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秋のはらっぱ
柿を剥いたら、秋だった。濃い橙色の皮に包丁で切れ目を入れるたび、そこから秋がわんさかと溢れて止まらない。赤色、橙色、緑から赤に変わりゆく色、黄色、黄土色。蔦、満月、ススキ、鈴虫、全てが飛び出した後には、すっきりと晴れた秋晴れも広がって、私は胸いっぱいの深呼吸をする。
家の中が秋の原っぱになったので、溢れたものをバスケットに詰め込んで、ピクニックにする。秋の原っぱは、春よりも下草がちくちくする。干草のように薄茶に枯れた、かさかさの細長い葉っぱ。バスケットから這い出した鈴虫やコオロギやウマオイが、ぴょんと飛んではさかさかと歩いていく。ところどころ地面が飛び跳ねるように見える、彼らの跳躍。そのうちにそれも見えなくなって、ああ、行ってしまった、と私は思う。
涼やかに風が吹く。頬に触れるそれが、しっかりと芯を持ち、ここはもう夏ではないよ、と言っている。私はバスケットから、剥いていない柿を取り出して、少しの間、どうしようかと眺める。つやつやと光沢のある橙色。指に力を入れると、ゆたり、と沈む。よく熟れている感触。結局ペティナイフは出さずに、そのまま齧ることにした。
歯を立てる直前の、清潔で、こっくりとした匂い。ひとくち噛むと、とろとろととろけるように、口の中いっぱいに甘さが広がる。
風に草が音を立てて、コロコロ鳴く声も聴こる。風に遮られ、運ばれ、空に舞う、虫の声。原っぱの波は、色を変えながらそれらを天におくる。去ったかと思えばどこかでまた波が立つ。撫でるような、草の波。バスケットの中では、まだ外に出てきていない秋たちが、かさりこそり、と動いている気配がする。私は少しの間、そこに横になって目を閉じた。
目を開けるとすでに夜。少しのつもりが、日が昇っている間を、ずっと眠って過ごしたようだった。鼻から息を吸うと、土と、夜と、空気の奥の寒さの匂いが身体全部に行き渡る。ああ淋しいなあ、と私は思って、何がかなあ、と大して考えるでもなく言葉を空に浮かべる。秋は淋しいのだ、いつのときも。何の理由もなく淋しくて、何があっても、体の芯は、いつも冬に向けてもっと、もっと、と言うのだ。これから、冬に向かって進んでいく私たち。実りは、寒さの中で命を繋ぐために使われる。色も、音も、匂いも、風も、全てを溜め込んで、私たち、冬を過ごすのだ。籠り、見つめ、そして季節がめぐり、足下の芽吹きを、感じるまで。
バスケットから、じんわりと光が溢れ出して、ああ、そうだった、光もだ、と思い出す。思い出した途端に、満月がそこからはみ出して、空へと昇っていった。照らされた原っぱは、そこだけ濡れたように潤い出す。金色の、ゆらめく、ひかり。
遠くから、遠吠えのように音楽が聞こえて、ああ、そろそろ帰らなくては、と思う。呼ばれたら、帰るのだ。ここは狭間だから。日々と日々の間に挟まった、場所。
私はバスケットを原っぱの真ん中に移動させて、じゃあね、と声をかける。溢れる秋たちは、満月の元に照らされながら、それぞれの場所を見つけるように散り散りになる。私はそれを最後まで見届けて、
目を開ける。