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【小説】不完全なワンダーランド(1)
「やあお嬢さん。ごきげんよう」
少女は顔を上げる。ねじれた木の枝に現れたのはピエロ。先が二つに別れた黒と紫の珍妙な帽子、赤、緑、黄色など原色が入った派手な上着、チェック柄のズボン、爪先がとんがった靴。見ているだけで目がちかちかする。
特にここは森全体が暗い色をしているから余計に浮いてみえた。
まあなぜか制服姿の私も人のこと言えないけどね、と少女は思う。
「そこは普通チシャ猫じゃなくて?」
「おや? あのどぎついピンクと紫の猫のほうがお好みで? それは失礼」
ピエロはニヤリと笑うと某夢の国に出てくる猫の姿へと変わった。
「あなたは何者なの?」
「夢の世界でその質問は無粋では? 私が何者か聞いたところでどうせ忘れてしまうのに?」
やれやれとでも言うかのように彼は肩をすくめる。
なるほど、ここは夢の世界か。だから変なことばっかりなのね。
「それであなたは私になんの用?」
「何もわからないお嬢さんにここを案内しようかと思いまして。親切でしょう?」
「自分で親切なんて言う人は親切じゃないのよ。それに夢と分かれば自分で操ることだってできるって聞いたわ。だからあなたの助けなんて要らないの」
ニタニタ笑う怪しい奴に案内を頼むほど馬鹿じゃない。ひらりと手を振って彼のもとを通りすぎようとしたときだった。
ギギギと木々が枝を伸ばして行く手をふさぐ。夢だと認識したら夢のなかでは好き放題できるらしい。じゃあ夢ならば炎くらい出せるのでは? と思いつき、えいっと手を振ってみるが何も起きなかった。
「どうして!? あっ夢ならなんでもできるのは噓だったんだ」
「いやいや、本来ならできるよ。ただ俺が邪魔しているから無理ってだけで」
パッと目の前に現れた逆さまの猫の顔。しかも憎たらしい笑顔つき。
「あなたは何なのよ! っていうか一人称も変わっているじゃない!」
「おっと素が出てしまいました。何って俺、いや私は夢魔ですよ。だから暇つぶし……ではなく、案内すると言っているのに」
わざとらしく口に手をあてはっとした表情を作る猫。いちいち身振り手振りが大げさで道化のような印象を受ける。まあコイツ、最初ピエロだったから道化はあながち間違いでもないのかな。
「なんで今さら自己紹介するのよ。むまってあんまり聞かない名前ね。あと別に一人称そろえてくれれば、私でも俺でもどっちでもいいし……って、そもそも邪魔しないでよ! 暇なら他をあたってちょうだい」
少女は食ってかかったが夢魔は平然としている。
「じゃ、お言葉に甘えて俺でいかせてもらうよ。急に自己紹介したのは単に気分。で、なんでお嬢さんに構うのかってまた他の人間の夢に入り込むなんて面倒じゃないか? それに俺にしては破格の待遇をしてやっているんだぞ? 精神が狂うような悪夢をみせてやったってよかったのにわざわざ案内してあげようと言っているんだから」
キャーヤサシイーと白々しく高い声を上げる夢魔。少女 は冷ややかに彼を見つめた。
「なんであなたは他人の夢に入ってしかもその世界を支配できるの?」
「そりゃ夢魔だからさ。もしかして夢魔って知らない?」
「知らないわよ。あなたの名前なんじゃないの?」
少女が言うと彼は顔を驚愕の色に染めた。初めて心からの表情を見た気がする。
「……そうかい。今の人間は夢魔を知らないのか。夢に悪魔の魔で夢魔さ。悪夢をみせることが趣味の悪魔。愉快なヤツだろう? ハイ、これで一つ賢くなったねえ」
夢魔はパンと手を叩き馬鹿にするように笑った。
なるほど、だから私の夢に干渉できたのか。そういう悪魔ならできてもおかしくない。悪魔だもの。
とりあえず少女は納得した。
それにしてもこのままでは埒が明かないし、かといって下手に刺激して悪夢に変えられてはたまらない。
「はあ、わかったわ。じゃあ案内してちょうだい」
しょうがないのでわがままな悪魔様のためにこちらから折れてあげることにした。
「それではお嬢さんこちらへどうぞ」
夢魔は少女の答えに満足したのか、上機嫌に尻尾をふりふりしながら森の奥へと進んでいく。
森の地面は根っこがたこの足のように飛び出ているため歩きづらく、おまけに暗い。足元に注意しないと、すぐに根っこが引っかかる。
「森の先には、不思議のっ国みたいに、お城でもっあるの?」
息切れしつつ問いかけると彼はピタリと立ち止まり、そして急に目の前に現れた。ピンクと紫が目の前に広がる。
「残念だけどお城はないよ。まあ作ってもいいけどね。あるのは遊園地」
「なんで遊園地?」
「俺の趣味」
流石悪魔様。人の夢だというのにとことん自由だ。
そうしてやっとこさ森をぬけると寂れた遊園地が現れた。
客はおろか係員もいない。錆びたスピーカーから愉快な音楽が流れているのがいっそう不気味さを浮き彫りにした。
「遊園地なのに誰もいないじゃない」
口を尖らせると彼はニタニタ笑いながら答えた。
「貸切でいいじゃないか。ほら何に乗る? ジェットコースター? ゴーカート? お化け屋敷? ああ、お嬢さんはまだメリーゴーランドしか乗れないのかな?」
「馬鹿にしないで! 私もう十五よ! ジェットコースターくらい乗れる年齢! でも係員さんもいないのにどうやって乗るの?」
「乗れば勝手に動くさ。夢だからな」
そういえばここは夢の中だった。随分いたから忘れていたが、ここは性悪悪魔に支配された夢の世界。なんでもありだ。だったらもう吹っ切れて楽しんだほうがいいだろう。
「じゃあまずジェットコースターでも乗りましょ!」
少女は軽やかに駆け出す。遊園地なんて久しく行っていない。夢だとしてもテンションが上がった。豪華な装飾がついた遊具たち、元はカラフルで可愛らしかったであろう着ぐるみと風船、何かを売っていた屋台、そんな色褪せた世界を少女は駆け抜けていく。
「ちょ、いきなり走るなよ」
置いてけぼりにされた彼が焦ったような声だしたが、少女は気にせず走り続ける。
「早くはやくー!ジェットコースターってどこにあるのー?」
と、いきなり頭に重みを感じた。視界の端にピンクの毛が映る。
「ちょっと夢魔、どこに乗っているのよ!?」
「俺を置いていくからだろ。案内役を置いていかないでくださーい。あ、後そこを左。で次の角を右」
頭に乗っているのは気に食わない。でも案内の通り進むとちゃんとジェットコースターが現れた。
黄色のこぢんまりした四角い客車、傾斜や急カーブがあるレール。ポールとロープで区切られた待合場所、係員さんがアナウンスや機会の操作をする部屋まである。階段を飾る電球がジジジと音を立てて点滅していた。
「安全バーをおろせば出発するの? いきなり動き出して転落とか有り得ないわよね?」
「ああ、それ面白そうだね」
不安になって問いかけると彼は新しいおもちゃをもらった子供のように無邪気に顔を輝かせる。
……本当にやりそうで怖い。言わなきゃよかった。
「なーんて噓だよ噓。ほら乗っておいでお嬢さん。ここで見ててあげるから」
手すりに飛び移りひらひらと尻尾を振る彼。
「あら? 夢魔は乗らないの?」
思わず口からこぼれでた言葉に彼は目を見開いた。
「悪魔と一緒だなんて嫌だろ?」
「なんで? 一人で乗るほうがイヤじゃない? ほら隣座ってよ」
彼を抱きかかえ、席に座らせる。しばし呆然とされるがままになっていたが、やがて顔を伏せ、肩を震わせ始めた。
「な、なによ泣くほどイヤだったの!?」
「くくくっ、あはははは! 違う違う。こんなこと言われたの初めてでね。お前変なヤツって言われない? 悪魔と、しかも猫の姿した悪魔とジェットコースターに乗ろうとするなんて!」
なんと笑いをこらえていただけだったらしい。しばらく彼はゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。
「し、失礼ね! 変なヤツって言われたことなんてないわよ! あ、でもジェットコースターは猫用じゃないからどうしよう。私の膝の上に乗る?」
「遠慮しておくよ。猫の姿でもまあ大丈夫だろ」
先ほどより二回ほどり大きくなると短い前足を伸ばしてバーを降ろした。意外とすっぽりはまっている。案外様になるわね……。
バーを降ろし終わると誰もいないのにジリリリリとベルが鳴る。
金属の軋む音を立てながら、ジェットコースターは進み始めた。ガタゴトと揺られ頂上までやってくる。
「うわあ意外と高い。全体が見下ろせるじゃない!」
「満足したならなによりだ」
彼は微笑ましげにはしゃぐ少女を見守っていたが、少女はそれに気付かなかった。
一瞬の静止。
そしてすぐにやってくる落下特有の感覚と体にぶつかる強い風。
「キャー!!」
やっぱりジェットコースターと言ったらこれでしょ! と、少女は思いっきり叫んだ。
「ああ、面白かった。次は何乗ろっかなー」
「鼻歌まで歌うほど面白いもんなのか?」
「面白くなかった?」
「まあまあ」
そういう割には楽しそうにぴくぴくとひげ動かしているんですけど。全くひねくれた悪魔様だ。今度は置いていかないように抱き上げる。持った途端、彼は元のサイズに縮んだ。
「わっ、ちっちゃくなった!」
「お嬢さんの細腕が折れないように気をつかってあげたのさ」
彼はニヤニヤした笑みを貼り付けてこちらを見上げきた。上目づかいなのに全く可愛くない。
「そりゃどうもー」
その後、結局ゴーカートにもメリーゴーランドにもお化け屋敷にも観覧車にも乗った。
なんだかんだ全部夢魔は付き合ってくれた。悪魔なのにだんだん一緒にいると楽しくなってきて、もう気心の知れた友達みたいだ。本人には口が裂けても言わないが。
「ああーつっかれたー」
今は売店でジュースを飲み、ひと休憩を取っているところだ。ここは店員もいないのに何でもあるから驚いた。ホットドッグやポップコーン、アイス、チュロスなどなど。土産まで充実している。
夢とはいえ豪華ね。しかも全部タダ!
土産屋では小さな猫のストラップをもらった。微笑む手のひらサイズのぶち猫。色はくすんでいても顔がかわいいのでよしとする。ホントにほんのちょっとだけ夢魔に似ているしね。
「本当よく動き回るもんだな。あらかた乗りきったけどこの後どうする?」
「他になんかないの?」
「今のところはないね。また新たに作っていいけど。ところでお前は帰ろうとは思わないの?」
「もういいかなー。別にこのままでも楽しいし」
伸びをしながら答えると彼はさっと顔を曇らせ、顔を横にそらした。
「そうかい」
「次はどこ行くー?」
その瞬間周りがぐらぐらと歪み始める。
「えっ、なになに!?」
きょろきょろと見渡しても揺れは収まるどころか、どんどん激しくなってきた。
「残念だけど、お前がここにいることを望むなら俺はお前を返さなくちゃな。俺は夢魔、悪魔の仲間だから人間の嫌がることをやるのが大好きなんだ。もう十分暇つぶしできたし」
彼は少女をいきなり突き飛ばす。
「はあ!? いきなりなにするのよ!」
そのまま地面にぶつかると思ったが、地面はふっと消え少女の体は深く深く沈んでいった。
「ちょっと待って!」
手を伸ばしても彼はぐんぐんと遠くなる。
まださよならも言えてないのに。これ全部忘れるなんてイヤ!
――じゃあな、お嬢さん
最後に見えた笑顔は憎たらしいのにどこか寂しげだった。
目を開けるとそこは真っ白だった。看護師さんが少女の顔を覗き込んで目を見開く。
「もしもし!聞こえますか!先生、先生!意識を取り戻しました!」
バタバタと人が駆け込んでくる気配がする。
やがて医者や泣きはらした両親が入ってきた。
後に周りの人たちから説明されたが、私は下校途中信号を無視した車と衝突し意識不明の重体だったらしい。なんと一ヶ月も眠っていたのだ。もう治る見込みがないと思われていたようで目元を真っ赤にした両親がよかった、よかったと言っているのを少女はぼんやりと聞いていた。
正直全く実感がない。でも周りがそういうからそうなんだろう。
ふと頭によぎる違和感。
――? 何か忘れている気がする。とっても楽しくて大切な思い出を。
その時自分が何かを握っているのに気が付いた。手を開くとそこにあったのは小さなぶち猫のストラップ。
「なにこれ汚な!? ……でもかわいい顔してるじゃない」
こんな薄汚ないもの普段だったらすぐさまゴミ箱行き。でもこれを捨てたらその大事な何かとのつながりが消えてしまうような気がして。
少女は白い白い病室の中、ずっとそのストラップを握りしめていた。
主をなくした世界がバラバラと崩れていく。その様子を夢魔はただ見つめていた。
いつもならさっさと他の人間の夢に入り込みに行くのに足が棒のように動かない。
「あーあ、暇つぶし相手もいなくなったし今度は誰かにとびっきりの悪夢をみせてやろうか」
わざと声を上げてみても胸に残った寂寥感はこびりついたまま。
「結構楽しめたぜ。まあ、本当はもっと……なーんてな」
ぽつりとつぶやくと夢魔は夢の世界に溶けていった。