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【小説】幻獣病理医パトロギの事件簿 第五話

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第五章「法医学者サーナ」

「やあパトロギ。久しぶりだな」

 無機質な金属のワゴン台の上に腰かけていたのは雪のように真っ白な鳥だった。首回りが周囲とは対照的に黒く、コントラストを際立たせている。同じく夜色の足には袋が一つ。年季の入ったそれは重力に従って床にうずくまっていた。

「……サーナさんってカラドリウスだったんですか?」

 ウィローが耳打ちする。頷くと灰がかった青に好奇が浮かんだ。カラドリウスならば法医学者ではなく、医者になればよかったのに。今にもそんな声が聞こえてきそうだ。
 パトロギはウィローが不躾な問いを口にする前に挨拶を返した。

「サーナ、久しぶりだな。今回は無理な願いを聞いてくれてありがとう」

 差し出された翼を軽く握る。手触りのよい暖かな塊の中に細い芯のある独特の感触がした。

「いやいや、元はと言えば君の依頼だったんだろう? むしろこちらが奪い取るような形になってしまって悪かったな。彼らは正義感が強いんだが、如何せん熱くなりやすくてね。少々手荒な手段でそちらを驚かせてしまっただろう?」

 やや声を抑えながら、こちらをうかがうように黒々とした瞳が見上げてくる。パトロギは許しの代わりに微笑みを浮かべた。

「少々と呼ぶには豪快すぎたような気もしますけどね」
「ウィロー!」

 憎まれ口を叩くウィローにパフィンが肘で小突く。サーナはただ苦笑いを深めただけだった。

「それでもう一度見せてもらうことはできるのかね?」
「すまない。それはさすがに許可が下りないんだ」

 パトロギの喉が鷲掴みにされたように閉まった。
 想定内の返しではあったものの、一縷の望みをもっていたのも事実だ。しかし当然の答えでもある。まったくの部外者であるパトロギに情報を伝えることは、下手をすればサーナ自身が職を追われてしまうことになりかねない。

「そうか。時間をとらせてしまってすまなかったな」
「まあ待ちたまえ。せっかく来たんだ。お茶でも飲んでいくといい」
「いや結構……」
「飲んでいくだろう?」

 サーナはくるりと背を向け、隣の給湯室に向かっていく。三人は顔を見合わせ、おずおずと用意されたパイプ椅子に腰を下ろした。給湯室の手前でふいにサーナが足を止めた。

「ああ、そういえば君がよこした便りが急だったものだから、まだ部屋の整理もできていないんだ。もしかしたら診断書がそこらへんに置いたままかもしれないなあ」

 わざとらしく大声を張り上げ、ウインクまでよこしてきた。その意図がわからないほどパトロギも鈍くはない。

「それは本当か!? いやしかしな……」

 思わず椅子を蹴って立ち上がったパトロギだったが、その足が一歩を踏み出すことはなかった。
 彼がどれほどの努力をもって今の地位を手に入れたか知らないわけではない。友の立場を危うくしてまで行うべき行動だろうか。
 立ちすくむパトロギにサーナはため息をついた。

「私が今回、危険を承知で君に情報を流す理由はただ一つ、君が自由に動き回れるからだ。私はどうしても場所が固定されてしまうのでね。それに違う視点から見たほうが真実に近づくのも早まるだろう?」

 言いたいことだけ言い放ち、サーナは給湯室に入ってしまった。水音が漏れ聞こえてくる。

「先生、ここまでしてもらって応えないほうが不誠実な気がします」

 袖を控えめにつまんで、パフィンが言った。

「そうですよ。先生が行かないなら僕がとってきますからね」

 脇を通り抜けたウィローは遠慮なく部屋を探り始めた。

「待ちたまえ。そんな分かりにくいところには置いていないんじゃないか?」

 真っ先に奥の戸棚の、分厚いファイルに手を伸ばしたものだから、慌ててパトロギは引き留めた。

「そうですかぁ? めちゃくちゃ機密情報が載ってそうじゃないですか、これ」
「いやうっかり他のものまで見てしまったらそれこそ大事おおごとだろう。せっかく不慣れな芝居まで打ってくれたんだ。もっと分かりやすいところにあるはずだと思うがね」

 結局目的のものはサーナが座っていたワゴン台の上にあった。ためらう手に診断書を押しつけられ、ようやくパトロギも腹を決めた。
 紙にざっと目を通す。やはり肉眼検査所見はパトロギが下したものと一致していた。
 サーナは人数分の紅茶をいれた盆を置いた。自分のところで使っているものよりもずっと口の小さく、背の高いカップからは爽やかな柑橘系の香りが立ち上っていた。

「君は今回の事件、バジリスクが仕組んだと思うかね?」

 低い声で問いかけられる。パトロギは顎に手を置いた。

「いや私はそうは思わないな。バジリスクの毒にしてはあまりにも神経の病変が少ない。神経毒ならばもっと神経系に異常が現れるはずだ。それに全身にわたってみられた石灰沈着も気になる。あれは痛風の病変だ」

 サーナも深く頷いた。

「それは私も気になった。蛇の毒で痛風に似た病変が現れるなど聞いたことがないからな。遺族に断って羽毛を全部剃って毒物を注入した跡が残っていないか調べたが、それらしい傷跡も残っていなかったものでね。毒素が検出されないか今は検査結果待ちだが――正直警察や世間が望むような答えはでまいと思っているよ」
「でもそれじゃガルダも世間も納得しないでしょ。だってもう毎日そのことでいっぱいですよ。紙面も一番大きなところ飾って、あることないこと吹聴してるし」

 サーナとパトロギはそろってため息をついた。

「だろうな……。もし蛇族以外の真犯人がいるのならば早急に見つけ出さねばならない。今蛇系の幻獣たちが置かれている状況は知っているだろう?」

 亡くなったガルダの青年が蛇たちに歩み寄りをみせる穏健派だったこともあり、多くの幻獣たちはガルダに同情的であった。そして、それは同時に怒りに転じ、疑惑をかけられたバジリスク、および蛇系の幻獣たちに牙をむき出したのである。
 連日の報道で蛇たちはすっかり悪者だ。パトロギ自身、街中で蛇系の子どもが他の子どもたちにつつき回され、追いかけ回されていたり、飲食店で蛇系の幻獣お断りと書かれた貼り紙を見かけたりしている。身体を縮こまらせて足早に歩き去る後ろ姿は痛ましいものであった。

「精密検査はまだ完了していないのでね。検査結果は後ほど知らせるよ。ま、ないとは思うがくれぐれもこのことは内密に」

 いたずらっぽく笑ったサーナは突然表情を落とした。

「この事件の真相は早く解き明かさなければ大変なことになる。頼むよパトロギ。君にしかできないことだ」
「ああ、もちろんだとも。私も中途半端な状態で終わらせるのは気が済まない。必ずや原因を解き明かしてみせようじゃないか」

 一対の瞳をしっかり見据えて、パトロギは宣言した。

「ではそろそろお暇しよう。長居しても不審に思われるだけだからな。ありがとうサーナ。私のほうでも何かわかったらすぐに連絡する」

「ああ。頼んだよパトロギ。君の腕を信用しているからな」

 首を縦に振って、パトロギは背を向けた。ドアノブに手をかけたとき、ふとパトロギは振り返った。

「そういや君が使いによこしたフェニックスだが、鳩扱いするなとずいぶんお冠だったぞ」
「それは大変だ。彼は怒らせるとしばらく根に持つんだ。どこかで奢るなりしてご機嫌とりをしなくてはな」

 サーナの笑い声を背にパトロギは今度こそサーナの部屋を退出した。


「にしてもカラドリウスが法医学者やるなんて才能ドブに捨ててません? 医者やればもてはやされただろうに、なんでわざわざ死体を相手に選ぶかな」
「それは彼自身の意思で決めたことだ。わざわざ私たちが口に出すことではないよ」

 そんなことは本人いや本鳥が一番自覚しているはずだ。常に彼は真っ直ぐ前を向いていたが、どれほどの雑音が投げかけられたのか想像に難くない。

「でも同期なんですよね? なんか聞いてないんですか?」

 ふむとパトロギは記憶を巡らせた。
 サーナと会ったのは医学校の図書館だ。病理医と法医学者はアプローチの仕方は違えど、使う教科書は同じもの。無論教科書だけでは補えない知識があるから図書館に足を運ぶわけだが、やはり身体のつくりを診る行為は共通のため、借りる本も似通ってくる。何度か顔を合わせるうちに顔見知りになるのは必然のことだった。

「君は何を目指しているんだい?」
「病理医だが。もしかして君も同じかい?」

 つぶらな瞳を瞬かせた後、サーナはふっと笑みをこぼした。

「できれば法医学者になりたいと思っているんだ。それが無理だったら病理医だね」
「そうか。いい夢じゃないか」

 再び本に目を落としたパトロギに遠慮がちな声が降ってきた。

「君は、疑問に思わないのかい?」
「何を?」

 求めていた情報にようやくたどり着いた。端が黄ばんだページに並ぶ文字を指で辿る。なるほど。つまりこの前の症例でみられた腎臓の尿細管上皮細胞の変性は中毒によるものだったのか。それにしても腎臓の中にある管一つとってもいくつも原因が出てくるのだから奥が深い。

「私が目指す方向性だよ。……カラドリウスなのに臨床医を目指さないのか、とかさ」
「そんなことを言えば私は人間だぞ? 君は人間だから幻獣を診るな、同族だけ診てろとでも言うのか?」

 パトロギは顔も上げずに返した。
 カラドリウスは病を吸い取り、苦痛を癒しに変える神聖な鳥だ。それこそ臨床医になればさぞかしありがたがられることだろう。
 だがパトロギの目は分厚い本の文章たちに釘づけだった。サーナは息をのみ、ゆっくりと首を振った。

「いやまさか。人間にしてこの学校に入ってきたのは中々勇気ある行動だと思うよ」

 この学校に在籍する人間はパトロギただ一人だ。過去にも事例がないとは言わないが、人間自体が珍しいのは事実である。ヒエラルキー最下層の人間は軽んじられることもしばしばで、直接侮蔑に近いからかいが投げられるのも日常茶飯事だ。同族を診る医者になるのであれば人間が住む区画から出なくてもやっていけるので、わざわざ不利な環境に身を置いてまで学びを求める必要がないのも拍車をかけているのだろう。
 それでもパトロギはこの学校を選んだ。己の好奇心は人だけにはとどまらなかったから。
 街中を闊歩する二足歩行の獣、鳥、トカゲ。空を飛んだり地を掘ったりする小人や妖精、或いは二つ以上の動物が組み合わさった生き物たち。どれも摩訶不思議で魅力的な者たちばかりだ。天辺から爪先まで、彼らのを構成する全てが知りたい。一体どのような構造があれば炎が吹けるのか、空を飛べるのか、どんな生物も死に至らしめる毒を持てるのか。その何もかもを。
 それを話すと彼は丸い瞳をさらにまんまるにして身を乗り出した。

「たしかに魅力的だな。わかるとも。私もそれが知りたくてこの道に進んだんだ」

 気が合いそうだと手を掴んで揺さぶる彼の顔には既に暗雲は消えていた。上機嫌にさえずる美しい旋律を聞きながらパトロギは再び文字を追った。
 思えば彼が弱音を吐露したのは後にも先にもそのときくらいであった。
 彼は周囲の反対を押し切って、夢を掴み、パトロギの就職活動にも力を貸してくれた今でも良き友である。

「まあそうだな。強いていうならば、似た者同士ということさ」
「えーなんですかそれ? 答えになってないですよぉ」

 たちまちウィローの顔が曇った。尻尾を足に絡みつけさせながら腕を引っ張ったり、猫なで声で情報を引き出そうとしたが、何をやっても微笑みしか返ってこないとわかるや否や身体をあっさり離して小石を蹴り出した。

「こらウィロー、危ないからやめなさい」
「先生が教えてくれたらやめますぅー」

 顔を背けてウィローは小石を弄んでいる。

「まったく子猫じゃないんだからやめなさいよ」

 パフィンの呆れ声が背後から飛ぶ。パトロギはたまらず口元を緩めた。

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