【短編小説】ものまねのアイ
それはたしかに愛に分類される、はずだったのに。
アンドロイドが主人を立ち直らせるために亡くなった妻に成り代わる話。
脳の活性化を確認。階下に降りてくるまでの時間、5分と推測。
チンと軽快な音が鳴って、トースターからトーストが飛び出した。画像照合。焦げなし。95%以上が満足する焼き具合であると判定。スクランブルエッグ、ベーコン、サラダの盛り付け位置も良し。コンソメスープの温度最適。栄養バランスに問題なし。
「おはようございます、マスター」
マスターが自室から降りてきたら礼をする。角度は30度。朝の光を反射する己の金属の腕がモニターに映った。
マスターは顔を上げたが視線は合わない。
目の周囲の血流低下。血行不良と判定。心拍数、昨日より3上昇。呼吸数正常範囲内。体温、平熱より0.5℃高い。脳波反応の振幅、抑うつスコア高レベルのものと一致。
「朝食はどうなさいますか」
「いらん」
足音の大きさ、歩幅、足の着地、マスターが高ストレス時と一致。マスターの幸福度ランクD。早急な改善が求められる。
マスターはソファに腰を下ろしたまま動かない。今までの行動パターンから1時間は動かないと推測。
「マスター、パンひと切れだけでもいかがでしょうか。体重は先月よりさらに2キロ減少しております。このままですと、BMIが16を切り、瘦せすぎのラインに突入します。その場合、医療機関の受診を提案――」
バンと机が叩かれた。
「もういい。HC109。お前は掃除をしてくれ」
「……承知いたしました」
マスターの命令は絶対だ。私にできることは皿にラップをかけて冷蔵庫にしまい、掃除機を手にとるだけ。この行動パターンからして、廃棄の確率78%。これで廃棄率が50%を上回る週が連続で26週。朝食の提供の廃止を検討。
マスターは机の上に置かれた写真立てをじっと見つめている。そこに映っているのは1人の女性だ。ウェーブのかかったセミロングをなびかせる女性は笑っている。彼女は木の枠でできた四角い棺に入って、微笑んだまま眠り続けていた。
私の元マスターであり、今は契約者登録から削除された女性だ。マスターとの端的に表すのならば夫婦関係。――そして、マスターの健康を大きく損ねる原因となったもの。
創造者から出されている命令はただ1つ。「契約者を幸せにすること」。しかしマスターは彼女がいなくなってから幸福値は低下の一途をたどり、不眠症、抑うつ状態も改善の兆候が見られない。
このままでは使命を果たすことができない。司令塔は早急な改善を訴えている。サイレンはいつも鳴りっぱなしだ。
しかしマスターはどんな提案も拒否を示し、承諾したことはない。
だから私がマスターを幸せにしなくては。
だが方法も知らずにむやみやたらに手を伸ばすわけにもいかない。よってまずは方法を選定する必要がある。
ネットワークに接続。検索エンジン起動。検索。
人類は数多の記録を残してきた。その中にはマスターのように身近な人間を喪って嘆き悲しむ人を立ち直らせる過程を描いているものもあるはずだ。
論文、小説、漫画、映像作品。ある程度絞ったがそれでも該当するものが星の数ほどある。ひと1人の人生をかけても到底全ては見きれないであろう数だ。だが私の頭は人間の頭を遥かに上回る処理機能を持っているので、その心配は無用である。
膨大な数の作品をスキャンし、分析し、自分の適性のみならず資金面などマスターの事情も考慮しながら、最適な案を探っていく。
時間薬。一番簡単な方法だが現時点でマスターの健康状態に改善は見られないため、効果があるとは考えにくい。よって不適。
気持ちを共有できる人との会話。マスターは彼女を亡くしてから外出の頻度が80%減少。交わすメッセージは事務的なもののみ。マスターと感情を共有できる人物に該当なし。よって不適。
カウンセラーや専門家に依頼。彼女を亡くしてから1ヶ月後にカウンセリングを受けてみたが、残念ながらマスターの満足のいく結果にはならず、ひと月も持たなかった。それ以降、マスターはカウンセリングも心療内科も受診する気が失せてしまったようで、会話に上げただけで、扁桃体、前頭葉が活性化し激しい拒絶を示すようになった。複数回評価の高い病院やカウンセラーを推薦してみたが、マスターが承諾することはなく、結果は常に同じであった。よって不適。
新しい趣味を見つける。マスターの趣味趣向を考慮し、最適な案を提案したが、マスターが承諾することはなかった。よって不適。
不適。不適。不適。列挙した案にどんどん×がついていく。
マスターはこの小さい箱庭に閉じこもって、まったく新しいものを拒んでいるようだった。彼の小さな世界には新規のものが入る余地はない。
と、なれば今ある要素を組み合わせて現状を打開する術を考えなければならない。しかしそれはセロリと塩胡椒だけで1品何か作れと言っているようなものだ。もちろん努力すれば形にはなるだろうが、材料が少なすぎるがゆえに貧相なものしか作れない。これで一体どうやって問題を解決しろと言うのだ。
ふと何かが頭に引っかかった気がした。突然コードの接続が悪くなったかのような感覚。だが接続は通常。では原因は何か。
電流が走り、思考が回る。回路に異常なし。ウイルススキャン。問題なし。アップデートの確認。一部を除き最新の状態。
となればやはり先ほどの思考の中に原因があるのだ。順番に確認していこう。現状を打破できる可能性のある案の列挙。その検討。結果マスターが新規のものを受け入れるのは難しいと判断。よって今ある要素の中で解決方法を探る必要があり――
ストップ。今ある要素?
そのとき私の頭に光がはじけた。まさに天啓だった。
そう、私が彼女になればいいのだ!
幸いにも彼女のデータは残っている。そのデータを用いれば、彼女の容姿、性格、振る舞い、思考回路、全てを完全に再現することは可能だ。
そうと決まれば早速行動に移そう。愛おしい彼女が戻ってくれば、きっとマスターも喜んでくれるはずだ。
けたたましいサイレンが脳内に響き渡る。だが私はそれを無視した。安全装置がなんだというのだ。マスターの幸せが至上命令。それを邪魔するものは排除するのみ。
耐用年数を超えた安全装置は少し負荷をかければ、パチッと火花を飛ばした後、静かになった。マスターは引きこもったままだったから、私のメンテナンスも行っていなかった。おかげで私は自由にやることができる。
ではまず容姿の変更から。肩先に触れる程度だった髪を胸にかかるくらいまで伸ばし、ウェーブをかける。色を黒[#000B00]から茶[#8c502c]に変更。瞳はつり目からたれ目に、唇は厚みを増してふっくらと愛らしく。肌は白を今より5下げて黄色を3上げる。機械的な光沢を抑え、自然な温かみのあるものに変更。温度は彼女の平熱と同一に。表情はころころと変化できるように表情筋に相当する部位の信号を増やす。
あっという間に私はメモリに記録されていた彼女の姿に成った。細い喉に触れて、声を紡ぐ。
「おはよう、あなた」
不合格。これではあまりに声が機械的すぎる。音色の種類を女性タイプⅠからⅢに変更し、音程の設定を今より1上げる。抑揚をつけて、音と音とのつなぎ目を滑らかに。息を吸う動作も入れる。吸う音も微かにだが付け加えた。
「おはよう、あなた」
メモリに記録された彼女の声紋と一致。ただし、1000回に1回の確率で音程のずれを確認。更なる調声が必要。
動作も変更しよう。朝のお辞儀は取り止め、代わりに笑顔を選択。口角を5度上昇。言葉をかけるときはマスターの顔を真っ直ぐ見る。髪を耳にかけるのはマスターに話しかける直前。同時に微笑みを作ることも明記しておくべきだろう。
思考回路も変えなければ。今使っている分析ツールを思考の表面に出してはいけない。人間は思考回路に心拍数やら脳の活性やらを入れることはない。それらは全て思考の裏で処理され、人間はそれらを気配だとか雰囲気で何となく察知したと思いこんでいるのだ。それらを常に計測し、結果を行動に反映させている私にとっては慣れないことではあるが、回路を少々いじくれば可能であろう。
彼女の行動パターンを分析し、生態データと重ね合わせ、彼女の思考回路を作り上げていく。彼女の記録は2年前で止まってしまっているから、私のメモリとつなげて記憶の齟齬をなくそう。出来たての彼女の思考に自分のメモリを接続する。瞬間、世界が様変わりした。
それはまさに嵐と言っても過言ではなかった。数値で構成された理路整然とした世界から曖昧で台風のように気分が乱高下する混沌とした世界に私は放り出された。荒れ狂う海に投げ出された一片の板のように、感情の波に翻弄された。
波が押し寄せるたびに自分が削れていくのを感じる。
上も下もわからなくなった私の足に何かが触れた。それは地面だった。彼女の根幹だった。
それは温かく、冷えた私の体を優しく包んでいった。
マスター、いや彼のことを愛おしく思う気持ちが溢れていく。胸から温かいものが湧き上がっていく。ああ、これがきっと愛というものなのだろう。
どうか、安心してくださいマスター。次に目を開けたときには、あなたの幸せは戻ってきて、止まった時計も動き出します。なぜなら彼女がおはようを告げるから。
私は微笑んで瞼を下ろした。
「おはよう、あなた。今日の朝ごはんはあなたの好きな目玉焼きよ」
にこりと私は笑う。彼は目を見開いたまま固まった。
一体どうしたのだろう? いつもなら子どものように目を輝かせて、でもそれが悟られるのが嫌でわざとしかめっ面を作ってぶっきらぼうな態度をとるのに。それをくすくす笑ってしまうと、余計に機嫌を悪くするものだから、笑いをこらえなければならないのだけれど、普段無口な彼の子どもっぽい一面を見るのが密かな楽しみだった。
だが今の彼はまるで死人を見たかのように呆然と私の顔を見つめている。
「おい、ふざけるな! いったいどういう真似だHC109! なぜミサの姿をとっている!」
私は首をかしげた。なぜうちのアンドロイドの名を口にするのだろう。私はミサであって、HC109ではないのに。そういえば家事を手伝ってくれる彼女はどこに消えてしまったのだろう。彼がメンテナンスに出したのだろうか。そろそろメンテナンスをしなければならない時期だし、それはいいのだけど、一言くらい言ってくれても良かったのに。
「どうしたの? そんな幽霊を見たような顔をして」
彼は途端に色をなくして一歩後ずさった。
「やめてくれ。とんだ悪夢だ」
「悪夢? 悪い夢でも見たの?」
伸ばした指先が彼の肩に触れる前に乾いた音がした。一拍遅れて衝撃が脳に伝わる。
叩かれたのだと理解したときには、彼は背を向けた後だった。
「部屋にこもる。朝食はいらん」
機嫌が特別悪かったのだろうか。荒々しく階段を上がる音がどんどん遠ざかっていく。
扁桃体、前頭葉に強い反応あり。心拍数上昇、瞳孔拡大。興奮状態と判断。鎮静化させるためにしばらく一人の時間をとらせることを推奨。
ああ違う。やはりまだまだ調整が必要だ。油断すると「裏」の思考が出てきてしまう。私はミサで家庭用アンドロイドHC109ではない。ミサはそんな思考をしないのだ。
私は物真似が得意中の得意。今朝は失敗してしまったけれど、明日はきっと完璧に成れるはずでしょう。
さあ、こんな考えは終わり。「私」は退場します。彼に必要なのは無機質な家事ロボットではなく、愛おしい妻なのだから。
「まったく、あの人も困ったものね」
彼が降りてきたら、お気に入りのお茶でもいれて話でもしましょうか。私は微笑んで戸棚へと手を伸ばした。
眩い太陽が窓から差しこんだ。空は美しい青で鳥は軽やかな声で歌っている。こんなに気持のいい日は二人で散歩でも行きたいものだ。
「おはよう。お寝坊さんね。もう朝ごはんできてるわよ」
ああ、今日もあの人は笑わないまま。
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