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【短編小説】曙鳥と御し手
元気が良すぎるのも考えもの。
朝を呼ぶ鶏とその世話役の話。
下記にある前回書いた「告夜鳥と癒し手」と同じ世界の話ですが、読まなくても読めます。
ドタドタドタと騒がしい足音が響きわたる。空に純白の羽が舞い上がった。
「曙鳥さまー! だからそっち行っちゃだめですって!」
街を駆け回るのは一人の青年と一羽の大きな鶏であった。
鶏は混じりけのない白い羽毛、目が覚めるような真っ赤な鶏冠、さらには人の腰ほどはある、鶏にしては大柄な体をもっていた。人々に鮮烈な印象を焼きつけながら、二人は風をきって走り抜けていく。
しかし奇妙な追いかけっこを見かけた人々は目を丸くするでも啞然とするでもなく、手を振ったり、声援を送ったり、どちらが勝つか戯れの賭けを楽しんだりしていた。
駆けている鶏はただの鶏ではない。この国の朝を告げる鳥である。そしてその後を追う青年は、鶏の世話役である御し手だ。
太陽を呼び起こす鳴き声と共に御し手の戦いは幕を開ける。
「早く止まってください! でないと……」
ドンと盛大な音が鳴り響いて羽が散った。青年は眉間をもんだ。
「ああ、もうだから言ったじゃないですか。そっちに行ってはいけませんって。最近新しい家が建てられたんですよ。近ごろはここの地区を回っていなかった曙鳥さまには知る由もありませんけど。ちょっとは前みて走ってください」
目を回して倒れこんでいる鶏の全身をさっと見渡し、異常がないことを確かめる。骨折などでもしたら大事だ。実際過去に骨を折った事例があるだけに、青年の目つきは真剣そのものである。
ひとまず明らかにおかしな曲がり方や大きな外傷は見当たらない。青年はほっと安堵の息をついた。
ぶつかった新築の家にもへこみはなく、塗り立ての赤みがかった土壁が朝日で鈍く輝きを放っていた。青年は胸をなでおろす。せっかく建てた家に鶏型のへこみを作ったとなれば、何度住民に頭を下げても申し訳なさがぬぐえなかったであろう。どの道、突然の衝撃で平穏な一日の始まりを壊してしまったことは謝らなければならないが。
しかしそれを除けば周りに飛散した羽毛の掃除だけで済んだのだ。運がいいほうだろう。
「あら曙鳥さま、また勢いあまってぶつかっちゃったのかしら」
通りすがりの婦人がくすくす笑いながら通り過ぎていく。嫌味のある笑い方ではなく、街中を遊び回る幼子をみるような微笑ましい笑みだ。青年は小さく会釈を返し、鶏の背に手を入れた。
「いつまでひっくり返っているんですか。ほら起きてください」
ぱち、と金に縁どられた黒が瞬く。ぼんやりしていた焦点が定まり、青年を認めた瞬間、白い塊が勢いよく跳ね上がった。青年はぶつかる寸前でそれを躱し、深いため息を落とす。
びく、と塊が震えて首を引っこめた。うるうるとした瞳で上目づかいをされれば、小さな子どもを虐めているようで決心が揺らぐが、ここで甘やかしても曙鳥のためにならない。青年は心を鬼にして、厳めしい顔を作った。
「曙鳥さま、元気がいいことは大変よろしいことですが、もっと周りをみてくださいと再三忠告申し上げたはずですが?」
朝一番に響かせる声とは似てもつかないか細い声が空気に溶けた。普段ピンとたっている鶏冠はへたり、大きな体を縮ませてちらちらとこちらをうかがっている。いかにも反省しています、と言わんばかりのしおらしい態度だ。
本当に素直なところは美点なのだが。青年は嘆息をついた。
「曙鳥さまのおかげで今日も太陽が昇り、民たちもいつもと変わらぬ朝を迎えることができました。それは常日頃から感謝しているところでございます。その上、毎日街を見回ってくださるおかげで、民から曙鳥さまの元気をもらっていると好評をいただいております。そのことについてはどれほど感謝申し上げてもしきれません」
心をこめて腰を折る。項垂れていた頭がぴくりと上がり、瞳に輝きが増した。
「ですが」
低い声が青年の口から滑り出る。一気に冷えこんだ空気に鶏が固まった。
「何度そのお体を危険にさらせばよろしいので? 前も同じようなことで怪我をなさっていたでしょう。こうも不注意が続くようであれば私どもも考えなければなりません」
鶏の顔から血の気が引いた。
「告夜鳥さまのようにお役目が終わりましたら、お部屋で羽休みをしつつ民の営みを見守ってくださるのなら、私どもも気が楽ですが、曙鳥さまではそうはいかないでしょう。あなたさまは体を動かしているほうがお好きですからね。ですが、その体に何かあれば悲しむのはあなたさまが最も愛しているこの国の民でございます。民もあなたさまも悲しませぬようにするのであれば、些か強引な手段をとらせていただきますよ」
途端に鶏が抗議の声を上げた。再び空に白が舞う。夜の闇を蹴散らすたくましい足が地面を何度もえぐった。青年は鶏の暴れっぷりも意に介さず、一つ息をついた。
「まあ今日は見逃しますが、次このようなことが起これば流石に目をつぶることはできませんよ」
鶏がぽかんと口を開けた。
「なにを呆けているのですか。そろそろ部屋に戻りますよ。いつまでも街中を飛び回っていたら、往来の邪魔になりましょう」
手招くと鶏は上機嫌に住処の塔に向かって歩き出した。前方で揺り動く、形のよい三角形の尻を眺めながら青年は密かに息を吐き出した。
夜の訪れを知らせる孔雀、告夜鳥の世話役である癒し手に求められるのは彼の繊細な心に寄り添う気遣いと優しさだ。対して曙鳥の世話役である御し手に求められるのは第一に体力である。
曙鳥はこの国の朝を呼び起こす存在なだけあって、非常に活発な鳥だ。国の端まで通る声が太陽を起こすと共に曙鳥は窓から街に飛び出していく。
純白の羽が舞うたびに空は鮮やかな青色に染まり、頑丈な足が空を蹴るたびに夜の気配が散り、ひと声鳴けば陽光が射しこむ。
それは壮観な光景であったが、御し手には曙鳥が起こす奇跡に見とれている暇はない。街に繰り出した鶏の後を追わねばならぬからだ。
御し手としての主な役割は、この元気いっぱいの鶏が持て余した体力で事故や面倒事を起こさないよう見守ることである。如何せん集中力が散漫ぎみなのだ。すぐに興味の対象が映り、左側の店をみていたと思えば、次の瞬間には右端の子どもたちを駆け寄っていたなんてことはざらにある。
曙鳥の最も強力な武器である、足についた鋭い爪で人を傷つけたことはないにしろ、衝突事故は何度も起こっている。たいていどちらも無傷か、せいぜいかすり傷程度で済むのだが、鳥の骨は脆い。当たりどころが悪くて空を翔けられないとなればこの国に朝はやってこなくなる。
そうなれば夜ばかりで人々の気分が沈み、それに心を痛めた告夜鳥が気を病むという悪循環に陥ってしまうことにもなりかねない。最悪の事態を防ぐため、御し手たちは毎朝奔走しているのだ。
「それにしても、いい加減この役職名を変更してもらえないものか……」
青年はひとりごちた。
御し手、なんて名前がつけられているが、実際この鶏の手綱を握れている人間を青年は見たことがない。いつだってこちらは無尽蔵な体力をもつ鶏に翻弄されてばかりで、嵐の海の表情よりも浮き沈みの激しい無邪気な暴君を御せたことは一度もない。
『でも辞める気はないんだろう?』
脳裏をかすめたのは友人の顔。その目は見透かしたように笑っている。青年は鼻を鳴らした。
当然だろう。朝を告げる凛々しい横顔と蓋を開ければ現れる無邪気で幼い子どものような無垢な一面。とっくに大人になっている体と内面の純真さがアンバランスで、そこが魅力の一つなのだ。そう答えれば、友人はすっかり骨抜きじゃないか、と笑みを深めて、そうそう鳥といえば、と自分が世話をしている孔雀の話を始めたのだ。
苦労にみせかけた自慢話に思わず躍起になって言い返し、半日ほどくだらない議論を繰り広げたことは記憶に新しい。
(まあ癒し手も癒し手で苦労があるだろうしな……)
青年は知らず知らずのうちに苦笑していた。
告夜鳥の柔い心は本当に些細なことでも傷つくという。上手くくるみこまなければ、逆に傷をつけることになりかねない。こちらとはまた違った気配りが必要となる役職だ。憂いを帯びた孔雀の横顔を思い出し、友人は今晩もかの鳥の心の棘をとることに苦心するのだろう、とぼんやり思った。
ふいに曙鳥が足を止める。こちらをまんまるの瞳がじっと見据えていた。
「どうなさいましたか、曙鳥さま」
鶏は無言で近寄ると、足をつつき始める。加減はされているので血が出るほどではないが、それでも痛みがあることには変わりない。押しとどめようと手を広げたが、つつきは一向に収まらなかった。今までじゃれ合いの一環でつつかれたことはあっても、こちらが停止を訴えればすぐにやめたというのに、今日は虫の居所が悪いのだろうか。
「ちょ、ちょっとどうなさったのですか」
じろ、とこちらに向けられる視線に非難の色が混じっているのを見、青年は目を瞬いた。
「もしかして私が曙鳥さまに呆れ果てて御し手の役を降りるとお思いで?」
鶏はそっぽを向いた。が、誰がみても拗ねていることは明白だ。青年の顔にじわじわと笑みが広がっていった。
「ご安心ください。私は曙鳥さまが愛想を尽かさない限り、ずっとお傍におりますよ」
曙鳥はそっぽを向く。振り返りもせず、歩いていくその仕草は一見冷たくみえるかもしれない。しかしその足取りは常よりも軽やかだ。
青年は今度こそ声を上げて笑った。
曙鳥の部屋は告夜鳥よりもずいぶん質素だ。何より物がない。告夜鳥の部屋には職人たちの意匠を凝らした調度品が多数置かれているが、曙鳥の部屋には寝床用の干した藁が山と積まれている他には、壁に備えつけられた数本の止まり木と水飲み用の桶、餌用のかごしかない。なにぶん曙鳥の元気がよすぎるので、下手に物を置きすぎると怪我の原因になりかねないからだ。
だからといって手を抜いているわけではない。少しでも傷をつけることにならないよう最低限置かれた家具たちは厳しい検査をくぐり抜けているし、干し藁は太陽の光をたっぷり浴びたものを使用している。
青年が扉を開ければ曙鳥は一目散に藁束の山に飛び乗って体を丸めた。青年は鶏の動向を注視していたが、藁を散らかす気配もこちらに視線をよこすこともない。青年は肩の力をぬいた。今日は大人しく仮寝してくれるようだ。
「では私はここにおりますので、何かありましたらお申しつけください」
返事をするように、ひと声山の中から返ってくる。
どうせ昼頃になればまた窓から街へと繰り出していくのだ。青年は壁にもたれかかって暫しの休憩を楽しむことにした。