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障害者手帳を受給したこと

結論。ずっと抱えていた"生きにくさ"に障害者というレッテルを貼られることで、ある種の救済を感じた。

プロフィール固定記事に詳しく書いてあるので割愛しますが、物心がつく頃から衝突や周りと同じように振る舞ったりするいわゆる「普通にやりなさい」が苦手な子でした。

 当時は発達障害というものが存在するとはしらずに、みんな私と同じ位の生きにくさを抱えながら一生懸命に生きているのだと思っていました。だからなるべく背伸びをして「普通の人」に擬態―マスキングとも言えます―して生きてきました。       

ところが大学を出て、社会に出たらそのメッキが剥がれて会社のトイレで泣いたり、明らかに脳味噌のパフォーマンスが落ちたりしました。そこでようやく自分は「普通」側にいないのではないかと疑問が生じました。片っぱしから心療内科/精神科に電話して、診断を受けました。うつ状態及び軽度のパニック症とのことでした。

当時は彼女と同棲しており、すぐに休職できる環境にいたことは救いでした。彼女は私の悩みや言語化できないモヤモヤと向き合ってくれました。そして「発達障害だと思うからちゃんと検査して適切な治療を受けてほしい」と告げられました。

WAIS-Ⅲという所謂IQ検査を受けました。
言語IQ は平均より高い。その他項目は全て知的障害とされるIQ70以下に非常に近い数値でした。臨床心理士からは発達障害のなかでも極めて激しい能力のギャップがあると告げられました。

WAIS-Ⅲのレポートには医学的、統計的に確からしい私の特性が事細かに記述されていました。私が言語化できなかったもやもやについても言語化されていて、少し震えました。検査結果から、病名に発達障害という文言が追加されました。

ただ理由も分からず生きるのが辛い状態から、上記内容によって辛かったのだと気が付けたこと、そして適切な医療に到達できたことは私の人生においてとても運が良かったと捉えています。傾向と対策ができるので。

ただ、多少の傾向と対策ができたところで私の凸凹は一生ついてまわるものなのだな。私は「普通の人」ではないのだなと受容するまでに時間がかかりました。そこで、自己受容より先にお役所にレッテル―烙印―を貼ってもらい、その恩恵を受けることによって自己受容をする手段のうちの一つにしようと考えました。その他の手法については長くなるのでまたいつか記事を作成します。

障害者手帳は医師の診断書と役所の障害福祉課で簡単な手続きを行い、あっさりと支給されました。なるほど、今日から私は公に認められた「普通」じゃない人なのだなと強く思いました。「幼少期から普通にしなさいと言われ続けていたけど、私は普通じゃないらしいぜ」とも思いました。公に普通じゃないと認められたので、無理に普通でいる必要はないのだというある種の開き直りが生じました。

あとは自ら普通じゃないことを自覚して、社会的振る舞いができるようになればいいだけなのだという覚悟もつきました。

映画も割引効くし各種水族館動物園も大抵無料になる便利アイテムかつ、自分は普通じゃないから普通じゃないなりに工夫したり苦しんだりしなければと戒めてくれるアイテムでもある。それが障害者手帳なのかなと思っています。

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