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【短編小説】社畜老人 ブラック☆サンタ
ねえ、知ってる? ブラックサンタのブラックはブラック企業のブラックと同じ意味なんだよ?
嘘です。ごめんなさい。各方面から怒られそうなので、クリスマス前に出しておきます。クリスマスはちゃんとクリスマスらしい話を書きます。
クリスマスタウン。それは北の端にある小さな妖精の国だ。一年のほとんどが雪と氷で閉ざされるこの街は、しかし周囲の世界のように色褪せてはいない。むしろその逆。
街路樹よろしく立つモミの木はきらびやかなオーナメントで着飾られ、長い夜には色とりどりのキャンドルが灯る。トナカイの首につけられた鈴が心浮き立つような音を奏で、見て回るだけで楽しい気分になってくるだろう。
その街の片隅に、街の影に潜むようにひっそりと建つ一軒の家があった。他の家のように扉をリースで飾っているわけでもなければ、家の脇に立っているモミの木も裸のままだ。てっぺんに星すらつけていない。
だがその家の窓からは温かな光があふれている。
部屋の暖炉は煌々と燃え、その前に座る老人の顔を赤く照らしていた。
老人は鼻歌を歌いながら、ヘッドホンから流れる音楽に合わせて体を揺らしていた。だが真夏のように激しいロックを聴いていても、優雅なクラッシックを聴いていても、風に乗ってやってくるカンカンコンコンと可愛らしい音はどこからともなく忍びこんで、老人の頭に居座るのだ。
老人は大きく舌打ちをして、ヘッドホンを放った。
「このガラクタめ! 何が完全遮音だ。何を聞いても工場の雑音が入ってきやがる。こっちは労働の音なんざ聞きたかねえんだよ」
「そりゃあんたがサンタクロースだからでしょ。職業病なんじゃないですか?」
風雪と共に顔を出したのは一匹のトナカイだった。あっという間にトナカイ柄のドアマットが白に染まる。その首に提げられたカバンから辞書ほどもある紙の束が覗いているのを見つけ、老人の眉間に深い皺がよった。
「さっさとドアを閉めろルドルフくん。俺を凍え死にさせたいのか」
「ルドルフ2世です。ちゃんと2世ってつけてくださいよ。あとサンタクロースがそんな乱暴な言葉遣いをするもんじゃありません。いくらブラックサンタだとしてもね」
老人は恰幅のいい体に、へそあたりまである純白の顎髭をたくわえていた。着ている服が赤ではなく、黒であるということを除けば、世界中の子どもたちから愛されるサンタクロースと瓜二つだった。
ブラックサンタは深いため息をついて、一音一音区切るように言った。
「ドアを閉めたまえルドルフくん。俺は君みたいに優秀なコートを持っちゃいないんだ」
「そのお腹にはアザラシ並みの脂肪がつまってるから大丈夫じゃないですか?」
「今年の仕事終わりのディナーはトナカイ肉のステーキというわけか。嬉しいね。汗を流した後の肉とワインは最高だろうよ」
「すみません。僕が悪かったので棒を振り上げるのをやめてもらっていいですか? 素振りもやめてください」
ひゅんひゅんと唸る木の棒は子どもたちの尻を長年叩いてきただけあって、恐ろしく威勢がいい。数度振り下ろせば毛皮のコートが鮮やかな赤に染まることだろう。隣にモミの枝でも飾ってやれば立派なクリスマスカラーだ。この街にぴったりではないか。
不穏な思惑を感じ取ったのかルドルフ2世は引きつった顔で後ずさった。ブラックサンタは鼻を鳴らして、ドアを指さした。
「じゃあ今すぐそのクソみてえな書類の束をもって回れ右をしろ。そして二十六日になるまでこの家に足を踏み入れるんじゃねえ」
「そりゃ無理ですよ。これがあなたの仕事なんですから。仕事放棄するんじゃありません」
「お祈りの言葉も覚えねえ、人の言うこともきかねえ、そんなクソガキ共を罰しにいかなきゃなんねえ俺のことも考えろよ。今何歳だと思ってやがる。人間でいうならとっくに定年退職している年だぞこっちは」
サンタクロースの仕事はいい子にプレゼントを渡すことだ。対してブラックサンタはその逆。悪い子どもの仕置きが役目だ。
子どもを叩き、美しい包装にくるまれたプレゼントの代わりに石炭や石をぶちまけ、一年に一度の祝祭を、彼らにお似合いの最悪な一日に塗り替えるのが仕事である。
もちろん必要な役割だと頭ではわかってはいる。ブラックサンタがいるからサンタクロースが輝くのだ。
だが恐怖を向けられることはあっても感謝を向けられない仕事というのは心をすり減らすだけで癒しも肥しもしない。肥えていくのはやけ食いで増え続ける脂肪ばかりである。
ルドルフ2世は呆れたように首を振って言った。
「はあ、じゃあサンタクロースの仕事やります?」
「馬鹿言うんじゃねえよ。あいつらの仕事こそブラックの極みだろうが。憧れのベールを引っぱがして現実を知りゃ、真にブラックサンタを名乗るべきはあいつらのほうだとガキ共もわかってくれるだろうよ」
サンタの仕事は何も子どもたちにプレゼントを配るだけではない。エルフたちの子ども素行調査書を聞き、おもちゃ工場長から今年のプレゼント製作計画に許可を下ろし、子どもたちから届くファンレターに目を通さなければならない。
また子どもたちの夢を壊さないために、サンタクロースはクリスマスでなくとも常にサンタクロースらしい振る舞いをするのが暗黙の掟だ。どんなときでもファンサービスを忘れないのがプロの仕事。長年子どもたちに愛される人気者に要求される努力は並大抵のものではない。
つまり言ってしまえば年中無休。心休まる時などありはしない。子どもたちを失望させるような振る舞いをした時点で即クビである。プレゼント配達中に子どもたちに目撃されたときは言わずもがなだ。
サンタクロース業界は厳しい。クリスマスイブの忙しさは世界トップクラスであり、しかも求められるレベルも最高峰だ。
だからクリスマスイブの夜は目を凝らしてよく見てみるといい。運が良ければ凄まじい速さで駆け抜けていく影が見えるだろう。もっと運が良ければその影がそりの形をしていて、それを操る騎手の顔を見ることができるかもしれない。夜空を駆けるサンタクロースたちは、雑貨屋で見かける柔和な老人とはほど遠い、歴戦の戦士のような顔をしているはずだ。
まあもっとも人間に目撃された時点で、そいつのサンタクロース人生は終わってしまうわけだが。
「その代わり分業制ですけどね。ていうか今の時代、子どもたちにプレゼント届けてるのなんてほとんどその子たちの親ですし。サンタクロースは親がプレゼントを用意できない貧しい家にしか届けないじゃないですか」
「そりゃそうだろう。普段は永久凍土並みに硬い親の財布の紐だってクリスマスっていう名目がありゃ、春先の雪のように緩くなるからな。そんな金になるイベント、大人が手ばなすわけないだろうが。現代のクリスマスは大人の汚い欲望にまみれてんだよ。まあこっちとしちゃあ仕事減らしてくれて感謝しかないけどな」
「やめてくださいよ。そんな大人の汚い事情なんて口にしたら、子ども泣きますよ。仮にもサンタじゃないですか、あなた」
「元々子どもを泣かせるのが仕事なんだよ、俺ぁ」
カップがソーサーと擦れ合って耳障りな音を立てる。やはりココアではなくワインにすべきだった。仕事が山積みのときは酒でも飲まなければやってられない。
ブラックサンタはワインが並ぶ戸棚に視線を向けた。それを目ざとく見つけたルドルフ2世が、責めるように前足で床を引っ搔く。ブラックサンタは肩をすくめて、椅子に座り直した。
「てか、サンタだけ人員増やすんじゃねえよ。こっちにも寄こせよ。人をよ。何が人手不足だ。お前らのところでそうなら、俺のところは言うまでもねえだろうが、クソったれ」
業務内容も審査も厳しいサンタクロースではあるが、志願する者は多く、常に募集人数を上回る。対してこちらは数十年に一人応募する奴がいればいいくらいだ。ブラックサンタがどうしても足りなくなったときは新人がやってくるが、大抵は数年で辞表を叩きつけてしまう。結果、こんな老体も引っ張り出さなければならないほど、現場はひっ迫しているのだ。
「そりゃ嫌われ役の仕事に就きたいなんて奇特な人早々いるわけないでしょう。やりがい搾取とか問題になってますけど、それもまだやりがいがあるから人がいるだけで、やりがいすらない仕事につくわけないじゃないですか。労働環境も優良どころかクソだし」
ルドルフ2世は首を振ってカバンを落とした。鈍い音がして紙がカバンの口から滑り出る。一年人間の家に潜入して書き上げた努力の結晶がこんな粗雑に扱われていることを知ったら、真面目なエルフたちは涙で袖を濡らすだろう。たとえそれが子どもたちのブラックリストだとしても、だ。
トナカイはそののほほんとした顔に似合わぬ冷たい眼差しを向けてくる。ブラックサンタはぬるいココアをすすった。心なしかココアの甘さも普段より控えめな気がした。
「ルドルフくん。いくら事実でも言っていい言葉と悪い言葉があるんだぞ。それでもお前はサンタの相棒か?」
「いや別に僕ここに志願して入ったわけじゃないですし。本命に落ちたから滑り止めのここに配属されたんですよ。じゃなきゃ来ませんからね。こんなクリスマスタウンの辺境なんか」
「おい、今度こそ俺は傷ついたぞ。あーあー、俺の赤鼻のトナカイはなんて非情な奴なんだ。泣きたくなっちまうね。サンタのトナカイはむせび泣いてサンタに忠誠を誓ったってのに、俺の赤鼻のトナカイは嫌味を言うわ、仕事をしろとどつくわ、俺を虐めてばっかりだ」
「いや、最後のはむしろ優しさだと思うんですけど。後で泣きを見るのはあなたなんですからね。あと赤鼻っていうのやめてくれません? この鼻で赤鼻名のるのおこがましすぎて恥ずかしいんですけど」
たしかにルドルフ2世の鼻は赤銅色をしている。遠目から見れば若干赤みがかった茶色にしか見えない。
ルドルフ2世は隠すように前足で鼻をかきながらぼやいた。
ブラックサンタは重たい身体を起こして、嫌々ながらカバンと散らばった書類を拾い上げた。
一枚目から文字の大群が上から下までびっちりと並んでいる。
いいから。なぜその子どもがサンタクロースを信じなくなって、なぜ非行に走るようになったとか事細かに書かなくていいから。事情知りすぎると逆にやりづらいから。これだから仕事一筋の頭かちこちエルフ共は困る。
ブラックサンタは机の上に紙の束を投げ出して、未だに鼻をかいているルドルフ2世を見た。
「いいじゃねえか。どれほど黒や茶色に近かろうが赤は赤だし、ブラックサンタの相棒としては最高だぞ、その鼻」
「だから嫌なんですけど」
「おいやめろ。いくら俺に懐いてようが、いつでも本音フルオープンにして言いわけじゃねえんだからな」
先ほどから相棒の対応が冷たすぎる。長年辛苦を共にしてきたこのトナカイに愛情はあるが、いつまでも極寒零度の対応をされれば、ブラックサンタのやわい心は粉々に割れてしまうのだ。
ああ、なんて自分は可哀想なのだろう。世界は広しといえど、自分の味方をしてくれる奴は一人もいない。
と、悲劇のヒロインごっこをしているのを察したのか、ルドルフ2世の眼差しの温度がさらに下がる。温度の上限はなくとも下限はあるはずだが、我が相棒は物理法則を無視できるようになったのだろうか。
「あなたって変なところポジティブですよね。まあだからこそここまで続けられてるんでしょうけど」
「ルドルフくん、さては腹がへっているんだな? ニンジンやるから機嫌を直しなさい」
「ニンジンより先に机の上の書類片付けてほしいんですが」
「あーあー何も聞こえないぞー。吹雪いてきたからルドルフくんの声が聞こえないなー。残念だなー」
いい年した大人が両手で耳をふさいで、己の職務から逃げようとする様は見苦しいことこの上ない、と相棒からの無言の訴えが心に痛いが、大人であろうが嫌なものは嫌なのだ。やりたくないのだ。
「そんなこと言ってると、どうせ二十三日目くらいに絶望しきった顔で、準備に追われることになるんですよ。宿題後回しにした夏休み最終日の子どもですか、あなたは」
「やけに具体的な例を出すじゃないか。やめなさい。夏休みの宿題の概念はないはずだが、なんだか心が痛くなってきたぞ」
ブラックサンタはサンタクロースと違い、サンタらしい振る舞いを求められてはいないので、繁忙期の冬を除けば基本的に休みである。
とはいえ、その休み期間も都度送られてくる子どもたちの情報に目を通し、訪ねる家に目星をつけ、仕置き内容に頭をひねり、少ない人員で何とか回せるよう計画を立てねばならない。よって休みらしい休みはほとんどない。立派な休日詐欺である。然るべきところに訴えれば、絶対に勝てるはずだ。
「そりゃ伊達にあなたのそり引いて夜空駆けてませんからね。人間の文化はわりと詳しいほうなんですよ、僕」
「急にデレてくるなルドルフくん。そんないい子の君にはニンジンを授けよう」
ブラックサンタはポケットからニンジンを取り出した。格安で売っていたニンジンだ。下半身はとれてしまっているが、まあ自分の腕ほどある太いニンジンだし、食べ応えもありそうだから上半身だけでもルドルフくんは許してくれるだろう。
「いやだからニンジンいらないんで仕事してくださいって。……ってちょっと頭のほう腐ってるし。これが相棒に対する礼ですか?」
「お? そうなのか? 悪いな、気づかなかった」
「どうせ市場の端に売ってる訳ありニンジンでしょ、これ。まあいいですけど」
器用に黒ずんだ部分だけ床に吐き捨ててルドルフ2世はニンジンを頬張った。ボリボリとニンジンの欠片が飛ぶ。掃除したばかりの床にゴミが散らばっていく。
ブラックサンタはこめかみに青筋をたてながら、なるべく穏やかな笑みを作った。
最後のオレンジの切れ端が口に消えていった後、ちらりと青い瞳がブラックサンタを見た。
「で、あなたはいつ仕事を始めるんで?」
「チッ、流されちゃくれなかったか」
「ニンジンごときで騙されるわけないでしょう。何年あなたの相棒やってると思ってるんです?」
ルドルフ2世はニンジンの欠片と共に深いため息を落とした。また床が汚れた。
「おい、ちゃんと掃除してから帰れよ」
「嫌ですよ。僕、サンタクロースからあなたの監視役も仰せつかっているんで、しばらくここにいますからね」
「おいおい、ルドルフくん。まさかとは思うが主人である俺よりサンタの野郎を優先するってんじゃないだろうな」
「え、どっちとるかって言われたら、普通にサンタさんですけど。僕の好きなコケくれますし」
僕、ニンジンよりコケ派なんですよね、とのたまいながら、ルドルフ2世はもぐもぐと顎を動かしている。
「この裏切り者め! いったいどういう教育受けたらこんな薄情者になるんだ。親の顔が見てみたいわ、まったく」
「下は上に似るっていうんで僕がこんな態度をとるのは多分あなたのせいですよ」
もはや一瞥も投げずに、家主よろしく暖炉の前に陣取ったルドルフ2世はどうやってもこの家に居座るつもりらしい。
机の上には書類の山、斜め前には優秀な監視役、外は素敵な猛吹雪。
どうあがいても仕事をせざるを得ない完璧な布陣だ。ブラックサンタは重苦しい息を吐き出した。
「ったく、仕方ねえなあ……。やるか!」
「その意気です、ブラックサンタさん。今からやれば、何とかクリスマスイブまでに計画書を書き上げられます。これさえ終われば、僅かではありますが休日だって作れますよ」
たしかに計画書作りが一番の山場だ。目的地がどこに何箇所あって、そのためには何人割かなければならないのか、考えることは山ほどあり、一番重くて時間がかかる業務である。
しかしそれさえ終わってしまえば、あとやるべきことは前日準備だけだ。厚い雲間から一筋の光が差しこんだ気がした。
「そうだな。よし、忌々しいクリスマスも今年で終わりだ! 二十六日になった時点で退職届を出してやる!」
「それ毎年言ってますよね」
両腕を上げて宣言した老人に、相棒はすげなく水をさした。
窓を叩く北風がいっそう強さを増す。本日も仕事日和。外とは正反対の真っ黒な戦場が幕を開ける。
それも全てはサンタクロースを待つ子どもたちのため。サンタクロースのお眼鏡にかなう子どもたちを増やすため。
だから悪い道に走るんじゃねえぞ。でないと俺の仕事が増えるからな、クソったれ!