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【小説】回想、あるはなについて(1) 山百合

「不完全なワンダーランド」にでてきた妖怪はなの過去話。読んでいたほうが分かりやすいですが、少し文字数があるのでお暇なときにどうぞ。

妖怪と一人の少女の花にまつわる友情物語。

「ああ、もうこんな時期?」

着物姿の少女は足を止めた。鼠色の衣が風に揺れる。見渡す限り広がる田畑のあぜ道に赤い花がぽつぽつと咲いている。冠のような特徴的な花弁が空に向かって開いていた。

「はな様?」

少女の足元から成人男性ほどの真っ黒な人影が顔を出した。影に尋ねられて少女は微かに微笑む。

「いや、ちょっとね」

指差した先を見て影は声を落とした。

「……そうですね。もうそんな時期ですね」
「今年こそ会えるかな」
「どうでしょうね」

曼珠沙華、地獄花などとさまざまな呼び名を持つ彼岸の花。これを見るたびに親友の声がよみがえる。

『必ず会いにいきますから』

「約束したもんね。そうでしょ、いっちゃん」

少女は微笑んで、回想にふけった。


彼女と会ったのは緑豊かな山の中だった。蝉の声が雨のように降り注ぐ薄暗い森の中、いくら木陰とはいえ湿気は遮ってくれず、張りついた襦袢が気持ち悪い。沢で水遊びでもしようかと考えたそのときだった。

蝉の大合唱に混じってガサガサと葉擦れの音が響き渡る。明らかな異音にはなの足が止まった。

見上げると、枝葉が大きく揺れている。目をこらせば、裾をたくし上げた少女が枝にまたがって、何かを取ろうとしているところだった。

「そんなところで何してるの?」

声を張り上げ、少女に呼びかける。葉っぱをつけた顔が枝の間からひょいと現れた。

「ああ、私? ちょっと待って」

彼女は猿のように降りてきた。そのまま歩を進めてこちらの前にずいっと手を突き出す。手の中にある黒光りのものは――

「クワガタムシ?」
「そう。立派でしょ」

彼女は誇らしげに答える。その体は擦り傷だらけでお世辞にもいい格好とは言えない。

「たしかに大きいけど、女の子がそんな格好してちゃダメじゃない。親御さんに怒られちゃうよ」

彼女は盛大に顔をしかめた。

「あなたも他の大人たちと同じこと言うわけ? 今しかできないんだからほっといてよ」
「でもあなたいいところの子でしょ? 余計に心配するんじゃない?」

この辺りの子供にしては背筋に板でも入っているように真っ直ぐで、所作も上品さを感じさせる。大方ここの藩主に仕えている武士の子といったところか。

「……よくわかるね」

彼女が苦虫を嚙み潰したような顔になる。はなは苦笑した。

「そりゃ長く生きているもの」
「どういうこと? 私よりも年上だとは思えないけど」

少女は怪訝な顔をする。はなは内心あちゃーと額に手をあてた。

しまった。またやっちゃった。最近人間たちと関わってなかったから、すっかり年下に接するような態度になってしまった。

「ま、まあちょっと人より人生経験豊富だからだよ。ところであなたのお名前は?」
「普通自分から名のるべきじゃない?……私は一女 いちめ。あなたは?」

納得はしてないものの、彼女は素直に名のってくれた。

「私ははなっていうの。よろしくね、いっちゃん!」
「いっちゃん?」
「一女ちゃんのあだ名! いいでしょ?」

一女の眉間に皺がよる。だが念押しするように笑いかければ、彼女はため息をついて了承した。

「ところであまり見かけない顔だけど、はなはどこから?」
「あっちのほう!」

山の奥を指さす。噓は言っていない。たしかに昨日、山を超えてここまで来たのだから。

「じゃあ山の向こうの村から来たの? ここまでくるの大変だったでしょ」
「まあ、そうだね」

はなは曖昧に笑った。故郷は遥か彼方にある。もう二度と戻れない愛おしいあの場所。懐古の情と後からこみ上げてきた苦い痛みを押し隠してはなは尋ねた。

「いっちゃんのほうこそ大丈夫? ここ、けっこう奥だよ? 猟師さんですらあんまりこなさそうなのに」
「それははなも同じでしょ」

そこで一女は声を潜めて、顔を近づけた。

「それにここ、カブトムシやクワガタムシの穴場なの。ここらじゃ、あんまりお目にかかれない立派なものが獲れるんだ」

彼女はにやっと笑う。はなは眉をひそめた。

「でもこんな山奥じゃ危ないでしょ。獣に襲われたらどうするの? ……妖だってでるかもしれないよ」
「そこは大丈夫。わざと足音を立てれば獣は向こうから避けてくれるし、私、力強いから。村では一番だもの。もう片方については出るっていう噂すら聞いたことないし」

一女は自信満々に答える。はなは思わず苦笑いをこぼした。
今、その妖が目の前にいるんだけどな。そう言ったらこの子はなんて返すのだろう。

「とにかく、もうこんな奥まできちゃダメだよ! 危険がいっぱいあるんだからね」
「はいはい」

語気を強くして彼女に言いつのったが、彼女は手をひらひらと振っただけであった。

「それよりもさ、はなはよくこっちに来るの?」
「え、ううん。今日来たのが初めてだけど……」

急に話を振られてはなは考える間もなく、馬鹿正直に答えてしまった。すると、一女は顔を輝かせる。

「じゃ、いいもの見せてあげる」

一女ははなの手を掴むと、ずんずん歩き出した。

「え、ちょっと、どこに?」
「みてのお楽しみ!」

彼女の足取りは緩まるどころか速くなっていき、目的の場所にたどり着いたときには、はなは息が切れていた。

「もう、なんで、そんなに、急ぐの?」
「ごめんね、これ見せたくて」

顔を上げて、はなは感嘆の声を漏らした。

「すごい、こんなところあったんだ……」

明るい林の根元には、白く華麗な花が咲き乱れていた。暗めの濃い緑に純白がよく映える。風がそよぐたびに甘い芳香が鼻をくすぐった。

「こんなにたくさんの山百合が咲いているところ初めてみた……」
「ね? すごいでしょ? ここも私が一番に見つけたの。やんちゃ坊主の三郎や平太よりも先に見つけたんだからね」

一女は誇らしげに言う。はなはただただ頷いた。

「うん、本当にすごいよ。こんな光景、なかなかみられないもん」
「でしょ?」

と、不意に一女がはっとこちらを見た。

「ところで時間大丈夫? あんまり長くいると、帰るとき日が沈んでしまうかもしれないから、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
「えっ? ああ、そうだね?」

正直に言うと、自分のねぐらは決まっていないのだから、別に時間なんて気にしなくてもいいのである。
夜は人でないものが闊歩する時間だが、はなは元々そちら側なのだから夜、山道を歩こうが何の心配もない。だがそれは胸の内にとどめておく。

「うーん、じゃ、いっちゃんを村まで送り届けたら帰るよ。今日はありがとね!」
「それじゃ、帰るの遅くならない? いいよ、私ここらへん詳しいから」

案の定彼女は渋った。しかしこちらもここで引く気は毛頭ない。

「いいから、いいから。こんな可愛らしい子を放って帰ったなんて言ったら、怒られちゃうからさ」

守るべき人間を放って帰るという頭ははなにはないのだ。そんなことした日には、亡き育て親が顔を真っ赤にして雷を落とすだろう。

「いや、はなも私とほとんど変わらないし、むしろ年下だと思うんだけど……」
「ほら、帰り道はどう行くのか教えてよ、いっちゃん」

ぐいぐいと彼女の腕を引っ張る。先ほどとは立場が逆転していて、なんだかおかしくなってきたはなは笑って駆け出した。


「ここがいっちゃんの村? 大きいね。村というより町みたい」
「まあ、一応小さいながらも藩主様がいるところだからね。それなりの賑わいはあるよ。他の藩から見たら、かなりの田舎らしいけど」

整備された道にはそれなりの人々が行き来している。並ぶ茅葺屋根も、数えるには一日中かかるであろうほどはあった。ただし一歩道を逸れれば、緑豊かな山々が広がっているのもまた事実。

「まあ、このくらいなら田舎というほどの田舎でもないんじゃない? 江戸と京の都を除けば、どこも大体一緒でしょ」
「大雑把すぎるでしょ、それは……。ここと一緒にされるのは御免こうむると方方 ほうぼうから言われそう」

わざとふざけたように明るく言えば、呆れた視線が返ってきた。

「じゃ、ここら辺で私はそろそろお暇しようかな」
「気をつけてね」
「また会ったら、遊ぼうね!」
「うん、またね」

笑って返すと、彼女も笑顔で手を振った。はなも手を振り返して、その場を後にした。


「ねえ、ここらへんに廃村になったところとかない? 廃村じゃなくてもある程度畑を耕せる場所」

森を歩きながら、影に問う。

「はな様、しばらくここに住むおつもりで?」
「うん。だっていっちゃんっていう友達できたからね」

はなの答えに影はため息をついた。

「やがては気づかれてしまいますが、よろしいので?」
「それはいつものことでしょ」

視線もよこさず、はなは事もなげに返した。影は先ほどより大きなため息をつく。

「わかりました。はな様がそれでよろしいのであれば、仰せのままに」

恭しく一礼すると、影は消えた。途端に空虚な静けさが訪れる。

「さーて、まずは今日の寝る場所を探さなくっちゃね!」

人気のない森に、殊更明るい声が不自然なほど大きく響き渡る。しかしそれもすぐに木々のさざめきの中に消えていってしまった。

「……今度はいつまでもつかな」

ぽつりと呟くその顔は、普段の笑顔が抜け落ち、恐ろしく無表情だったことに本人すらも気がついていなかった。


「いっちゃん、おはよう!」

声をかけると小さな身体がぱっと振り向いた。

「はな、おはよう。昨日は大丈夫だった?」
「うん。無事に帰ることができたよ。ところでいっちゃん」

笑みをたたえたままずいっと距離を詰める。

「昨日、奥は危ないっていったよね? どうしてその道に入ろうとしているのかな?」

一女が足を踏み入れていた獣道は昨日出会ったあの奥地へと続く道だ。にこにこしながら問うと、彼女は明後日の方向に視線をそらした。

「あーえーっと、これはちょっとね……」
「いっちゃん?」
「はいはい、やめればいいんでしょ、やめれば」
「うん、そうだよ」

手を離さずに真顔で頷く。彼女は不貞腐れたように頬を膨らませた。

「でもさ、あそこ本当に大きなカブトムシやクワガタムシがとれるのに」
「それでケガしちゃ意味ないでしょ。何かあってからじゃ遅いんだから」

このような山奥では何者かに襲われたとしても助けを呼べない。それに今はいないにしても、自分のような人ならざる者は人気のないところを好む者も多いのだ。
𠮟りつけるはなに一女は口をとがらせて呟いた。

「そういうはなだって、一人で山越えてきているから一緒でしょ」

思わず深いため息が漏れる。

「私は山の歩き方を知っているし、ちゃんと対策しているもの」

生まれ故郷にも大きな山があった。そのためもちろん山には慣れている。それに今まで様々な地方を回ってきているのだから、少なくとも目の前の一女よりは経験はあった。それ以外に関してはそもそも自分自身が人外であるので問題ない。

だがそんなことは知る由もない一女は首をかしげた。

「対策? どんな?」
「まず、お守りとお札でしょ。あとこれ」

ひょいと懐からだしたのは小ぶりの小刀であった。鞘に収めているとはいえ、あまりにあっさりと刃物を出したので、一女はぎょっとする。

「はな、そんなもの持っていたの?」
「意外と便利だよ。賊とか驚いて逃げていくこともあるし、邪魔な枝とかも切ることができるしね」
「そ、そうなんだ」

若干引かれてしまったのは悲しいが、はなは知らないふりをして話を進めた。

「いっちゃんは何も持っていないでしょ? だからやめときなよ」
「わかった。もう入らないようにする」

深々とため息をついて、一女は両手を上げた。

「わかってくれればそれでよろしい」

わざと尊大な態度で返すと、一女は吹き出した。

「ふふっ、なにその態度」

そこでふいに一女は視線をはなの手元に移した。

「ところでその小刀はいいとして、他二つは役に立つの?」
「もちろん役に立つよ! とんでもなく強いものなんだから。そこらの妖なんてへっちゃらだよ」
「えー、たしかにここらへんじゃ見ない模様や文字が書かれているけど、そんなにご利益あるものかなあ」
「失礼な! ちゃんと効果あるんだよ」

何度言っても、一女は疑いの目を向けたままだった。事情を知らない一女には無理のないことだが。

たしかにお守りのほうは大した力はなく子供騙しみたいなもので、持っているのは単に自分の見た目に合わせただけである。しかし陰陽師や僧のようなこちらの世界の知識がある者の目も誤魔化しやすいという利点があった。

もう一つのほうは見る人が見れば目を見張るほど強いものだ。なにせ自分の育て親が作った札なのだから。これは自分に憑いている“彼女”に何かあったときのためにもらったもので妖に対して使うつもりはないが、弱いものであれば、見ただけで尻尾を巻いて逃げ出すだろう。

「で、今日はなにする?」
「うーん、はなに虫捕りは止められちゃったから、田んぼで蛙とりでもする?」
「えっ、いっちゃん蛙とるの?」

その言葉に一女はにやりと笑う。

「なに? はなは蛙苦手?」
「ち、ちがうけど、着物汚れちゃうんじゃ」
「あとでちゃんと自分で洗うから大丈夫! ほらいくよ」

一女はこちらの手を掴むと風のように駆け出した。

本人の申告通り一女はとても上手かった。面白いほどよくとれる。とれた蛙はどんどん増え、両腕で抱えるのもそろそろ難しくなっていた。

「いっちゃん、そろそろやめようよー。もう捕りつくしたでしょ」

といった瞬間、またゲコッと哀れな犠牲者の声が聞こえた。

「おうおう、さすが一女だなあ」
「またやってんのか、あの男女は」
「なに? 私に腕相撲で負けたからって負け惜しみ? 三郎」

歓声をあげたり野次を飛ばしたりと、知らず知らずのうちに集まっていた男の子たちに一女が叫び返す。

「え、君のほうが年上そうなのにいっちゃんに負けたんだ」

傍に立っている三郎と呼ばれた少年はよく日に焼け、がたいもいい。こぼれ落ちた言葉が聞こえたらしく、彼は顔を真っ赤に染めた。

「な、今日こそ勝ってやるんだよ」
「今日も負けると思うよ」
「一女、思いっきりやってやれよ」

周囲の子供たちは一女が勝つことを確信しているのか、三郎を応援する声は一つもない。少し哀れに思ったはなはそっと君もがんばってね、と付け加えた。

すっかり衣を泥だらけにした一女はその後、着替えもせずに三郎との腕相撲に臨み、見事圧勝した。その鮮やかさにはなも一緒になって歓声をあげてしまったほどだ。

「本当にいっちゃん力すごいんだね。私、びっくりしちゃった!」

すごい、すごいと興奮して伝えると、一女は頬をかいた。

「昔っから強かったんだ。ここじゃ一番だよ」
「じゃあ武芸にも秀でてそうだね」

口にした瞬間、一女の顔が曇る。

「どうしたの?」
「……私もやってみたかったんだけどね、一度盛大に相手の子を負かしちゃってから、お父様が駄目だって。お前は女なんだから、そんなことより裁縫の一つでも身につけろって。お母様が私を産んですぐ亡くなったから、余計そういうのに口うるさいの。お作法とかつまらないからよく抜け出してここに来ちゃっているけど」

ぐっと天に腕を伸ばして、一女は叫んだ。

「ああ、ほんっとうに窮屈! 学問も私の好きな漢文じゃなくて、礼儀とか歌とかそんなのばっかりだし。寺子屋の先生もさ、もっといろんなこと教えてほしいのに簡単な読み書き、そろばんばっかり! 私、男の子に生まれたかった」

漢文は男の学問としての認識が一般的である。

ふと大昔、奥仕えしていた女性が聞いていただけだというのに弟よりも早く漢文を覚えたという逸話を思い出した。彼女は名作を残したが、同時に父親からは男に生まれていれば優れた学者になれただろうと嘆かれていたということも。

今日みただけでも、男に生まれたほうがこの子は活躍できたであろうことは十分に伝わっていた。

「でもね、いっちゃん、そんなに嘆くことないんじゃないかな。女であったとしても、それに何か意味があるのかもしれないし、なかったとしても自分で作ればいいだけの話でしょ。いいじゃない、漢文好きで武道にも秀でた女の子。かっこいいと思うけどね」

それは自分に向けた言葉でもあったのだけど、一女はこちらの言い分にいくらか表情を緩めた。

「そういってくれると嬉しいな。周りの人はみんな、このままだと嫁ぎ先なんてどこにもないってばっかり言うからさ」
「そんなことないよ。今日のいっちゃんすごかったもん」

本心からの言葉を伝えると一女はさらに笑みを深めた。

「ありがとう。あーあ、はなが同じ武士の子で男だったらよかったのに。そしたら、私のほうから口説きにいくわ。こんな理解のある人そうそういないから」
「あはは、私を旦那にしたいっていう人初めてだよ」

有り得ない方向に話が転がっていたことに気づいた二人は、顔を見合わせてどちらともなく笑いあった。

「あ、そうだ。はな、家に泊まりに来られる日ってあったりする? できるだけ早めがいいんだけど」

くるりと茜色に染まり始めた空を背に一女が問う。

「泊まり? どうして?」
「実はね、ちょっと見せたいものがあるんだ。でもそれ早朝にしかみられないの。はなは山の向こうにいるから、もし見に行くんだったら、まだ日の昇らない山を越えなきゃいけないでしょ。それは危ないから、泊まりにきなよ」

それは大変魅力的な誘いではあったが、すぐに首を縦に振るというわけにもいかなかった。

「え、でもいっちゃんの家、お武家さんでしょう。私が上がるのはちょっとまずいんじゃないかな」
「大丈夫だよ。武家っていっても下級武士だしさ、たまにこっそり友達つれてきているけど見つかったことないし」

それはきっと気がついても素知らぬふりをしてくれているだけじゃないかなと思ったが、心にとどめておいた。

「じゃあなんでできるだけ早めなの?」
「この時期しか見られないから。はなもいろいろ用事があると思うけど、絶対にみてほしくって。だめ?」

きらきらと輝く朝露のような光は断ることをためらわせる。ぐうと変な声が喉から漏れ出た。

「……ちょっと考えさせて。じっちゃんに相談しないといけないから」

なんとか言葉を絞り出すと、意外にも一女はあっさりと了承した。

「ま、そうだよね。明日もくる?」
「うん」

はなが頷くや否や、ぱっと彼女の表情が明るくなる。

「じゃ、また明日ね! 今度は沢遊びしよ」

ぶんぶんと手を振る彼女に、はなは控えめに手を振り返した。


「あんなこと言っておられましたがどうするので? いくのですか」
「いきたいのはやまやまだけど、流石にいっちゃんの家にいくのはねえ」

するりと現れた影が隣を歩きながら問いかける。苦い顔のまま、はなは返した。

「それにしては随分気を持たせるような断り方でしたね、はな様。嫌なら嫌とはっきり言わなければ、そちらのほうが残酷では?」
「そんなことはわかっているわよ。でもしょうがないじゃない。あんな期待をこめた目で見つめられたらさあ」

言い訳がましくぶつくさ唱えていると、頭上でため息をつかれた。

「まったく仕方がないお人ですね。ああ、それからはな様が仰っていた住居見つかりましたよ。よかったですね」
「それ本当!?」

ぱっと勢いよく顔を上げる。相変わらず表情のない塗りつぶされた黒と合った。

「ええ。実はこの山の反対側にとても小さな村があったようでしてね。何があったか知りませんが、打ち捨てられた村が残っていましたよ」
「それはいいわね。じゃ、しばらくそこ使わせてもらおっか」
「では案内いたします」
「はーい、よろしく」

こくりと頷き、前に出てきた影は、木々の中を川の中の魚が水草を避けていくようにすいすいと木を避けながら上っていく。はなも遅れぬよう足を一歩踏み出した。


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