冒。つまり一般的な風邪だな。ただし入ったところが悪かったようで、ずいぶんこじらせていたようだが」
「でもそれじゃあ死んだ原因の説明にはならなくないですか?」
パトロギは紙を放り投げた。白は宙を舞い、ひらひらと机の上に着地した。パトロギはそれに一瞥もくれず、手で顔を覆った。
「ああ、まったくだ。これじゃ何の根拠にもなりやしない。完全に行き詰まりだ」
「先生、リカント医師が言うように飲み水に毒が入っていたとか、第三者の介入とか別の線では考えられませんか?」
「そうですよぉ。ここはちょっとひとまず今の考えから離れてみたらどうです?」
「しかしな……」
パトロギは口を真一文字に引き結んだ。
何かが頭に引っかかっているのだ。何か、大事な何かを見落としてような気がする。遺体は嘘を言わない。身体に起こった真実を静かに訴え続けている。それを正しく受け取るのがパトロギの仕事である。
自分の見立てが間違っていたのだろうか? だがサーナとも意見が合致していた。腎機能が落ちたことによるへい死はほぼ確実だ。リカント医師の言葉からもそれは裏づけられている。
ウイルス性の風邪だというのならば、腎障害を引き起こすウイルスだったということはないだろうか。一部のウイルスはたしかに腎障害による痛風を引き起こすことが知られている。検査結果に書かれていたウイルス名は当てはまらなかったが、同定できていないだけでそのウイルスに罹っている可能性は否定できない。
それとも本当に別の第三者による仕業だったのだろうか?
出した仮説は全て堂々巡りで、パトロギの胸は晴れるどころか不快なもやがたまっていくばかり。
淡々と秒針を刻む音だけが部屋に落ちる。
「そういや先生、新聞も一緒に挟まっていたんで読みます? 先生、サーナさんからの手紙に夢中で押しこまれていた新聞には気づかなかったでしょ」
はいどうぞ、と差し出されたモノクロの紙面に視線を落とす。相変わらず大きな見出しには両者の対立をあおるような文言が並び、パトロギの機嫌は地を這った。
「もう是が非でも裁判をやるみたいですね。ちゃんとした証拠もないのに……」
隣から覗きこんだパフィンが呟いた。
「だっていくら証拠がないからって世間が許しはしないでしょ。そんな展開」
「だからといって些かむきになりすぎているような気もするがね」
手紙にもあった通り、証拠不十分で今回の事件は裁判としては成り立たない。だが険悪な相手との会合で同族が亡くなったガルダや新聞社に焚きつけられ、熱が高まりきった群衆たちがそれで納得するはずがない。結局民意に押される形で、裁判は始まるようであった。
さらに検死に関わったということで警察も立ち会うらしい。裁判が開かれる日程も常では考えられないほど早くに設定されている。法廷史の中でも異例中の異例だ。だがそれでも反対意見がほとんど出なかったのは、ガルダ、バジリスクのみならず多くの幻獣たちが注目する大事件となってしまったからだろう。
「このままでは取り返しのつかない事態になるぞ……」
写真の中ではグリドゥラの母親がむせび泣いている。せっかちでたまに視界が狭まってしまうところもあったが、熱意あふれる良い息子だったのにどうして……と。私の息子を返してくれと、息子の気持ちに仇で返すような蛇たちに然るべき裁きを、と訴えている。
パトロギはもはや直視することができず、新聞をくしゃりと握りつぶした。