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ドラマ『MIU404』【第5話の感想】 “社会”を救うべきか、“ひとり”を救うべきか?

『MIU404』第5話は、日本の重要な課題のひとつ、外国人技能実習生の問題をとりあげてみせた。不当な低賃金に深夜労働、人種差別、借金返済に追われたトリプルワーク。
同時多発コンビニ強盗の犯人は、元技能実習生の外国人たちの犯行であることが判明。19名が捕まる。彼らは同じSNS上の、同じメッセージを見ていた。ベトナム語で書き込まれたそのメッセージはこうだ。
『理不尽には理不尽で返せ。俺たちには金を奪う権利がある』。

“理不尽”と社会システム

振り返ると、『MIU404』はこれまでも多くの“理不尽”に巻き込まれた人たちばかりを描いてきたドラマだったとも分析できる。突然、あおり運転に追われたり、立てこもり事件の人質にされたり、大切にしていた部活を廃部にされたり、働いてる職場が暴力団の資金洗浄に使われていたり。
“本人たちには非がない”のに、昨日まで普通にそこに存在していたものが突然奪われてしまう。それが“社会が生む理不尽の怖さ”だ。
組織や社会が優先され、“非力な個人の力では覆しようのない出来事”として急に降りかかってくる。我々も他人事ではいられない。明日にも自分の身にそれが突然やってくるかもしれない。

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たとえば第3話では、
“自分たちはまったく関与していない”のに、犯罪に手を染めた先輩部員たちがいたせいで、廃部にされ、目標にしてずっと練習を重ねてきた最後の大会への出場権を“突然失った”元陸上部員たちが描かれた。彼らたちからの視点でみれば、これほどの“理不尽”はない。

しかし、学校側にだって言い分はある。もし事件が明るみに出れば、何百人何千人という在校生や卒業生の進学進路に悪影響を及ぼすし、すべての教師たちも職を失わせる可能性がある。対して、陸上部はマネージャーを合わせても在校生はたった5名。廃部にしておく事で、少しでも過去の事件を蒸し返されるリスクが低減できるのなら。
見る視点を変えると、校長にとってもこの事件の発生は“理不尽な出来事”だったのだ。校長は校長なりに“組織の長”として、優先順位をたて、苦渋の選択をした結果だったのだと見てやることもできなくはない。

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そして続く第4話では、
この問題は、より具体的な言葉にして再提起される。

羽田行きの高速バスには、犯人と、その犯人を追っている銃を持った暴力団員が同乗している事が判明。刑事部長の我孫子(生瀬勝久)と機捜隊長の桔梗(麻生久美子)は方針で対峙する。

桔梗「銃を持った男が車内にいるなら話しは別です。高速を降りたら、勘づかれて何をされるかわからない。」
我孫子・ほんの少し考えて「空港でドンパチされるよりもバスの中でドンパチされるほうがマシです。」
桔梗・驚いて振り向き「バスの中には一般の乗客もいるんですよ?」
我孫子「トカレフは8発。すでに2発打って、残りは6発。最大最悪に見積もっても6人だ。空港で暴力団と銃撃戦になれば何十発が飛び交い、周囲には何百人、外国人が死んだら国際問題にもなる。被害はバスの比じゃない。」
桔梗「また数の理論ですか」
我孫子「・・・では、ほかにどのように?」

印象的には刑事部長が“悪者”のように描かれてはいるが、かといって刑事部長が人の生命を軽視しているわけでもない事がわかる。

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“組織の長”として限られた短時間の中で、責任をもって選択を下さなければならない。もし、全員が助かるカードがあるのなら、刑事部長も、校長も、そのカードを切りたいのだ。しかしだが、そんな都合の良いカードはもうない。となると。
100人と6人の命。
救えるのはどちらか一方だとしたら?


“ひとりの命”こそがすべてである

対して、第5話では、これまでとは対比的な課題提起がなされる。

留学生マイを利用して罪を免れようとする日本語学校事務員の水森を問い詰めると、“現状の社会システムの理不尽さ”について語り出す。「留学生を道具のように利用しているのは国じゃないか」と自分を正当化するのである。このシーン、文字起こししておく。

(水森がマイを利用したのが)理不尽というのなら、この国で起きていることこそが理不尽です。移民を受け入れないと言っておきながら、実習生や留学生という名目で何十万人も働かせている。こんな小さな島国で世界で4番目の多さです。なぜかわかりますか?
朝5時の店頭に弁当を並べるため。毎朝新聞を届けるため。便利な生活を安く手に入れるため。
今さらどうして僕ひとりが罪悪感を抱かなきゃならない? 文句があるなら国に言ってください!

ここで志摩(星野源)が叫ぶ、

「うるせえーーーー!!!」

「俺は今、何十万人の話しはしてない。
マイさんっていう一人の人間の話しをしている。
日本に憧れてやってきた、一人の、たった1回の人生の話し。」

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ここまで第3話・第4話では“数の理論”、“数の正統性”について考えてきたが、今回の第5話では“数の話しは関係ない”と課題提起された。

かけがえのない“ひとりの命”こそが大切なのであって、それがすべてである、と。

ただし、このふたつの問いは矛盾している。

ドラマから視聴者への“宿題”だとぼくは感じる。向き合って、考えてみなければならない。
ただしドラマはドラマなりに、最終話までのあいだに、この問いについてさらに何かを我々に提示するだろう。それがドラマの責任でもある。

(おわり)

※過去の回の感想はこちら↓


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miyamoto maru
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