【Outer Wilds二次創作】閉鎖領域の憩い場で
HUDマーカーを付け忘れたことに飛び立ってから気づいたから、立ち昇る煙を目印にしてその島を探し当てた。竜巻はそう近くない。
いつもの場所に探査艇を停めた。ハッチから飛び降りたとき、ブーツが砂浜に半ば埋まった。ざりっとした音と感触が、まわりの風景を一変させた。
赤く灼けた土、命の気配のない巨岩、酸素の一分子も分けちゃくれないサボテン。そういうものがぐにゃりと私を取り囲む。
心臓が、破裂したかと思うくらい波打った。全身から汗が噴き出た。
落ち着け、これは錯覚だ。ここは燃え盛る双子星じゃない。ワープ床に足を踏み入れたのでもなければ、プロジェクションプールの遠隔映像でもない。
ああ、でも。足に力が入らない。
がっくりと膝をついた瞬間、両手が砂に触れた。悲鳴をあげて手を引き上げた。
逃げなくちゃ。でも立ち上がれない。巨大な太陽がさえぎるものなしにそこを回っているのに、凍えたみたいに体が震える。太陽? 太陽なんてこの星からは見えない。ここは常に分厚い雲に覆われた、薄暗い、雨と波の音がざあざあと……ざあざあと砂の落ちる音が聞こえる……真っ暗な、洞窟……
うまく息ができない。ここはどこだ? 出口はどっちだ? どうしてもっと早く引き返さなかった? 岩壁がどんどん砂に沈んでいく。もう天井に手が届いてしまう。
そうだ、目を閉じるんだ、深呼吸するんだ、眠って、ただ眠って、太陽がみんな吹き飛ばすまでやりすごせばいい。
眠る? 無理だ。酸素だってもうない。できない、何もできない。頭が押さえつけられた。ヘルメットが音を立てて砕けてく。熱い、痛い、苦しい。頭蓋の中が潰れてく、ねばついた赤黒いものが、砂と混じって視界に溢れた……
「息を吸って、吐いて。ゆっくり」
ささやき声がした。
胸に手が当てられて、ごく軽く押して戻す、そのリズムに合わせていく。砂に沈んでいく体を引きとどめるように、肩を掴まれている。断熱素材の宇宙服を通り抜けて、てのひらの温かさが、鱗の下にじんわり広がる。
薄目を開けた。透明な雨のひとすじが眼前を流れた。少しぼやけた視界の中に、旅人たちが胸に灯す、小さな焚き火のしるし。
「私がわかるかい、相棒?」
「……ハンモック」
「残念、それは私の本体ではない。もう一度考えてみようか」
「……Gabbro……が……ハンモックから降りてるから、これはまだ幻覚だな……」
「パーフェクトだね。お利口さんだ」
肩をぽんぽんと叩かれて、なにかが胸の奥からつんと鼻にまでこみあげてくるのを感じた。そのまま、肩に顎を乗せて寄りかかりたかったけど、撫で肩すぎて乗せる余地がないからヘルメットを擦りつけるだけにした。
「ちょっと心配だな。キャンプまで運ぶよ、いいね?」
「ここの重力じゃ、重くて無理だよ。だいじょうぶ、もう、立てる」
「いいよ。彫像よりは軽いだろう」
そう言ってGabbroはひょいと私の肩を担ぎ上げて、一歩進んだ。その途端に崩れ落ちた。
「重い……」
「だから言ったじゃん……」
たぶん一瞬、潰れたマシュマロを見る目を私はしていたと思う。でも砂に体を半分近くつっこんでも、もう幻は湧いてこなかった。
「まあ私はいちおう文明社会に属してた身だからな。あのNomaiの頭像を運ぶ時はもう少し近代的な道具を使用してた」
横になれる場所を譲ってくれるかと多少期待してたんだけど、そんなことはなかった。やっぱりハンモックが本体なんじゃないのか。
それでも、荷物を下ろして近くの木にもたれて足を投げ出すと、ずいぶん楽になった。ヘルメットも外したかったけど、ここでそれをすると竜巻で宇宙へ巻き上げられた時に死ぬ。でも寝袋を束ねるバンドを使ってGabbroが私の体と木を繋いでくれたから、どこかへ流されたり叩きつけられたりする心配はとりあえずない。
……生きてる。
改めて、しみじみ思った。
「気づいてくれてありがとう」
「たまたまだよ。来てることがわかったから、たまには出迎えてみるかと思ったんだ」
「ああ、私の船が見えた?」
「というか竜巻でわかる。お前がこの星に来る時は、島が持ち上げられる間隔が微妙に変わるんだ。探査艇のジェットが気流に影響を与えるんだろう」
そうだったのか。竜巻に襲われるタイミングが毎ループで厳密に同じじゃないことには気づいていたけど、自然現象だからそういうものなのかと思っていた。
「タイムスケジュールを乱されるのは、迷惑かな」
冗談めかして聞こうとしたつもりが、思った以上に舌が回らずにGalenaの声みたくなった。実際、命に関わることだ。外部要因のために危険のサイクルが一定のものにならないなんて。
「変化は歓迎だよ。お前もそうだろう?」
返ってきた声はやさしかった。
「でも、どうやら今回は、なんにもしないをやりにきたみたいだな」
目覚めた時にいつも最初に見える星を今回の行き先にした理由は、よくわからない。パニックのあとで頭がぼんやりして、うまく記憶を取り出せなかった。おそらく、ちょっと休息が必要だと感じたんだと思う。
たしかに前回の死に方はあんまりだった。今まででいちばんひどかったと言っていい。けど今まさに死が迫ってる最中ならまだしも、ぜんぶ終わってから自分があんな風になるなんて予想してなかった。
ヘルメットのバイザーを上げた。濡れた木々のにおいが鼻をくすぐり、微温の霧雨が顔に当たる。嵐の音はまだ遠く、残り時間を急かす太陽も鈍色の雲が隠している。
フルートの旋律が流れてくる。小さな、ただの風のようなかすれた音と、深く深く呼吸するような、低い、穏やかな音色。
静かで、平和だ。とても。
すこし眠気を誘われたけども、まだ脳の奥が前回の最期の感触でちりちりと痛む。たぶん、いい夢は見られないだろう。
「何か……話をしたいな。なんでもいい」
「そう?」
Gabbroはフルートを下げて、嬉しそうな顔を私に向けた。
「いいよ。じゃあ……今までお前が何してたか当ててみせよう。イバラの島でFeldsparのレコーダーを見つけて、闇のイバラに向かってた?」
おどろいて思わず四つ目をしばたたいた。
「前回は双子星だったけど、その前まではたしかにその通りだ。なんでわかったの?」
とくにレコーダーの話は、まだGabbroには教えてなかったのに……。
Gabbroは低い笑い声をたてた。
「実は、未来のループから来た私と出会ったんだ。その私がこの私に教えてくれた」
「未来のループから来た自分だって!?」
私は半分立ち上がった。
「何だそれ!? もしかしてループの秘密がわかったとか……!?」
「冗談だよ」
「………………」
私は座り込んだ。
「私も偶然見つけたんだ。潮流を超える方法についてはお前の話で聞いてたが、Feldsparがその先の深海のコアにも到達してたとは驚いたね。どういうつもりであんな所にあんな中途半端な記録を残したんだろうな。で、お前のことだから、あれを見つけて脇目もふらずに闇のイバラに向かったんだろうなと」
完璧にあってる。でも。
私の困惑顔をGabbroはじっと見かえした。
「お前、今また『Gabbroがハンモックから降りて探索に向かった?』みたいなこと思ったよな」
「いや思ってないよ」
私は正直に首を横に振った。
「竜巻に巻き込まれた後にたまたまそっちに降りたんで、ついでに散歩してみたとかかなとは思った」
「まあ大体あってる」
「そのあと……無事にここに戻ってこれた? Gabbro、偵察機ランチャーはもうずっと装備してないと言ってたよね」
あのイバラの島には大量の幽霊物質がある。身一つで歩くのは危険だ。宇宙服のセンサーでは大まかな検知しかできないから、偵察機のカメラを使わずに無事ですむとは思えない。
と思ったら、
「ああ、これは小さなArkoseが多くの旅人に気づかせてくれることなんだがな。カメラが手元にない時は、小石か砂のひと握りでも投げつければ、幽霊物質の反応を窺えるよ」
ものすごくばかにされた気がした。
「私は上品に育てられたから、落ちてる石を手当たり次第に投げつけるなんて野蛮な真似は考えつかないんだ」
「ハハ、今度ぜひ、自動操縦で太陽を訪問する際の上品マナー講座をひらくといい。……元気が出てきたね、よかった」
腹の立つ皮肉を浴びせておいて、私に反撃させる前にこうして素朴に労わってくるのは、卑怯な手口だと思う。
小さい頃、風邪で寝込んだあと、ちょっと熱が下がってくるとすぐ村の外へ冒険に行きたがった私に、Gneissがよくそんな風に言って微笑んでいたのを思い出す。微笑みながらやさしく頭を撫でてくれて、それから容赦なくベッドに縛りつけられたことも、ついでに思い出す。
思い出しながら、自分は、こんなちょっとしたことで泣きそうになるくらいだめになっていたのかと自覚する。
これは愉快ならざる事態だ。私は、宇宙プログラム史上で最も優秀なパイロットとはまだ名乗れないかもしれないが、少なくとも誰よりもタフなHearthianである自負はあったんだ。アトルロックにぶつかって木っ端微塵になった後でも探査艇に乗るのをやめなかったし、火山月やブラックホールに怯んだりもしなかった。
死は、私にとって旅の終わりではなくなった。それは多くの場合、やりたいことを中断させられるめんどうな出来事、その程度にすぎなかった。
細切れを強いられるのも、けして悪いことばかりじゃなかった。「どうせもう死ぬしかないから、なにかむちゃくちゃなことをして終わろう」とやけくそをやったおかげで航行記録を更新できたこともあったから(たとえば脆い空洞でブラックホールをスイングバイして鍛冶場に到達したみたいな感じのことだ、すぐ時間切れになったからなにも調べられてないけど)。
痛みはある。恐怖もある。けれど耐え切れないことなんてない。ループ仲間から教わった、手っ取り早く終わらせるのに便利な方法もある。それなのに。
「もうすっかり慣れたと、思ってたんだけどな……」
水平線のほうをぼんやり眺めながら、つぶやいた。
「なあ、相棒。私はそろそろ言いたいことがあるんだが」
横顔にGabbroの声がかかった。あらたまって深刻な口調で、私は思わず一瞬身構えた。
「……なに?」
「実は、今回のループで久々に魚の缶詰を開けたかったんだ。Spinelからもらったとっておきがあってね。けど前回までの主な死因がアンコウなら、遠慮しといたほうがいい感じか?」
私はヘルメットを手で押さえて、うなだれた。直近の直接の死因はアンコウではない。ないんだけど。
「……できたら今度にしておいて。魚のにおいはいま嗅ぎたくない」
闇のイバラは、初飛行(正真正銘、このループが始まる前の1回目)からそんなにしないうちに行ったことがあった。木の炉辺に墜落したイバラの種からFeldsparのハーモニカの信号を検知したことがきっかけだ。巨大アンコウに遭遇したのもそれが最初だった。その時のことはもうGabbroに話してある。
ハーモニカの信号については、Gabbroは懐疑的だった。
闇のイバラは外側よりも広大な空間を内包する天体だ。あそこではそんな空間のねじれだけでなく、もっと多様な未知の現象が起きているのかもしれない。いまよりずっと過去にあそこを訪れたFeldsparの信号が複製され、旅人が去ったあとも響いている──さながらレコーダーをくりかえし再生するかのように。そういう可能性だって考えられる、というのがGabbroの意見だった。
「どのみちあそこを探索するなら、もう少し宇宙の旅に慣れてからにしたらどうだ。たとえばこの私の島へ、コックピットにヒビを入れずに着陸できる程度に」
信号の解釈についてはともかく、私の操縦スキル不足への指摘については反論の余地がなく、不服ながらも忠告に従った。
あれからずいぶんたった。私は、この巨人の大海の4つの陸塊のどこでも無傷で降りられるようになった。誰かみたいに船を流されることもない。巨人の大海でのレコーダーの発見をきっかけに、私はFeldsparの捜索を再開した。そして信じがたいほど、そこからまったく先に進めずにいる。
「で、アンコウの胃袋の中はどうだった?」
「それなんだけど、あいつ胃袋ってものがないんじゃないか。口の中が完全にがらんどうなんだ。しかも食べられて消化されて死ぬ感じじゃなくて、呑まれたと思った瞬間にもう終わってる」
なんだかんだでいつもの報告会になった。
Gabbroはフルートを木の枝にもちかえて、それをハンモックの横のマシュマロ缶につっこんで数粒刺して取り出すという横着をやっている。まねしてみたんだけど、意外と難しくていらいらするので普通に手づかみで食べた。
「それを聞けてちょっと安心したよ。Hearthianが魚の消化液でじっくり溶かされるのを想像するのはあんまり楽しくない」
「それはまあ、うん。最初はそういうのを予想して、さすがにきついと思ってすぐ瞑想したんだ。でもその次の次くらいにどういうふうに食べられるのか興味が湧いてそのまま待ってみたら、いつもの発射台の下さ。痛くないのはありがたいけど、腹の中からスカウトを撃つとかジェットをおもいきり吹かすとか、そういう抵抗がほんと一切できないから頭にくる」
こういうことを話しながら、Halには絶対できない話だなとうっすら思っている。
「胃を持たない魚なら木の炉辺の川にもいたな。悪食で、虫でも木の枝でもなんでも食べる。胃袋に食物をためておけないから常に腹を空かしてるんだ。けっこう美味い」
Gabbroの専門は生物学じゃないけど(なにが専門なんだろう? 聞いても毎回適当なことを言われる)、釣りが趣味なだけあってこういうことには詳しい。
「私らHearthianは一定の大きさまで成長すればそれ以上大きくなることがないが、生物の中には年をとればとるだけ大きくなるやつがいる。そういうたぐいなんだろうな」
「でも博物館のアンコウは木の炉辺にやってきてから数年生きてたけど、そこまで大きさは変わってなかったよ」
「ふむ。種類が違うとか? あるいはお前が見た個体は、何百年も生きてるのかもしれない。アンコウたちがNomaiの時代から存在していたとしたら、好奇心旺盛な彼らは放っておかなかっただろう」
「それそれ。前に話したよね。燃え盛る双子星の洞窟で、アンコウの化石を隙間から遠目に見たってやつ。前回はその化石の近くに行こうとしてたんだ。Nomaiが弱点かなにか研究してくれてないかと思って」
「ああ、あれか。どうだった?」
「だめだった。あと少しだったと思うんだけど。道が見つかる前に砂が……」
言葉の途中でまた息が苦しくなってきた。
ふと、グローブにこびりついた砂粒が視界に入る。逃げるように目を逸らした。すこし動悸が速くなった、けれどそれ以上にひどいことにはならなかった。
「……砂が邪魔して、進めなくなったから」
「そうか。大変だったな」
Gabbroが言ったのはそれだけだった。どんな死に方をしてきたのかは察しがついてるだろう。それでも、ほうっておいてくれる。悪い意味でなく。まだ外気に晒すことをしたくない傷口に、触らないでおいてくれる。ありがたいと思う。私は、休息が必要だとは思ったけれど、何もかもいやになって丸まってじっとしてたくてここに来たわけではないから。
大丈夫だ。少し休めば、私はまだ旅の続きができる。
けど──。Gabbroはすこしうつむいて、それから言葉をつづけた。
「Feldsparを見つけて、どうするんだ」
「……え」
耳を疑うような気持ちで、私はループ仲間を見上げた。
「どうするって……知りたいじゃないか。Feldsparが今どこでどうしてるのか……もし、生きていたら、みんながどんなに喜ぶか……」
「そして、次の22分が始まれば、みんなそのことを忘れる」
視界がぐらりと傾いた。足元に、音も立てずに巨大な裂け目ができた気がした。いまいちばん聞きたくないことを、今までそんなことで一度も私を止めなかった奴から言われた。
「私の勝手だろう、そんなことは!」
怒気をひらめかせた私に、Gabbroは驚いた顔をした。
「口出しするつもりじゃないんだ。でも、そこまで無理する必要があるのかって思ったんだよ。そんなに怒らないでくれ」
「無理?」
それはそうだ。ずっとここでのんびり過ごしてる奴からすれば、どんな挑戦だって無理で無意味で、ばかげたことに思えるだろう。
胃の中で、飲んでもいない樹液ワインがくつくつと沸騰してきたみたいだ。反発しながら、冷笑もこみ上げてきた。べつにいまさら腹を立てることでも、失望することでもないじゃないか。何度繰り返そうと、私らには太陽に吹き飛ばされる結末しかない。だから何をしたって無駄だと、Gabbroは本当は思ってる。Chertみたいに取り乱して叫ぶようなことがないだけだ。だからこうして時々ひまつぶしに私の話を聞く程度で満足していられるんだ。
「わかってるよ。言いたいことはわかる。ハーモニカの信号はきっとなにかの間違いだ。時空のねじれどうこうでなくても、そうだよ、せいぜい電子回路の故障で急に信号を発しだして、私らはその残響を聞いているだけなんだ。あれを奏でてる奴なんかいない。あんな場所で生き延びられてる訳がない。それに、もし、無事に生きてるFeldsparを見つけてみんなに会わせることができたって、太陽が爆発すればぜんぶ帳消しになる、それなのにそんな馬鹿みたいに死んできて何になるんだって、そう言いたいんだろ?」
鬱積したものが一気にあふれた。Gabbroの困惑を見ても、私は止められなかった。こんな風に感情的になったって、ハンモックに拳をたたきつけるのと一緒だ。それこそ何になるっていうんだ。頭のどこかにはそう冷静にささやく自分もいたのに。
「なあ、そこまで言ってない。ちょっと落ち着け。息を吸って」
「深呼吸なんてくそくらえだ!」
悪態をついて立ち上がろうとして、体がうしろに引っ張られた。木に縛りつけられていることを思い出した。苛立ちを抑えつけてたものが、その瞬間にぶつりと切れた。
「息をすれば砂がぜんぶ消えてくれるのか、イバラがきれいに伐採されて道が開けるのか? それともGabbroみたいに、ここで楽器を吹いてるだけで平気で生きてられるようになれるっていうのか!?」
叫び終わる前から、私は後悔してた。どうして私は、いまこの宇宙でただひとり、私の言葉を忘れることができない相手に、こんなひどいことを言ってるんだ。
肩で息をして、後悔しながら、ただ時間が過ぎていった。重力を何十倍にも感じた。風の音が近づいては遠ざかった。
口を開いたのは、私じゃなかった。静かな表情で私を見ていたGabbroが言った。
「すまなかった」
その一言が胸に突き刺さった。それは、私から先に渡すべき言葉だったのに。それでも、似たような言葉を返せばいいはずなのに、ついさっき開いた心の裂け目はまだそこに横たわっていて、飛び越える力がどうしても出ない。
4つの目のまわりがひきつって、涙がにじんだ。
少し前まではこんなじゃなかった。宇宙は、どこもかしこも未知に溢れてた。命を捨てて進めたのがたった数歩にすぎなくても、目指したのとは違う場所に着いても、そこでは新しいなにかを見いだせた。
そういう場所が、だんだんと減ってきた。見たことのある景色ばかりになってきた。やっと新しい場所を見つけても、簡単にその先に進ませてはくれなくなった。
これが私の限界なんだろうか。たとえ無限の試行回数があっても、それでも私なんかには辿り着けない場所があるのだろうか。
辿り着けたとして、そこに、意味はあるのだろうか。
私自身が、そう感じ始めていたんだ。
だからここに来たんだ。これが私にしか意味のない旅じゃないものにしてくれる、たったひとりの仲間のところに。
でも、わかってる。自分でもわかってる。そんなのはぜんぶ私の都合だ。
下唇を噛んで目を合わせず、拳を痛いぐらい握りしめてた。はやく太陽が爆発してくれればいいと思った。どうして、こんな時ばっかり時間は長いんだ。
Gabbroは耳元のアンテナの付け根をぽりぽり掻いた。私はずっと地面をにらみつけてて、ちゃんとは見えてなかったけど、たぶんそういうことをしていたと思う。
ひとりごとめいた低い声が聞こえた。
「みんなFeldsparに憧れるんだ。あいつの引力に引っ張られて、二度と戻れなくなってしまったものが、どれだけあるんだろうな」
……え。
私の視線とぶつかって、Gabbroは両手を上げた。
「おっと。こんな言い方をするからって私があの英雄をきらいだなんて思わないでくれよ。良くも悪くもそれだけ影響力のある、すごい存在だって話さ」
手を下ろして、星の瞬かない空のどこかを眺めやる。
「生きていてほしいと思ってるよ。ずっとね。捜索を打ち切って宇宙プログラムのリソースを他に回すことは、私らみんなでずいぶん話し合った末に決めたことだったけど、心から納得してる奴なんていなかった。ChertもRiebeckも悲しんだ」
自分だってそうだ、とGabbroは続けなかったけど、それは表情だけでじゅうぶんだった。これが痛みでなくてなんだと言うのだろう。
「……時間だな」
はっとして私も空を見上げた。青い閃光が、雲を刺しつらぬいた。世界のすべてが脈打つような音がとどろいて、今回の終わりの光があたりを包んだ。
「Gabbro! 待ってくれ……」
あまりにも無為な呼びかけに、Gabbroは笑った。
「もし嫌じゃなかったら、相棒。つぎは私の昔話を聞きにおいで。まあ、あんまり明るい話じゃないんで、かえって気が滅入るかもしれないが」
すっかり馴染みになった、一瞬だけの焼けつく熱。光が全身を覆い尽くして、消えた。
* * * * *
目覚めて最初に見える星と、軌道からの発射を見た。その瞬間に飛び起きた。
Slateがなにか言う前にリフトに走る。もう目隠しでも入力できる発射コードを数文字打ち込んだところで、手を止めた。
……。
どう考えても私は最悪なことを言った。Gabbroに謝らなくちゃいけない。
でも。
私はFeldsparに会いたい。会って話がしたい。あの英雄が私に宇宙への夢をくれた。Feldsparがいなかったら、いまの私はここにいない。
恐れを知らずに未開の宇宙を切り拓いてきた、Hearthian史上最高の英雄。その英雄を探し出すことができたなら、私はきっとこれから先、どんな恐ろしい場所にも向かっていける。
そんな単純な願望を、どうしてGabbroはわかってくれないんだ。ブーツの中に入り込んだ砂みたいな苛立ちの粒が、私の心にまだ残ってる。
反省とか逡巡とはまた別のものが、頭の中に浮かんでくる。
『あいつの引力に引っ張られて、二度と戻れなくなってしまったものが──』
前回のループのGabbroの言葉。あれは、どんな感情だったんだろう。否定? 蔑み? 怒り? 羨望? 悼み? ……後悔?
Gabbroは、私になにを話そうとしているんだろう?
頭を振った。それはいま考えることじゃない。
私は焚き火のところへ戻った。考えをまとめるためだ。座ってマシュマロを焼き、Slateに話しかけた。
「ちょっと寝ぼけてた」
「ああ、張り切るのはいいが、宇宙でスーツを着るのも忘れて探査艇から飛び出したりするなよ」
その実績は解除済みなのでもうやらない。
「あのさSlate。私、巨人の大海でGabbroとけんかしたんだ」
「そりゃまた独創的な夢を見たな」
いつもの噛み合わない会話をやった。Slateは私が何を言ってもぜんぶ飛行前夜の緊張で変な夢を見たことにしてくれるから、逆になんでも話せるみたいなところがある。
「まあ、そいつが予知夢になる可能性はMicaのモデルロケットを初見で完璧に着陸させられる確率より低いだろう。手土産なしに訪ねていっても機嫌を損ねたりしないさ。あいつが怒るのを見たことがあるHearthianはそうそういない」
「私だって見たことないよ、もう長いつきあいなのに……」
「? お前とGabbroはそんな親しかったか?」
Slateとの会話を適当に切り上げて、探査艇に乗りこんだ。
船内に明かりが灯る。
機械のにおいと木のにおいが、心地よく入り混じった空間。旅に必要なものが、ここには全部ある。
航行記録のコンピュータは、ここ最近はあんまり更新できてないけど、いつでも見返すことができる。
私と違って、Gabbroにはこのループが始まった時に自由にできる船がなかった。あの星にとどまるしかなかった。Gabbroはそれを静かに受け入れた。
私にはそんな選択はできない。たとえ探査艇が壊れたって、私はじっとしていたくなんかない。今までずっと、宇宙服の燃料と酸素が尽きる限界まで惑星を横断してきた。超新星の青い光があたりを染め始めても、死ぬまでにNomaiたちの記録を1文字でも多く読もうとしてきた。その一方で「相棒」のGabbroは、失った船を取り戻そうともせずにさっさと諦めてしまったんだ。
そんな憤りみたいなものが、私の中にたしかにあった。
でも──。
このループが始まってから、私は何度、探査艇をロストした? 「ここは船じゃないともう進めないから、次のループでまた来よう」と、手っ取り早く終わらせたことが何度あった? 数えきれない。もし、このループの仕掛けが突然変わって、私が船を失ったその直後に起点が置き換えられたとしたら? 航行記録がすべて失われて、メモひとつ残すこともできず、生まれ育った星でもない場所から、宇宙服だけでやり直し続けなければならないとしたら?
私は絶望せずにいられるだろうか。自分と違って自由に飛び回ることのできる誰かを、助けてやれるだろうか。なにもかも忘れて眠り続ける手段を知りながらそれを使わずに、いつ訪れるかわからない話し相手を、待つことができるだろうか。
謝らなくちゃいけない。怒ってない訳がない。怒ってなくても、悲しませた。
なにをすべきかは決まった。少なくとも、そうしたいと思った。でも、どうやって謝ろう。
「手土産か……」
私は操縦席から立ち上がり、探査艇を降りて村へ向かった。ふと思いついたことがあった。
Halとはよくけんかした。ゲームでどっちかだけが勝ちつづけたとか、一緒に遊ぶ約束を忘れてほかのやつと遊んでたとか。
私がひとりで危ないことをして、それをだまっていた時とか。
ループが始まる前の最後に言い争ったのは、Nomai語の書記素の解釈が食い違った時だったか。いや、違うな……あの日だ。うん。あの件はちょっと思い返したくない。あれは私はそこまで悪くないだろっていまだに思うことがある。
とにかく、くだらないことから譲れないことまで、いろいろあった。でも絶対に仲直りできた。
Halとはもう仲直りする必要がない。どんなに怒らせても悲しませても、たった22分ぽっちの時間が勝手に解決してしまう。
だからその分──という言い方は適切でないかもしれないけど──このことは自分で解決しなきゃいけないんだ。
用事を済ませて、宇宙服のグローブを嵌め直した。私の探査艇は発射台を離れ、緑色の星を目指した。
いつも以上に慎重に着陸し、ハッチを降りた。じゃまな幻が出ないことにほっとしながら砂浜を歩いて、岩のトンネルを向けた。
「やあ、相棒」
いつもの調子でハンモックの主は挨拶してくれた。
私も片手を上げて返し、それから、近くまで行った。寝そべるGabbroの横に、私は探査艇から持ってきたバケツをひとつ差し出した。
「なに?」
怪訝そうに中身を覗き込んで、それから、Gabbroは相好を崩した。
「……ああ。こいつはひさしぶりだ」
それは、前にGabbroが言っていた「胃袋のない魚」だった。悪食で、虫でも木の枝でもなんでも食べて、けっこう美味いらしいっていうやつ。
ここに来る前、木の炉辺の川で私が獲った。釣りスポットはSpinelに聞いた。Gabbroに持っていくと言ったら、喜んで教えてくれた。
そんな経緯で異星に連れてこられた魚は、2倍の重力をべつだん気にするでもなく、バケツの中の小さな世界を我が物顔で泳いでいる。
「けっこう行きづらい場所だったろ? 私とSpinelなら往復に半日かかるところだよ」
「場所さえわかればなんてことないさ。酸欠になったり潰されたりする心配がない場所を探索するのは、いい気分転換になった」
「ハハ、クレーターに突きささったのを引っこ抜いてやった時からは想像できない進歩だ」
いらないことを言ってくれてから、微笑む。
「すごく嬉しい。ありがとう」
魚を眺めてるGabbroは、本当に、幸せそうだった。それは私の胸をずきりと痛くさせた。この旅人が私以外の故郷の生き物を最後に見たのは、どれくらい前のことだったんだろう。
「あのさ」
そう声を掛けた後が続くかどうか、心配していたほどでもなかったように思う。顔を上げたGabbroに私は言った。
「ごめん。私が悪かった」
Halはもう、新しい発見を私と共有してくれない。けれど一緒に学んだことはちゃんと私の記憶に残ってる。大事な友達と仲直りするのにいちばんのやりかたは、とにかく素直になることだ。
「うんいいよ。お前の船って調理キットある? 私のキャンプにはいま鍋しかないんだ」
…………。
「いや、聞いてよ。ちゃんと謝りたいんだ。Gabbroは心配して言ってくれてたのに、私はあんな風に……」
「もうちゃんと謝ったろ。私は一刻も早くこいつを食べたい。残り時間が何分あると思ってるんだ?」
この上もなく反論を許さない表情だった。
「まあ、そうだね……。急がないと太陽が爆発するみたいなこともあるしね……」
ああ、そうだ。こいつはこういう奴だった。私のほうこそごめんよって吐きそうになるほど泣きながら抱きついてくるとか、そういう反応を期待する相手じゃなかった。
「ところで、私の昔話を聞きに来た?」
バケツの中を覗き込みながらGabbroが言った。
躊躇と好奇心が、私の中では半々だった。表情の選択に困りながら、答えた。
「……話すのがつらくないなら」
「優しいね。私は大丈夫だよ。いつか誰かに話したいと思ってたんだ。ただ……ひとつ問題があってね」
そう前置きされて告げられたのは、衝撃の事実だった。
「この魚、実は胆嚢に毒があるんだ。食べたら高確率で死ぬ。完全に取り除けば問題ないが、処理にざっと1時間は要る」
「1時間だって!? 先に言ってくれ。それじゃ食べるなんて無理じゃないか」
「ところが、毒のある部分がいちばん美味いという噂もあるんだ。だから私らには2つの選択肢がある──食べるのはあきらめて、こいつの愛らしい泳ぎを観賞して楽しむ。あるいは、死を覚悟で未知の美食に挑戦する。後者を選んだ場合、私との会話は次回のループに持ち越される」
「嘘だろう、そんなこと言われていったいどんな味がするのか知りたくない奴がいるのか?」
「そう来ると思ったよ」
「ただ、正直に言うと……別の理由で気乗りしない」
首を傾げるGabbroに、私は口ごもりつつ話した。
「いや、持ってきといて何なんだけど。つまり、その、いまの私たちは、食べる必要ってやつがないだろ? 学術的な研究でもなく、好奇心だけで生き物を殺すのは、なんだか……いやだ」
実のところ、運んでくるうちに愛着がわいたというのもある。水の中に指を入れると、ちゅぱちゅぱ吸ってきてかわいい。それにこいつは、Gossanとの訓練飛行をのぞけば私の操縦する船ではじめて星から星へ送り届けられた、宇宙の旅人なんだ。
「……変なこと言ってるかな」
Gabbroは笑った。
「タイムループ中の殺傷行為の是非についてどう考えるべきか、私は専門家じゃないから、わからないな。けど、『どうせ死ぬんだから殺したってかまわない』というのは、私もなんとなくいやだなと思うよ」
それは、私自身に向けて言っていることでもあるのだろうか。そう思い、すこしだけ私は目を逸らした。
「オーケイ。じゃあこいつは私の客人だ。あと、場所を変えよう。打ち明け話はキャンプファイヤーを囲んでするものだと、太古の昔から決まってる」
崖の道を登り、キャンプの焚き火のまわりで腰をおろした。それから、Gabbroの静かな語りに私と魚は耳を傾けた。
「……Feldsparがまだ木の炉辺に姿を見せていた頃、私は宇宙プログラムに参加することを決めた。ほとんどの飛行士の例に漏れず、私もあの英雄に憧れて、宇宙をめざしたくちだった」
Gabbroは続けた──けれどある日、お前も知ってのとおり、Feldsparは帰らなくなった。巨人の大海に向かうと言っていたのが最後だったと思う。捜索は、限られた範囲でしかできなかった。Feldsparが帰ってこられないような場所に、他の飛行士が簡単に向かえるわけがない。
その頃、Feldsparとはべつの優秀な飛行士が、木の炉辺にいた。私にとっては年長の親しい友人であり、指導者だった。本人は、自分の能力はFeldsparには遠く及ばないと言っていたけど、私からすれば方向性が違うだけで、じゅうぶん優れたパイロットだったよ。恐れ知らずのFeldsparが前人未到の飛行をやってのける間、その飛行士は、次の世代を育てるコーチとしての仕事を受け持っていた。
……そうだな、ここからはその飛行士のことを「コーチ」と呼ぼう。私からそう呼ばれるのを、向こうはちょっと気恥ずかしく思ってたみたいだけど。
Feldsparは連絡を入れずに飛び回ることが珍しくなかったから、行方不明だということをみんなが認識するまでは時間がかかった。コーチはその中でも一番早くに「いくらなんでもおかしい、捜しに行くべきだ」と言い始めた一人だった。
けど、コーチには新人飛行士たちの命を預かる仕事がある。だから捜索に多くの時間を費やせなかった。それでも、自分の仕事と、義務として課せられた休憩時間の合間を縫って、Feldsparの行方を捜していた。
私はまだひよっ子だった。でも大人たちの役に立ちたかった。そして同じくらい、自分もFeldsparのような英雄になれるはずだと信じていた。私はまだソロ飛行を許可されていなかったのだけど、コーチと一緒に飛行訓練をした時に、発射コードを盗み見て暗記した。
誰にも見咎められないようにリフトを起動して、着陸パッドに停めてあった探査艇にこっそり乗り込んだ。ひとりでやれる自信があった。その頃の訓練では、もうコーチは私の後ろにほとんど念のために座ってるだけで、へまをしてコントロールを奪われることもなかったからだ。自分がもう一人前だってことを証明すれば、コーチの負担を減らすことができる。私はそう考えた。
けど、私は知らなかったんだ。訓練でその船を使う時は、まだ繊細なコントロールができない飛行士のために操縦桿の感度設定が大幅に下げられていた。それがその日の訓練のあと、船の本来の持ち主向きの調整に戻っていた。フィードバックメーターを確認すれば気づけることだったんだが、私はそれを怠ったまま離昇のステップを始めた。さらに悪いことには、その時ちょうど、Slateが船の旋回性能を上げる試みのためにスラスターの出力バランスを変更していた。それはけっして大きな変更ではなくて、操縦席に座っていたのがコーチだったなら問題にならない範囲だっただろう。けれど才能も経験も不足していた私にとっては致命的だった。船体はほとんど一瞬で浮き上がって、重力を振り切る速度に達した。ほんの少し操縦桿を倒すだけで船体は信じられないほど反応して、あっと言う間に制御不能になった。
船は木の炉辺の上空をぐちゃぐちゃに飛び回った。地面をひっかき、木々をなぎ倒し、モニターは損傷報告で埋め尽くされて、反応炉の過剰燃焼の警報が鳴り始めた。
村にだけは落ちる訳にはいかなかった。あとは間欠泉山に突っ込んで始末をつけるぐらいしか私にできそうなことはなかった。無線の電源を入れて、コーチのプライベート周波数に合わせた。繋がったら詫びとお別れを言うつもりだった。けどそれよりも前に、必死に私の名を呼ぶ声が聞こえて、覚悟がぜんぶ吹き飛んでしまった。私は喉も潰れんばかりに「死にたくない、お願いだ、助けてくれ!」と叫んだ。
こういう時のいろんな手順を学んだはずなのにパニックになっていたのを、無線の向こうの声が落ち着かせようしてた。それがどうにかこうにか効いて、私は指示のとおりに緊急脱出の装置を作動させた。
無重力空間に投げ出された私を、ジェットパックで飛んできたコーチがすくい上げた。内臓がぜんぶひっくり返りそうな速度でその場から逃れたあと、船が爆発した。コーチは私をかばってその爆風を受けて、それでも地上に安全に降りるまで私を離さなかった。
おかげで私は死ななかったけど、100回死んでも足りないって気分にさせられた。コーチは顔に大怪我をして、視野の一部が欠落した。飛行士にとっては大きすぎる損傷だ。飛べなくなるほどじゃなかったけど、大きなリスクを負うことになった。
コーチの手当ての間、私はひとり部屋にいた。遠くの部屋で言い合いが聞こえてきた。声はどんどん大きくなった。「なんで勝手に出力設定を変えたんだ、あいつを殺しかけたんだぞ」とか「お前がいつまでもFeldsparを探そうとするのが悪い、もう諦めるべきだったんだ」とか、そういうのが否応なしに届いてきた。
そのうち食事を運んできた奴が、泣きながら耳を塞いでる私を見て、哀れんだ様子で言った。こういう事故はこの村じゃよくあることだし、あいつらはあれがデートみたいなものなんだから気にするなってね。けど食欲なんてあるわけなかったし、へたくそに慰めてくるのが気に障ったし、マシュマロの焼き加減にも腹が立って、そいつにさんざん当たり散らした。私はすっかり混乱していたんだ。私なんか助けが来る前に死んでいればよかったんだと、わめきちらしてマシュマロ缶を投げつけて、それでそいつはすごすご退散した。そのあとは枕に頭を突っ込んで泣いた。
いつ眠ったのか覚えてないうちに朝になって、コーチがやってきた。ぐるぐる巻きの包帯に血が滲んでて、それを直視できなくて返事もせず壁を見つめてた。コーチは隣に座って「ちゃんと眠れたか」とか「飯は食ったか」とか、ふだんの訓練の朝となんにも違わないみたいに話しかけてきた。その途端に涙がぼろぼろ出てきた。
そこからはもう壊れたレコーダーみたくなって謝りつづけた。もう飛行士になりたいだなんて二度と言わないと私が言うと、コーチは私の肩に手を回して言った。「そいつは当てが外れたな」ってさ。それから言ったよ、「私らは、お前たちがこの先もずっと果てしない宇宙を駆け巡る未来のために、ちょっとばかりの危険を先取りして道を切り開いてきたんだ。それを誇らしい気持ちにさせてくれよ」と。
宇宙なんて言葉を口にする資格も自分にはもうないと思ってた。そう言うとコーチは笑い飛ばした。この木の炉辺では、空はいつだって開かれてる。いつだって星々の輝きは私らのもとへ届く。誰もそれを遮ることはできやしないと。
「それとも飛ぶのはもう嫌か、すっかり怖じけづいたか?」とコーチは私をからかった。
私は正直に答えた。無重力の中で、それまで生きていたどの瞬間よりもこの小さな星から離れることができたあの時、私は、だれかが命懸けで自分を助けてくれたことも忘れて、大気のゆらぎのない場所から眺める宇宙の美しさに、圧倒されていたんだ。
「Gabbro……」
私は詰めていた息を吐き出した。私が向ける表情にはお構いなしに、Gabbroは続けた。
「……で、そのあとで私の親友が来てくれた。報せを聞いてすぐに飛んできたんだけど、私が落ち着くまで待つように周りから言われてたらしい。親友は泣きながら私の無謀を怒ったり無事を喜んだりで、興奮しすぎてベッドに吐いてた。それから私と親友は長い時間をかけて翻訳機を一緒に作り上げ、Nomaiの謎を解くために星々を駆け巡るという決意をあらたに語り合い……」
「Gabbro、待ってくれ、Gabbro」
いっそすべて作り話であってくれと思いながら、私は聞いた。
「それ……私とGossanの話だよな……?」
Gabbroはあっさり無慈悲に認めた。
「そうだよ。いま気づいたのか?」
「ああああああああああああああ」
砂に顔をたたきつけて私は突っ伏した。
「ところどころ微妙に改変されてるから気づかなかったんだ……というか……『私の昔話』って言ってたじゃないか……」
叫び出したい衝動に体がなんにもついてこなくて、ひょろひょろした声が喉から漏れた。Gabbroはしれっと言いやがった。
「おっとすまない。『私のよく知ってる誰かさんの昔話』だった。単語がいくつか抜けていたね。でも考えてもみろよ。Feldsparがいなくなった頃に、この私がまともにソロ飛行もできないひよっ子だったはずがないだろう? 私は創設メンバーに次ぐ宇宙プログラムの古参だよ」
ああもうその変なアンテナをへし曲げてNomaiの子どものテキストみたいにしてやろうか。
という罵倒を、すんでのところでとどめた。Nomaiが私らに期待したのは、暴力的なコミュニケーションを好む種族になることではなかっただろう。私はせいぜい理知的な反撃を試みた。
「私はね、Gabbro。あなたのことをとても親切で聡明なHearthianだと思っている。ただでさえ失敗続きで落ち込んでる仲間の古傷をほじくり返す趣味があるだなんて、とても考えつかなかったんだよ」
Gabbroは砂粒ひとつ分もうろたえなかった。それどころか、おかしくてたまらないという顔だ。脳内で拳をふりあげた私に、優しい古代の異種族たちがステイを命じている。
「意地悪したつもりじゃないよ」
「じゃあどんなつもりなんだよ」
「いや、私もわりと忘れていたんだが。あの時、傷ついたひよっ子を精一杯なぐさめようとしたら怒鳴られてマシュマロ缶を投げつけられた私も、そろそろ当事者の誰かから謝ってもらってもいいんじゃないか? という気分になってね」
キャンプの焚き火が燃え移ったかと思うくらい一瞬で顔が熱くなった。
「あ、あやまろうと思ったさ! けど次の日にはGabbroはもういつもの調子で変な鼻歌うたって釣りに行っちゃって、なんかこう、切り出すきっかけがなくて、なんとなくそのまま、その……」
見苦しい言い訳の途中で、私は敗北をさとった。これは言わなくてもいいことだと勝手に封をしていたやつを、やっと取り出した。
「悪かった。ごめんなさい。あの時はどうかしていたんだ」
「まあそうなるよ、うん」
うなだれて謝る私に返ってきたのは、初めてマシュマロを焼く奴が黒焦げの塊を作った時の周囲の反応とほとんど同じだった。今じっさい黒焦げの発ガン性物質を作っているのはGabbroのほうなんだが。
「でもなんでそんな見てきたみたいに詳しいの。いや、だいぶ違うところもあったけどさ」
「これは私らがお前たちひよっ子ぬきでキャンプをやる時のGossanの鉄板ネタだから。あとは私の豊かな経験にもとづく想像」
「いたいけな私の傷心話を村のおとなたちは酒の肴に……?」
「GossanはFeldsparと違ってその手の武勇伝があんまりないから、ワインが進むとこればっかりになるんだよな」
「Porphyとのなれそめでも話してりゃあいいじゃないか」
抱えた膝と体のあいだに頭を沈めて、私は、地の底から響くような声でうめいた。「たしかに」とGabbroが同意した。
「あれ以来、私はお前と話す時はヘルメットを脱がないようにしようと決めたんだ。また缶詰を顔面で受け止めるのはいやだから」
「いま考えたろ、その話。私だって当てるつもりなんかなかったから、足元に投げつけたんだぞ」
「当てるつもりがなくても食べ物を投げつけるのはよくないよな」
ああ、Hal、聞いてくれ。Gabbroから常識を諭される日がくるなんて、君は想像したことがあるかい?
私が頭を抱えこんでいるうちに、焚き火の爆ぜる音がすこし強くなった。雨で消えないように、Gabbroが薪を足したようだった。
「私は、落ち込んだ時はひとり静かに寝ていたいほうでね。だから誰かの心を軽くしてやるのも下手なんだ。あの時も今も」
「……。そんなことない」
「そうかい? それならよかった」
軽く笑って、マシュマロを刺した棒を振る。
「まあ、私なりに仮説を立てていたんだ。いくらループで元に戻れるからって、Feldsparでもためらいそうなことを次から次にやって、まるで自分をいじめるみたいにしてるのは、Gossanたちに対する負い目ってやつなのかなとね」
「それは……違うよ」
驚いて頭を振る私に、Gabbroはなかば予想していたという顔だった。
「だな。仮説の誤りが実証された。そういう理由で無茶をやってる奴が『アンコウって私をどんなふうに食べるのかな』と言い出すとか、ちょっと意味がわからないもんな」
別に興味本位でわざと食べられてみたわけじゃないので、その言い草には多少の反論はある。
それに、Gabbroの言うようなことも、ときどきは考えることもある。私が立派な飛行士になることは、負債を返すための義務でもあるのだと。でも何かを見つけて飛び出す瞬間、私の頭の中にはもうだれもいない。私のせいで傷ついた者のことも、心配している友達のことも。
なにもかも消え去って、ただ探求心を満たすことだけが、私の心を支配する。
「ひどい奴だな、私は……」
腕に手を回し、旅人の徽章に触れた。星空へと飛び立つ船。見送るように並び立つ針葉樹。そして、力強く燃える焚き火。
その火とおなじかたちをした目の前の炎を、じっと見つめた。
「みんなのことを愛してる。愛してくれた人たちに報いたいし、みんなのことを救いたいと思ってる。でもそれが一番の理由じゃない。私はただ、自分がまだ見たことのないものを見たいと、そればかり考えてる」
「思うだけ偉いさ。一番じゃなくても。私のほうは、太陽の重みを背負う気なんてさらさらない。たまにChertと話す時も『まあこんなのはしょうがないよ』って、そればっかり言い続けてる」
「……!? Chertと話す時があるの?」
「あいつとは今でも無線が繋がるからね。そんなに何度もってわけじゃない。それこそ私じゃなくFeldsparだったら、もっといい話し相手になれたんだろうな。Chertが自分の行き先を双子星に決めたのも、あそこに降り立つことができるとFeldsparが証明してみせたことがきっかけだから」
ああ、そうか。
Gabbroはこういうことを私よりもずっと知っているんだ。Feldsparが道を開いて、その後に続いた者が辿り着いた終わりのことを。私の知る旅人たち、それからたぶん、村の墓地にひっそりと眠り続ける、名もなき旅人たちのことを。
Gabbroは傍らのバケツの魚にマシュマロのかけらを分けてやっていた。ごく当然の権利って風情でそれを貪る魚を、愛おしそうに眺めながら、言った。
「木の炉辺だけでじゅうぶん生きていけたはずの私らHearthianの祖先が、滅び去った者たちに魅了され、食べ物を探すためでもないのに星々への旅をするまでになったのは、とにかく好奇心を満たしたかった奴がいたからだろうさ。私らに未来があるとして、そこへ導く者がいるとしたら、存外そんなものかもしれないよな」
炭のかたまりがぱちりと大きく爆ぜ、炎がゆらいだ。風に舞う木の葉が火に飛び込んできて、立ち昇る煙がすこし濃くなった。
「話したいことができたら、またいつでもおいで。待ってるから」
煙が表情を隠しているあいだに、おだやかな声がそう言った。
それから竜巻をひとつやりすごしたあと、私らは崖下の砂浜へもどった。
「ねえ、Gabbro。……今度さ、私の船を使ってみる?」
歩きながら、私はふと提案してみた。
「いろいろ勝手は違うだろうけど、少し触ればわかると思うんだ。だから──」
「ハハ。私は、私向きに調整されていない船に触るのはもう懲りてるよ。先輩もさすがに闇のイバラから助けに飛んで来ちゃくれないだろうし」
虚を突かれて、思わず立ち止まる。
「どういう意味……」
「どうとでも?」
なんでもないことのように返して、Gabbroはひょろ長い体をハンモックに預けた。
「たくさん話せて楽しかった。私はしばらく昼寝するから、用事があったら次に頼むよ」
深く呼吸する音。次に空に光がひらめくまで二度と目覚めない眠りに、ループ仲間はさっさと入ってしまった。
[閉鎖領域の憩い場で■了]