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introduction|さがしものはアートの中に


自分の感情、どう表現しよう?


アート×こころの掛け合わせ。
わたしがなぜこうした活動をするに至ったのか?ープロフィールでも触れたところですが、もともとのバックグラウンドをキーワードでまとめると、
#発達心理学 #異文化 #英語教育 なんです。もしこれらをさらにひとまとめにするとなると#コミュニケーション ということになるのかな?

今思えば、アートとは一見かけ離れた分野に関わっていたからこその気づきがtorinocoへの養分になっているので人生わからないもの。

リトアニアとのご縁もあって神戸へお連れした時の一枚

たとえば、異文化&英語教育に携わっていた際、生徒さんたちと英語で会話を交わすと、たいていその日の「出来事」について語ることはできても、そこで自分が「どう感じたのか」「何を思ったのか」について尋ねると、「んー」と考えあぐね咄嗟に言葉にしかねる。(あるいは固まる)という場面に多々遭遇しました。

ところが、英語はその文化背景の違いから、I think…(わたしは…と思う)やI feel …(わたしは...と感じる)など「わたし」が主体の語順となり、自分の感情に向き合わざるを得ない表現が多々あります。

つまり、いくら文法や語彙力等のスキルが高まったとしても、自分発信し、相手とこころを通わせることができなければ宝の持ち腐れ。もったいない!

なので、わたしは、こうした根っこのことを「コミュニケーション・マインド」と呼び、この根を強化しないで、枝葉(文法や語彙や発音等)ばかり気を取られては会話として本末転倒では?と思っていました。

そういうわけで、英語を学ぶと自己対話が進むはず。と確信。自己肯定力が強化される類のプログラムを作っては生徒さんたちとコミュニケーション・マインドを育むことに力を入れてきました。

少々時間はかかるのですが、まるでセラピーのように複数の方々の心持ちに変化がみられ、自動的に学習意欲が湧いたり、発言力が高まったりとうれしい驚きでした。やっぱり根っこ!

ただ。
一方で、はたと思ったのです。わたしはこのまま英語の専門家としてやっていきたいのではないよね?それよりコミュニケーションそれ自体への関心が強いよね?英語学習者限定というより、もっと広くこうした感情表現の根っこを整えていきたい人なんだよね? 

さがしものはアートの中に?


そんな中出会ったのが、アートコミュニケーターというアートを介して人や地域をつなぐというプログラム。言葉ではなかなか表現できない微妙な表現を感覚的に表現できる。というアート魅力に震えました。

仲間と協働しながら、例えば地元に多数点在している野外彫刻を鑑賞しながら自分なりにどう感じるか対話方式で分かち合う(対話型鑑賞/VST)など、正解のない世界の面白さに開眼したのです。

プロジェクトを企画して実践。アートと地域をつなぐことに奔走した日々。

そうこうしているうちに、より一人一人の深い声を聴いてみたくなりました。どんなこころの変化が起きているのかもっと触れてみたい。
アートを触媒としたよりパーソナルな活動って他にないのかな?

ネットで調べたり、書店をめぐったり。
探しながら待つ。というのか、漠然とだけどいつかはその扉が開くと信じ。

アートセラピーとの出会い


するとある日、某大型書店の一角に見つけました。
家庭でできる表現セラピー」吉田エリ

ようやく出会えた―!という内容で、しかも著者による出版記念WSが
開催されるとありました。ただちに申し込み、エリ先生の学びを直接受け取ることができたのです。

やはりライブのエネルギーというのはとてつもなく、自分がこれからやっていきたい道筋がありありと示され明確になった忘れられない1日となりました。

・アートで表現する行為には、アートを制作する、と言う過程とアートをプロセスする。という過程がある。

・抽象的な「こころ」という実体を論じるというより、「感じること」に焦点を当てる。つまり「感じていることをジャッジせず表現する」。

こうした柱をもとに、実際手を動かしながら1日中楽しみました。
「なんとなく」の感情が線となりカタチとなり無我夢中。

自分の意識の下に気づけば潜り込む。手が勝手に動いて動いてーそして静かなカタルシス。

アート表現が言葉に先立つ原初的な存在だったことを体感でき、なにもかも腑に落ちて。
シンプルに感じていることをありのまま表現する。それを分かち合う中で言語化してゆく。自分にとって一番しっくりくるプロセス。

よし。
わたしはこれを分かちあう人になる。

こうした純粋な気持ちが原動力となり、自分なりの探求がはじまったのです。


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