春が来た
(若干初夏の兆しを感じるが、とりあえず春が来た。)
この時期は、天候が良く洗濯物がよく乾く。
散歩すると少し汗ばむけど、風が頬を撫ぜる感覚が心地良い。
春だな、と思うと同時に、春にまつわる思い出を思い出す。
日本だと学校の入学も卒業も新社会人になるのも、全て春に行う。
勝手のわからない環境へ踏み込むのは、緊張するし、しばらく周りに馴染めず寂しい気持ちで学校や職場に通う。
しかし、幼い頃は少し苦手だった春が、年齢を重ねるに連れ好きになっていった。
夜に見る桜が艶やかさと荘厳さを持ち合わせているのを知り、冬から春になる気候に気分が弾み、植物達が一斉に芽吹くのを見て、好きな季節の1つになった。
上京したのも春だった。
その少し前に、東日本大震災が起きた。
まだ寒い3月の事で、実家でニュースを観て愕然としたのを覚えている。
短大の入学式は無くなったけど、4月には実家を出た。
大好きな東京へ行ける嬉しさと、地震の被害に遭われた方達や失われたものの事を考えると、手放しでは喜べなかったけれど、新しい環境への緊張と期待で胸が満たされていた。
東京で何度か春を迎え、この大都会にも少しは馴染んだと思い、東京で就職しようと決めた。
卒業してから決まった就職先は、人数が多く仕事内容も多忙で馴染めなかった。
今思えば、わたしが馴染もうとせず、全てを抱え込み、挙句心身を病み退職した。
実家に戻ってからしばらく外に出ず、家族以外誰にも会わず、家の中で過ごした。
半年程経ってやっと、今のままでは良くないと気付き再就職活動を始めた。
就職先が決まり、働き出すとそこは人手不足な上に業務量が多量で体を壊す前にと思い、辞める事に決めた。
冬に勤務し始め、春を迎えたが桜や新芽を見る様な余裕は無く、8月の暑い日に退職した。
次はゆっくり決めようと思い、でも何もしないのは気が引けるので、職業訓練校へ通う事にした。
訓練校の試験を受けた後、時間があったので韓国へ旅行に行った。
真夏だったので暑かったけれど、初めて行く土地は見るもの全てが新鮮で、とても楽しく高揚していた。
まだ少し暑さが残る9月に訓練校へ通い出し、色んな人がいるのだと勉強になった。良くも悪くも。
訓練校に通いながら、並行して職活動を行わなければならず、再々就活を始めた。
興味のある会社が見つかり、それは東京にある企業だったので、すぐに応募し間も無く面接に至り、連絡があり採用が決まった。
2月の寒い日だった。
再び上京した時は、初めての時と同じくらいどきどきして、やはり少し緊張した。
新しい会社に馴染むのにそう時間は掛からなかったが、作業量が多くついていくのに必死だった。
いつの間にか暖かくなり、春が来ていた。
家までの道路に大きな桜の木が何本もある事に気付き、帰りながら夜桜見物をした。
花びらの間からちらちらと電灯の光が漏れて、とても美しかった。
前の恋人とは、冬に出会い春に付き合った。
とても楽しい映画を観た帰り、夜の河原でその映画を絶賛しながら歩き、一見ボロボロのアパートの様な店を見つけ、入店すると食券制のフレンチ料理だった。
2階のルーフトップの席に着くと、頭上にいっぱいの桜が見えた。
春風が丁度良く、食事もお酒も話も進み、酔った勢いでわたしは彼に「わたしが好きか」と聞いた。
冗談半分本気半分だったけど、あまり期待せずに答えを待った。
彼は「好きです。付き合ってください」と言った。
桜がちらちらと舞い、わたしは(春だ)とはっきり思った。
その恋人と2度目の春を迎えた頃、別れた。
理由はいろいろあったけど、心が離れた気がしてこれ以上頑張る気力が残っていない、と長らく考えていた。
春は出会いと別れの季節とは良く言ったものだと思う反面、日本独特の言葉だとも思う。
海外には四季が無いと聞いた事がある。
人との出会いの印象に残りやすい季節が、春なだけで夏にも秋にも冬にも人の分だけ出会いも別れもある。
しかも現代は温暖化の影響で、春夏秋冬の境が曖昧になり、最早その言葉は古いものになりつつあるかも知れない。
それでも、子どもの頃や学生時代には感じなかった春がもたらす恩恵を今はありありと感じている。
忙しない春のイメージから落ち着きを持つイメージに変わった。
昔はわからなかった、花見やピクニックの良さをきちんと楽しむ事が出来ている。
今年も新しい春を迎えられた事に、安堵する。