見出し画像

死は隣に置いてある

物心ついた頃からいつだって死にたい気持ちがあった。ただ、自殺したいとかそういうものでは無くて、電池切れになったおもちゃみたいにプツンと切れるかのように死ねたらいい。どこぞの他人様には奪われたくないし、迷惑もできることならかけることなく、この世からおさらばしたい。

現実は交通事故や転倒して骨折すら無い、ヘルニア持ち程度の穏やかさである。
なんと言ったらいいのか分からないこの感情の消化方法は今のところ見つからない。

そもそも私がこの世に生まれてきた事が間違い。
流産しかけたものの、図太くもこの歳まで生きてきてしまった。
「しまった」なんていうと、生きたくても生きられなかった命に対して失礼だとか言うんだろ。
親は宗教に熱心だったから、そう思われる。人の為に生きるとか、尽くすとかそういう気持ちは過去の辛辣な同棲時代に落としたし。心はもう空っぽ。

寿命をちぎって他人に分ける事ができたら、どんなに素晴らしい事だろうか。

産み落とされた時から私は魂が汚れている存在なのだ。それが親から言われ続けた呪いであり、たとえ世のため人のために生きたとしても、その呪縛からは逃れられない。
それならば、野生動物の血となり肉となったほうが、いくばくかはこの世のためになる事だろう。

そんな事を想像して、明日もまた、明日という1日を生きるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?