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【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第六話

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第一話はこちら。


第六章「リカント医師の証言」

「で、これからどうするんですか?」
「街に行く。倒れたときの状況を考える必要があるからな」

 アーモンド形の目が僅かに揺れた。指先をこすり合わせながらためらいがちにパトロギを見上げる。

「じゃあ僕と先生で出かけるんですか?」
「何を言っているんだ。パフィン君も出かけるに決まっているだろう」

 ウィローはうろたえたように瞳を揺らした。

「え、だって現場ってバジリスクの街でしょ? ハーピーのパフィンさんが来たら気まずくありません?」

 はあと深いため息が口から漏れ出たのはパトロギからではなかった。

「あなたねえ、記事ちゃんと読んでなかったの? 交渉の場が設けられたのは両者の街の中間点に位置する街、ベスティアで行われたって書いてあったでしょ。あの街なら獣人中心で蛇系も鳥系もどっちも少ないわよ。ま、今はいろいろと人気みたいだから鳥人も蛇系の幻獣たちも見かけるかもしれないけどね」

 かぶりを振ってパフィンが通りすぎていく。

「パフィン君の言う通りだ。君が心配するようなことではないよ。さあ準備したまえ。ベスティアまでは少々時間がかかるから明日の朝には出るぞ」

 パトロギはウィローの肩をぽんとはたいて歩きだした。


 騒動の現場となったベスティアの街は常よりも混み合っていた。普段であれば地方都市らしく、道行く者たちは獣人ばかりで、それも歩道を覆いつくすような光景なんて目にしたことがなかった。それが今や歩道からはみ出すほどまで幻獣たちが押しかけている。誰もが幻獣界きっての大事件に注目しているのだ。
 人混みに揉まれ、へとへとになった三人は街中にひっそりと佇んでいた公園に滑りこみ、ベンチで一息ついていた。
 行きかう者たちは巨人族からピクシーまで実にさまざまだ。大きさも肌の色も何もかも違う幻獣たちが地方の一都市に集結しているせいで、幻獣の中で言えば小柄な三人はもみくちゃにされ、服も心もすっかりよれてしまっていた。

「にしてもすごいですよ。ここ最近の記事みました? もう連日論争が巻き起こっているんですよ。ガルダ派が過半数を占めているのはまあ当たり前なんですけど、蛇派の反論も見どころがありましてね。ウロボロスの論説なんか感心しちゃいましたもん」

 懐から取り出したしわくちゃの新聞を広げ、ウィローが記事を指差す。紙面にはでかでかと両者を煽るような見出しが躍っていて、パトロギは眉をひそめた。
 仮にも情報を伝えるプロならば正しく中立性のある記事を書いてもらいたいものだ。両者の対立を激しくさせてどうする。一時の売上を伸ばすために、取り返しのつかない分断を引き起こすのはあまりにも先見の明がなさすぎる。
 紙面には哲学者のウロボロスが長々と事件に対する推理とここ最近繰り広げられる蛇系幻獣への差別行為について延々と書き連ねていた。

「この新聞社のウロボロスって正直、いつも新聞の隅のコーナーでよくわからない話をする爺さんって印象だったんですけど、こんな真面目な話もできたんですねえ」

 彼に言わせてみれば、普段のコラムだって大真面目に書いている代物なのだろう。ただウロボロスは永遠と結びつけられるだけあって、小難しいことを考える質が多く、彼らの思考を理解することは困難だ。
 自らの尾を咥え、己のが身を糧に成長する奇妙な姿は、身体を削っているのか、身体を作り上げているのか、考えれば考えるほどその身体のごとく、堂々巡りをする羽目になる。

「相変わらず偏見ばかりね。新聞っていつもそうよ。決まった型を押しつけてくるの」

 隣から顔を出していたパフィンが首を引っこめた。緋色に渦巻く感情は全色の絵の具をぶちまけたかのように複雑な様相を呈している。パトロギは口を開きかけたが、結局口を閉じた。
 どんな言葉をかけようとも完全に彼女に寄り添うことはできないだろう。パトロギ自身、人間のくせにと言われたことは数え切れないほどある。が、彼女が受けてきた差別とは同じものではないのだ。下手な慰めは彼女の矜持を軽んじているようで気が引けた。
 だがパフィンの胸中もパトロギの気遣いもお構いなしに切りこんでくるのがこのウィローという猫である。


「なんか嫌な思い出でも持っているんですか?」
 まるで世間話の延長みたいにウィローは暴投を放った。パフィンの表情が固まった。
 風が木々を揺らす。取り巻く喧騒が、三人の周りだけ一枚膜を隔てたかのように遠のいた。

「……ハーピーのイメージって一般には死肉を食らう醜い鳥人でしょ」

 絞り出すような声でパフィンはこぼした。唇は切れそうなほどきつく嚙みしめられているのに、視線は前を向いたままで、一向にこちらと合わない。
「……」

 パトロギは静かに彼女の言葉を待った。
 ハーピーは古来、死体を食してきた鳥人である。腐敗した骸を貪り食らうその姿は多くの者から忌み嫌われ、蔑まれてきたものだった。

「だから初めて村を飛び出したとき、とても食事マナーには気をつけたわ。何度も何度も家で練習してね、他の幻獣たちに汚い食べ方だって思われないように。酷女とも指さされるから服装にも気を遣って。でも何したって駄目なときは駄目ね。モデルに選ばれたハーピーはいないし、週刊誌で悪し様に書かれていたときは足元がガラガラと崩れ落ちていくような気がしたものよ」

 パフィンは淡々と述べていくが、握りしめた手のひらは真っ白になっていた。

「これでもね、いろいろ気をつけているのよ。まああなたにしてみればどうでもいいことなんでしょうけど」

 半ば投げやりにパフィンは言い捨てた。その横顔には黒々とした影が落ちている。

「ふうん。僕、パフィンさんと食事行ったことないんで食べ方については知りませんけど、ブスと思ったことは一度もありませんねえ」

 欠伸をしつつウィローは立ち上がった。早く行きますよと尻尾を振りながら小柄な黒は雑踏の中へと混じっていく。ただでさえ道は群衆がひしめき合っているのだ。すぐに後を追わなけなければ見失ってしまうだろう。パトロギも尻を払って立ち上がった。

「ちょ、ちょっとウィロー! 言っていい冗談と悪い冗談があるわよ!」

 一気に色白の頬に赤みがさす。上ずった叫び声が追いかけるもウィローが立ち止まる気配はない。

「そうだな。私もパフィン君のことを醜いと思ったことはないよ。優秀な助手と思ったことは数え切れないほどあるがね」
「やめてくださいよ先生まで! もう!」
「ほら早く行かないとこの混み具合では見失ったら最後、そう簡単には合流できないぞ」

 ついに顔から湯気が出そうなほど真っ赤になったパフィンが駆け出していく。みるみるうちにでこぼこの影二つは遠ざかっていった。パトロギも小さく笑って、二人の後を追いかけた。


 三人が向かったのはグリドゥラが運ばれた病院だった。総合病院と銘打っているだけあって、どっしりと構えた建物は汚れ一つなく、威厳さえ感じる姿で鎮座していた。受付は小型動物用と大型動物用とがあり、大型のほうはパトロギの頭の先に受付の机の天板がくるほどだ。

「うちは人間を受け付けていない。とっとと帰れ」

 低く無愛想にパトロギを見下ろしてきたのは黄金のたてがみをたくわえたキメラだった。耳を倒して牙を剝き出したウィローを後ろに押しやってパトロギはなるべく相手の気を逆立てないよう穏やかに答えた。

「いや私は診療を受けにきたんじゃないんだ。ここに勤めている医者に用事があってね。リカント医師はいるかい?」
「リカント医師は忙しい。人間ごときを相手にする暇はない」

 蛇の尾を揺らしてキメラはしっしっと手をはらった。背後から物騒な気配が膨れ上がり、猫特有のシャーという威嚇音と鳥のかぎ爪が床を引っかく音が響き渡る。物々しい雰囲気に、周りも遠巻きにパトロギたちを眺めていた。
 パトロギは手で二人を宥めつつ、真っ直ぐ獅子の顔を見上げた。

「ではこれをリカント医師に渡してくれたまえ。そうすれば話が通るはずだ」

 懐から出した紙をカウンターに乗せる。訝しげな顔で受け取ったキマイラは、読み進めていくうちに眉間の皺を深くした。腹の底まで響く唸り声をあげ、緩慢な動作でマイクを手にとる。何やら話しこんでいたキマイラは、ため息と共に紙を投げつけた。

「今すぐに来るようにとのことだ。場所はつき当たりの角を右に曲がって一番端の部屋」
「案内ありがとう。それでは良い日を」

 長くしなやかな蛇の尾が床に叩きつけられた。鞭のような音は反響し、周囲の者たちが身体をびくつかせる。しかしパトロギは笑みを崩すことなく、手を振って受付を後にした。


「まったく大きな病院だってのに、接客態度がなってなさすぎじゃないですかね」

 尻尾をゆらゆら揺らしながらウィローが袖を引っ張る。時おり尾が足にじゃれついてくるので歩きにくい。

「まあ今はいろいろと対応に追われていることだろうからな。気が立っているのだろうよ」
「でもあの態度はないですよ。パフィンさんもそう思いますよね」
「ええ最悪。私、今後この病院は絶対に使いません」

 パトロギは目を見開いた。てっきりウィローを咎めるかと思っていたのに、まさか賛同の意を示すとは予想外だったのだ。

「そこまで腹を立てる必要はないんじゃないか。こんなことで怒っていたらきりがないぞ」

 燃え盛る灼熱の炎がパフィンの瞳の奥に宿った。

「先生のことは尊敬していますけど、そういう態度は好きじゃないです」

 つんとそっぽを向いて歩くパフィンの足どりはどことなく荒々しい。

「今のは先生が悪いですよー」

 ウィローも頭の上で腕を組んでさっさと抜き去っていく。気まずい沈黙が落ちた。よく磨かれた床には曇ったパトロギの顔が映っている。情けない表情を浮かべるそれから目をそらし、パトロギは黙って歩を進めた。

「というかここじゃないですか先生」

 ウィローの言葉で意識が引き戻される。漆黒の正方形のプレートにはリカントの名が刻まれていた。
 扉を叩くと、パトロギが取っ手に手をかけるより先に扉が開かれた。

「や、やあよくきてくれたねパトロギ君。さあ入りたまえ」

 現れたのは赤茶色の狼だった。尾は股の下に縮こまり、視線は右往左往して一向に定まる気配はない。三人は顔を見合わせ、ひとまず部屋の中に入りこんだ。

「そ、それで何を聞きたいのかね」

 丸椅子に腰掛けたリカントは相変わらず落ち着きなく視線を移動させたり、耳を伏せたりしていた。パトロギは深く息をついた。

「まずは突然の訪問にもかかわらず時間を設けてくれてありがとう。礼を言わせてくれ」
「い、いやいや。構わんよ。そ、それでやっぱり君が聞きたいのはあのことかい?」

 リカントの声がひそまる。パトロギは頷いた。

「ああ。グリドゥラさんが運ばれてきたときのこと、そしてなぜ私に依頼したのかそれを聞きにきたんだ」

 目の前の肩が飛び跳ねた。
 リカントはこの部屋にいる誰よりもがっしりした体格をしているというのに、身体を縮こめておずおずと窺ってくる様はピクシーよりも小柄な体つきであるかのような錯覚を覚えさせる。

「や、やっぱり私の診断が悪かったのだろうか。い、いやすまない。私は鳥人に詳しくないんだ」
「いや私はあなたの診断を責めにきたんじゃない。彼の容態の経緯と依頼理由を聞きにきただけなのだから」

 なるべく穏やかにパトロギは尋ねる。しかしリカントの震えは止まらない。扉が隙間なく閉じられているのを確かめるかのように、何度も戸口に目をやっている。耳を左右に動かして、周囲から不審な音が聞こえないのを確認し、ようやく肩から力が抜けた。

「……彼が訪ねてきたのは例の会合が始まる六日前だった。喉の渇きを訴えて来院したんだ。そのとき昨日さくじつ熱があったとも言っていた。だが解熱剤を飲んだから大丈夫だとも。わ、私はもしかしたら糖尿病とか恐ろしい病気の疑いがあるかもしれないと、け、検査や点滴を勧めてはみたんだ。でも彼は笑って大げさだろうって言って、結局何もせずに帰ってしまって……。だ、だから私もあんなことになるなんて思っちゃいなかったんだ! 私が故意でやったんじゃない! 信じてくれ!」

 リカントはパトロギにすがりつき、力いっぱい揺さぶった。鋭い爪が皮膚に食いこみ、パトロギは顔をしかめる。

「落ち着いてくれリカント医師。私は別に君を犯人だなんて疑っちゃいないさ」
「ほ、本当だな? 警察みたいに私を容疑者扱いしないだろうな?」
「もちろんだとも」

 ようやくリカントは手を離した。パトロギは腕をさすった。血こそ出ていないものの、掴まれた箇所が真っ赤になっている。もしかしたら痣になるかもしれないなとパトロギは内心嘆息した。

「では一週間前に熱がでて、解熱剤を飲んだら熱は下がったと。でも異様に喉が渇くのだと訴えていた、ということで間違いないかね?」
「あ、ああ。宿についてから熱が出たんだと本人が言っていた」

 隣のパフィンがリカントの証言を手帳に記していく。ペンが紙面の上を滑っていく音が響いた。

「それで次に搬送されてきたときは?」
「そ、そのときはもう既に意識がなかったんだ。な、なんとか手は打ったんだが、あれよあれよという間に容態が悪化していって後は君の知る通りだ」
「なるほど。そのとき何か気がついたことはあるか? 何でもいい。どんな些細なことでも構わない」

 リカントは辺りを見渡した。前かがみになってささやくような声で言った。

「彼はなんでも突然倒れたそうなんだ。本当に何の前ぶれもなく。変わったことと言えば水を携帯していて、よく飲んでいたくらいだったそうだが……。私はその中に毒を仕こまれていたんじゃないかと疑っている」
「そうか。いやありがとう」

 パトロギは頭の中で口渇と多飲、と書き留めた。リカントの考察はひとまず置いておく。今ここで検討できるものではない。

「それでなぜ君を頼ったのか、ということなんだが……」

 ここでリカントは言い淀んだ。尻尾が力なく左右に揺れた。

「す、すまない。私も気が動転していて、倒れた場所が場所であったし、もしかしたら私のせいで、とも思ってしまって……。そのとき思い出したんだ。人間なのに、腕のいい病理医がいるとね。に、人間だったら私のこともし、真摯に耳を傾けてくれるだろうし、人間のほうが親しみあってね。急いで風の精に速達便を頼んだんだ」

 リカントはもじもじと指をいじくっていた。パトロギは首をひねった。

「なぜ? あなたは狼の獣人ではないのかね?」

 獣人ならば獣人の病理医のほうが親しみをもつはずだろうに。それとも同族に対し、嫌な思い出でもあるのだろうか。
 訝しむ三人に、リカントはますます身体を小さくした。

「こ、このことは他言無用で願いたいんだが」
「ああ、もちろんだとも。私もこの二人も決して他言しないよう誓おう」

 ウィローが口を開きかけたが、減らず口を叩く前にパフィンがとっさに口を封じることで事なきを得た。リカントは幾ばくか逡巡したのちに、重い口を開いた。

「……実は、私は獣人じゃないんだ」

 ぎょっと三人は腰を浮かした。どう見ても目の前のリカントは獣人にしか見えない。三人の誰かが口を開く前に、リカントは半ば叫ぶように言った。

「私は、ワーウルフなんだ」
「あ、ああなるほど、そういうことか」

 ワーウルフ。別名狼男。獣人と人間の中間のような立ち位置の種族だ。だが獣人の中では人間の形態もとるということで立場が低かった。その上人間からも距離を置かれているので、肩身の狭い種族である。

「こ、ここでは私が獣人でないことを知る者は数えるほどしかいないんだ。で、でもやっぱり劣等感が消えなくて。ほ、ほら君ならわかるだろう?」

 揺れる瞳が頼りなくこちらを見上げている。パトロギは曖昧な笑みを取り繕った。
 医者になる者はヒエラルキー上位の存在の者も多い。上位に位置するということはすなわち常に敬われることに慣れているということであり、態度にもそれがにじみ出る。息を潜むように生きてきたリカントとは文字通り住む世界が違うのだ。頼みにくいのも無理はない。
 だがそれは同時にリカントが無意識のうちにこちらを同じか、下にみていることと同義でもあった。そんなことには日常茶飯事なので、今さら胸を痛めてもどうしようもないことではあるが。
 溜まった澱を振り払うかのようにパトロギはいつも通りの顔を作った。

「それで私に頼んだと」
「き、君には厄介事に巻きこんで申し訳ないとは思っているんだ。ただ、私はできる限りのことをした。それは嘘じゃない」

 尾がパタパタと音を立てた。再び力強く腕を掴まれる。パトロギは宥めるように肩を叩いた。

「もちろんそれは疑ってないさ。あなたが医師の務めを全うしようとしたことは診断書からも感じていたからな」

 リカントはほっと息を吐いた。

「そ、そうかよかった。それでき、聞きたいことはそれだけかい?」
「できればあと一つだけ。彼がどこの薬局に行ったか知っているかね」
「あ、ああそれなら知っているとも」

 リカントは医学書や仕事に関係する書類やらで埋め尽くされた机の上をひっかき回し始めた。しかし飛び散るのは文字が刻印された紙ばかりで目的のものが見つかる気配はない。

「あの、これ使いますか?」

 見かねたパフィンがメモ用紙とペンを差し出した。

「あ、ありがとう。すまないね」

 リカントはさらさらと小さな紙に住所を書く。

「たしかここの薬局に行っていたはずだ。パトロギ君、君のほうからもどうか私が犯人じゃないことを警察に言っておいてくれるかい?」
「ああ、約束しよう」

 リカントのメモをしっかり懐にしまい、パトロギたちは病院を後にした。

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