隣人であり、親友であり 隣の家、と言っても離れている。小さな道路と小さな畑を渡ったところに、ナイトウさんは一人で住んでいる。畑のお世話と、季節のお花を玄関に飾ることを楽しみにしながら。ここはポツンポツンと点在する家からなる、文字通り何もない村。というのもこの村、コンビニはおろか、自動販売機も信号機もない。あるのは山と川と土。古い佇まいの、義両親が待つ夫の生家に、結婚と同時に私は引っ越してきた。2人目の嫁として。もう10年も前だけど。私は生まれ育った環境に似ていたこの家に喜ん
「森の種」なるものを作ったのには訳があります。森を利用するばかりでなく、森に還せるものを作りたかったからです。 私は駆け出しの苔農家です。所有林とはいえ、タネゴケに使う苔は山から頂きます。その度に森に悪いことをしている気がして、後ろめたくなります。 事実、森の苔は微生物や苗木を育むという大切な役割をしています。熱帯雨林ではたった1gの苔に、30万匹近い原虫や微生物がいたという報告も。苔は落ちてくる種子を優しく受け止め、苗木に守り育てます。苔のお陰で、森は湿度を保ち、豊かな
私は苔農家としてコケを育てる傍ら、3人の子育てもしています(順番が違う気がする)。 両者は時に気まぐれで、振り回される事は日常茶飯事。喜ぶだろうと思って準備したことが喜ばれないことも普通にあります。 膝をつかないと相手の心までは見えないし、何より日々の成長は遅々として見逃しがち。 そこで、私は子育てで培った忍耐力や、期待し過ぎないこと、でもほどよくお世話するといった母親ならではのノウハウを、苔農家のお仕事に導入しています。 ところで先日読んだ本に、過保護と過干渉について
もともと農業には縁と誇りを持っていました。 生まれ育ったのは山口県の柑橘農家。 畑の中でニコニコと迎えてくれる母の腕に飛び込んだ時の、土埃の匂いを今も微かに覚えています。小学校の授業で、将来の夢は「農家のお嫁さん」と書いたのは、農業者である両親の背中を、素直にかっこいいと思ったからでした。 公務員として世の中に揉まれた日々は、それはそれで貴重でした。何よりこの人には敵わないと思える上司や、一生付き合える友人にも出会えました(夫にも)。でも、私じゃないとできない仕事、という
山深いこの辺りではランドセルに熊鈴をつけることになっています。幸い、登下校中に熊が出たことはないけれど、念のため。 必然的に子どもはカランコロンと軽やかな音を奏でながら歩きます。 そのカランコロンが聞こえると、数少ないご近所さんは窓を開け、おはよう!と手を振ってくれます。 全校生徒25人の小学校生活。数年後には廃校も決まっています。でも小さな小学校ならではの、暖かく伸び伸びした学校生活を、それはそれは毎日楽しんでいる2年生の息子。 今日も通学路の田んぼ道を、あっちの窓にもこっ
誰かが言っていました。書くという行為は排泄と同じで、我慢すると体調が悪くなる。ものすごく納得しました。そう、私は書きたい人。それならインスタよりもnoteの方が伸び伸び書けると思って。 夜はフクロウの鳴き声が聞こえるような森の麓で、築約200年の古民家暮らし。ここにはコンビニも自動販売機もありません。朝霧が山を登ります。水の循環が目に見える、そんな苔深い山里での暮らし。 ここでの心地よい暮らしを大切にしながら、自分にしかできないことで世の中に貢献したい。その想いはみるみる