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【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第二話

第一話はこちら。

第二章「奇妙な遺体」

「というか思ったんですけど、医者は全員カラドリウスがやればいいんじゃないですかぁ? あの鳥たちなら持っている袋に病気放りこんでお終いでしょ? 病を吸い取れるんだから。それかユニコーンの角から薬を作れば全部解決でしょうに」

 凍らせた小さな肉塊を薄く切っていたウィローが口を開いた。とは言っても大きなひとりごとのようなものだ。議論したいわけではなく、ただ思いつくままに舌を動かしているだけ。その証拠に視線が合わないどころか背を向けたまま話し続けている。
 そういえば今日はずっと組織切片を作らせていた。そろそろ休憩をとらせるべきか。パトロギは伸びをして立ち上がった。

「そうもいくまい。カラドリウスは数が少ないし、ユニコーンの角をとることも容易ではない。何より無理に乱獲しようとすれば捕まるぞ」

 ウィローが振り返る。灰がかった青が丸くなり、やがて弧を描いた。

「そんなことはわかっていますよ。でもちょっとは夢想しません? あ、でもそんなことになっちゃったら先生の仕事なくなっちゃいますねえ」
「それは困るな。私はまだまだこの仕事を続けたいんだ」

 肩をすくめてから扉に手をかけようとしたパトロギだったが、触れるより前に扉が開いた。

「先生のお仕事はなくなりませんよ。どんな時代になっても必要とされるお仕事ですから。……で、あなたはちゃんと仕事終わったのかしらウィロー」

 現れたのは書類を抱えたパフィンだった。パトロギに笑いかけてから一転、じろりとウィローの顔を睨みつける。対するウィローも顎を引き、目には剣吞な光が宿った。まさに争いの火蓋が切られるそのとき、治めたのは二人を見守っていたパトロギである。

「まあパフィン君待ちたまえ。ちょうど今から紅茶でも飲もうと思っていたんだ。いくら仕事が立てこんでいるからと言ってあまり根を詰めすぎるのはよくないからな。君たちは何か飲みたいものはあるかね?」

 穏やかな申し出に毒気を抜かれたのだろう。パフィンは咳払いをして遠慮気味に言った。

「では先生と同じものを」
「僕はミルクがいいでーす。あっ、でもあんまり熱くしないでくださいね。僕熱いの飲めないんで」

 ウィローは背もたれに身体を預けながら堂々と要望を述べる。相変わらずの気ままさだ。

「わかったわかった。では少々待っていなさい。あとパフィン君、事務室の戸棚にもらい物のクッキーがあるからそれもみんなで分けようじゃないか」
「それはいいですね先生」

 パフィンがにこりと笑った。

「はーやっと休憩休憩。もう肩が固まるかと思いましたよ」

 ウィローは肩を回し、パトロギの横を通りすぎてさっさと部屋を出ていく。
 そういえば給湯室内に置いてある茶葉と今日のお茶うけは合うだろうか。いまいちそりの合わない二人の関係を少しでも円滑にできるといいのだが。
 再び小言が飛び出そうになるパフィンの肩を叩いて宥めながら、パトロギは脳内で給湯室の棚に置かれている茶葉の銘柄を思い返していた。


 紅茶の上品な香りがカップから立ち上る。束の間、舌でぴちゃぴちゃミルクを舐める音と、容器がぶつかりあう微かな音が響いていた。

「にしてもなんであなたはここに来たのウィロー?」

 出し入れしていた舌の動きが止まる。丸い瞳孔がきゅっと細まった。

「なんでって、楽できるかなーって思ったからですよ」
「言っておくがうちはきつい仕事も多いぞ」

 パトロギが苦笑をこぼした。
 事実、依頼は日時を選ばず飛びこんでくるし、解剖も依頼内容によってはかなり体力勝負の仕事になる。楽したいならばまず選ぶ職場ではなかった。

「そんなことはわかっていますよ。冗談ですって」
「冗談ならもっと面白いことを言うものね」

 しかしパフィンの言い方はつっけんどんだが声音はやわらかい。手元には一口分齧られたクッキーがある。口に含んだ瞬間、顔をほころばせたので、持ってきたこちらも胸が暖かくなったものだ。
 ウィローは大きく息を吐いた。

「僕がここに決めたのは先生がいたからですよ」
「私かい?」

 パトロギは目を瞬いた。思わず見つめ返すと深く頷かれる。

「ええ。僕の前の職場は大きな病院だったんですけど、そこも結構いろんな種族の方が利用するんですよね。でも僕、ケットシーだからって軽んじる人も多くて。患者さんになめられるのも腹立つんですけど、同僚からも軽視されるんですよね。大きなドラゴンには文句言わないくせに僕にはちょっとしたことでも嫌味は言うわ、雑用を押しつけてくるわ。……なんかもう疲れちゃって」

 目を伏せるウィローはしおれた草花のようだった。二人は何も返す言葉がなかった。

「でもこの仕事からは離れたくなくって。だったら自分のところに戻れって話なんですけど、同族同士のいさかいですら嫌になっちゃって。ここならそういうのも少ないかなって思ったんです。だって先生、人間でしょ?」

 静寂が落ちた。パトロギは口元に微かな笑みをたたえた。

「そうだな。たしかに私は人間だ。だが人間だからと言って私が君の嫌いな人物でないとは言いきれないだろう」
「あ、そこは心配してません。先生の人柄は風の噂で聞いていましたし、何より僕の気持ちがわかるって言うのが一番の決め手なんで」

 あっさりと否定され、パトロギは苦笑いを深めるしかなかった。
 幻獣たちが住むこの国には「全ての種族に平等を」のスローガンに掲げているものの、実際には厳然としたヒエラルキーが存在する。中でも非力で特別な能力もない人間はその最下層に位置していた。そのため人間たちは国の端で息をひそめるように暮らしているのである。だからこそ病理医という立場に就いているパトロギは異端中の異端だった。

「でも私、先生が人間だからって卑屈だとか逆に憎悪を抱いているとか思ったことありませんよ? どんな種族だって先生は真摯に対応してくださいますもの」
「ありがとう。でも褒めても何も出せんよ」

 パトロギは頭をかいて、紅茶を口に含んだ。心地よい風味が口いっぱいに広がる。

「ええーそこは給料上げてくださいよぉ」

 にやにやとからかうウィローにパフィンの片眉がはね上がったそのときだった。
 突然施設が揺れ、風が窓を叩いた。窓を開けた瞬間、強風が部屋を駆け巡り、書類が宙に飛ぶ。唖然とする三人をよそに、風は縦横無尽に走り抜け、最後に一枚の封筒がひらりとパトロギの手に落ちた。

「それじゃちゃんと届けましたんで後はよろしく」

 緑のスカートをはためかせて風の精は再び窓から飛び去っていった。後に残るは軽やかな笑い声だった。

「まったく妖精連中のいたずら好きには困ったもんですよ。こっちの都合なんか考えやしない」

 ウィローが深いため息をつく。部屋は酷い有り様だった。整然と並べたてられていた書類は全て床に叩き落とされ、重たい医学書ですらあちらこちらに散らばっていた。中には一体全体どうしてそうなったのか本棚の上に乗っかっているものもある。竜巻に襲われたと説明しても誰も疑わないだろう。
 これからの後片づけを思い、三人の顔が一気に曇る。

「で、風の精に速達便頼むなんてどんなご大層な依頼なんですか先生?」
「待ちたまえ。今から確認しよう」

 紙に目を通していくパトロギの眉間が徐々に深くなる。顔を上げたパトロギは唇を舐め、重たい口を開いた。

「パフィン君、ウィロー君掃除は後回しだ。これからすぐに検体がやってくる。パフィン君はこの後送る予定だった検査結果だけを探し出してくれ。ウィロー君は私と一緒に準備だ」

 言い終わるや否や、パトロギは椅子を蹴って駆け出した。

「わかりました、先生。すぐに準備します」
「ええーせっかくの休憩がー……」

 パフィンも表情を引き締めて立ち上がり、ウィローは文句を言いつつもパトロギの後を追った。


「今回のご遺体はガルダの男性、グリドゥラさんだ。亡くなる一週間前に発熱、そこから体調不良が長引いていたが、突然倒れ、お亡くなりになられた。亡くなる数日前からはよく水を飲むようになっていたらしい。では始めよう」

 運ばれてきたのは鷲の鳥人であった。人間で言うならばちょうど十代後半から二十代前半の青年である。
 本来ならば太陽のように輝く身体は全体的にくすみ、目も落ちくぼんでいた。素人目にも何か異常が起きたのだということがわかる。
 パトロギは早速遺体の腹を開き、眉をひそめた。覗きこんだウィローが呟いた。

「……なんか白くないです?」

 血が固まり、赤黒くなっている臓器の中にぽつぽつと白い塊が浮かび上がっている。

「そうだな。これは石灰沈着を起こしているかもしれん。組織標本を作る必要があるな」

 組織に石灰がついているということは確認しなければならない臓器が一つある。パトロギは臓器や脂肪をかきわけ、背側に位置するある臓器を引っ張りだした。

「やはりか……」

 背中側の腰あたりの骨に面した平べったい三対の臓器が銀のバットの上にのせられていく。

「腎臓ですか。先生は痛風を起こしていると考えたんですね」

 覗きこんだパフィンが呟いた。

「ああ。亡くなる直前に多く水を飲んでいたということからも、腎臓の機能が悪くなったのではないかと思ってな。それから痛風を起こしている可能性があることから肝臓や心臓も取り出しておくぞ」

 肝臓や心臓は石灰沈着を起こした際に石灰がつきやすい臓器の代表例だ。慣れた手つきでパトロギは臓器をバットの上に乗せていく。

「にしても相変わらず鳥って僕らと身体の構造全然違いますよね。腎臓三対もありますもん」

 ガルダは鳥人であり、人間と鳥両方の特徴をもつが、どちらかと言えば鳥の要素が強い。これがハーピーなど人の身体に一部鳥の要素を含む種族であれば臓器のほうも人要素が強くなってくるのだが、全身が羽毛に覆われており、人のような腕をもつとは言えほとんど鳥のような見た目の幻獣では内部も鳥要素が強くなるのである。
 手のひらに乗る程度の小さな臓器にも白い粒がびっしりついており、病的に膨れ上がっていた。

「しかしこれだけでは一体何が原因なのかわかりませんね」
「ああ。腎臓に障害をもたらすものは多くあるからな。やはり組織像を見てみなければ。それから病院のほうにも一度問い合わせみよう。尿検査などでわかることもあるはずだ。それになぜここまで急いたのか理由も知りたいことだしな」

 わざわざ風の精に頼んでまで検査依頼をしてきたのだ。よほどの理由があるはずである。

「たしかになんか変な依頼ですよねえ。でも今日はもう上がりません? これの検査までやったら夜中過ぎますよ」

 壁にかけられた時計を見上げて、ウィローが言う。短針は円の左半分を過ぎたあたりを指し示している。

「……そうだな。あまり無理をしすぎるのもいけない。掃除と薬品固定だけ済ませて後は明日に回すとしよう」

 ただでさえ、風の精が余計な仕事を増やしてくれたのだ。できれば少しでも作業を推し進めていきたいところだが、ここ最近依頼が続けて舞いこんできており、身体の限界も近づいてきている。うめく関節を回し、三人は片づけを開始した。
 駆けこみの依頼に妙な遺体。嫌な胸騒ぎが気のせいであるといいのだが、とパトロギは天井を見上げた。白々とした明かりは常よりも冷たかった。

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