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「誕生日」って毎年来てるのか?
最近思うこと。
年齢ってなんだろう。
毎年毎年決まった日に誕生日が来て、
そうすると洋服のタグのように自分に貼り付いていた年齢の数字が1個上がる。
毎年毎年それの繰り返し。
昨日の私と今日の私では何も変わっていないのに
誕生日を境に「年齢」というものが上がって何かが劇的に変わったような気がする。
本当は何も変わっていないのに。
でも20年前の誕生日を迎えた私と今現在の私で何も変わっていないかと言われたら
そんなことはない。さすがに変化した部分もある。
見た目も勿論変わったし、環境も考え方も20年前とはやっぱり多少なりとも変わっている。
ということは誕生日ではない何か別の境に少しずつ私は変わっているんだろう。
たとえば高校生のとき通学の電車の中でご高齢の方に席を譲ったことがあった。
今まで誰かが席を譲る場面を見たことはあっても実際に自分でやったことは一度もなかった。
どうしよう。譲った方がいいのかな。でも断られたら恥ずかしいな。逆に迷惑だったらどうしよう。
それでもドキドキしながら意を決して「良かったら座ってください」と立ち上がって言った。
言ったときの日付なんて覚えてない。
誰かにおめでとうと言われるような日でもなかった。
でも今思えばあの瞬間がきっと高校生の私にとって記念すべき「誕生日」だった。
だって明確に変わったのだ。
「今まで言えなかった自分」と「意を決して言えるようになった自分」とで。
それで何が変わったかは分からない。
髪形もいつも通りだったし化粧だって普段通りだった。
昨日と何も変わっていないけれど、でもあのとき何かが確実に変わったと思う。
誰かが言っていた『年齢はただの記号に過ぎない』
毎年毎年同じ日に1個数字が上がるだけの記号。
私の誕生日は6月12日だけど、本当に毎年6月12日に誕生日が来ているんだろうか?
誕生日って生きてるだけでそんなに簡単に来てくれるものなんだろうか?
なんか違う気がする。
6月12日ではない
日付すらも覚えてないような何気ないときにやってくる
「今までの自分とは明確に変わったあの日」が実は本当の誕生日なんじゃないかなって思っている。
今まで座席なんて譲ったことがなかったのに「どうぞ」と言えたあの日。
普段通りしていた化粧が「あれ…?なんか似合わないな」と思うようになった鏡の前。
仕事をするようになって、結婚するようになって、学生時代では理解も出来なかったような別の立場の人たちの気持ちが少し分かったようなあの瞬間。
逆に学生時代バカみたいに笑い合った友達となんだか話が合わないなってふと気付いたあのとき。
ずっと自分のことで精一杯だったのにいつの間にかできた後輩にお茶一本奢れたあの仕事終わり。
そういう良いことも悪いことも嬉しいことも切ないことも含めた
「今までの自分とは明確に変わったあの日」が実は誕生日で
そんな小さな「あの瞬間」を積み重ねて私たちは年を取っているんだなと思った。
1年に何回も誕生日が来るときもあれば全然来ないときもあるかもしれない。
自分で考えたり、行動したり、経験を積み重ねて掴み取っていかないと
もしかしたら誕生日ってなかなか来ないのかもしれない。
ぼーっと待ってるだけで来ると思うなよ!って誕生日側も思ってるかもしれない(笑)
そう思うと歳を取ることって悲しいことじゃなくて実は勝利の栄光くらいに思ってもいいのかもしれない。
マリオが手にしたスターの数みたいな。
こんなことを書いてしまうと果たして自分に貼りついているタグに見合うだけの回数「誕生日」が私に来てるのかなって若干焦るけど(笑)
確かに体力の面の衰えは当然あるから、その面で「年齢を重ねていく」ということもあると思う。
でもそれも踏まえて経験だし、決して悪いことばかりではないんだと思う。
だからきっと記念すべき私の誕生日も実は6月12日なんかじゃなく
今まで余裕で間に合っていた駆け込み乗車に間に合わなくなって
おじさんと肩並べて荒い息を吐いていたあの8月のとある休日だったのかもしれない。なんて。
おしまい。