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【 信じること、強く生きること、『必要の旅』について。 】
文章と備忘録。
自分の、(中高)大学〜社会人新卒までの半生のちょっとした手記です。
【 信じること、強く生きること、『必要の旅』について。 】
住んでいる場所、住居、勤めている会社、職業、乗っている車、年収、学歴、身なり、容姿、
そういうので人を判断、優劣を付けるこの社会、及びそういう人間の事がずっとずっとクソだと思っていた。
そういう社会で生きていたくなさ過ぎて、新卒の時、
わざわざ北海道の富良野で就職して、農業という産業の中に身を置いて、一生、生きていく気でいた。
中高と、千葉の私立中高一貫の進学校で過ごしてきて、"そういう世界"が本当に心底嫌で嫌で嫌で仕方なくて、
大学を北海道にある大学で過ごして農業について学んで準備して、新卒で富良野の農業生産法人(会社経営で人参や馬鈴薯などを生産・選別・梱包・出荷をする会社)に入って3年と少しその仕事に携わった。
自分にとって農業という職業や仕事が好きで、それを選んだのは、大きく三つ理由があった。
一つ目は、自分がそれまでで生きてきて心底信じられたのは、私たち人間を取り巻く移ろいゆく四季の自然の美しさと掛け値なさで、農業っていう職業はその自然の中で働く産業であるから。
二つ目は、その自然の中で人の営みとして自然と折り合いを付けながら人間の生業(ならわい)、営みとして働いている人たちのことに憧れがあって、そういう人間の姿が美しくて正しくあるべき人間の姿だと思っていたから。
三つ目は、農業という職業は人の幸せをつくることの出来る職業であると思っていたから。食物は人が口にして生きていく中でなくてはならないもの。誰かの口に入って美味しいと思う"幸せ"を自分が仕事をして叶えられたら、純粋にいいな、と思ったから。
その当時においての自分の夢は、移ろいゆく自然の中でその機微を感じながら人の幸せをつくる仕事をすることだった。
学生の頃から、自分が社会に出て仕事をする上で叶えたいと思っていた事はそれらの事で、自然との関わり合いの中で仕事をする事、間接的に自分の仕事が誰かの幸せを仕事を通して叶える事、だった。農業という産業も高齢化が激しくて、若い人がもっと参入して頑張らなくてはいならないべきだとも、思っていた。
純粋な気持ちとして、そんな志は正しくて善い事ではあったな、とは思った。
けれど、どうにも自分が直面したのは、どうにもならな過ぎる地方経済の悪化と衰退と、農業産業の業界的な不憫さだった。農業は産業の構造上、買い手から買い叩かれる下請け状態にある。高騰し続ける燃料費や肥料費は生産物に価格転嫁できない。当然、皺寄せは人件費に跳ね返って来る。
色々な業界を見て来たけれど、一次産業、特に農業、酪農業、林業、の労働環境は悲惨だ。収入や休みも少ないし労働的にキツいから、という理由もあるし、産業構造的に不憫な割を喰っている業界で、これらの産業従事者の多くは50代60代以上であり、20年後、30年後、たぶん跡形も無くなっているだろうな、という感覚もある。
富良野にある、その農業生産法人は端的に言えばブラックな会社だった。
年収は譜面で300万を切りながら年間休日50日以下で、サービス残業は当たり前だったし、仮に残業付いても割り増し手当てとかないし、月に1日2日休みが常態化してて17連勤〜19連勤が当たり前だったし、
色んなものを犠牲にして残業60時間ぐらいして、やっと手取りが19万とかで20万超えなかったのに唖然としたのを覚えてる。
中型免許、大型特殊免許、フォークリフト、などの会社で使う運搬・運転系の資格は実費で取らされたし、
これはこの業界から人が居なくなっても仕方ないな、と思う結論だった。
結果として、色んな夢や志はあったし、残念だったけれど、北海道で農業やって暮らす夢は諦めて、中型免許、大型特殊免許、フォークリフト、などを活かせる港湾荷役の仕事を地元に戻ってしている。
皮肉にも、余り地元や関東のことは好きじゃなかったけど、自分のその技能は買われてて、必要とされててそれなりに職場も居心地も良く、今は安定して仕事できて日常を送れている。
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この資本主義社会の中で、いつも割りを喰うのは現場で地道に直向きに働いている人間だ。業界が違うだけで目に見えて広がっていく格差。
持っている人間と持たない人間が互いに満たない自己承認を求め虚栄心をひけらかし合うSNS。
そういうの、今でも本当にクソだな、って思っている。生きることに値しないクソみたいな人間とクソみたいな社会。だから人口減少も経済不況も衰退も止まらないし、止められない。
いま、この社会と殆どの人間たちは、『私たち人間は次世代をつくるほどの存在価値と存在理由を持っていない』、って暗の内に思ってしまっているクソみたいな人間が殆どだ。自分の目にはそう映っている。
だから、人口減少も少子高齢化も経済不況も増税も止まらないし、止まることがない。
私たち人間が、豊かさと発展の先に、おのれの矜持と自負を失っている社会と時代。
おのれの存在価値と承認欲求を、携帯電話の画面越しに求めている様な、下劣で下らない、つまらない、病んでいる人間たちとこの社会。
自分も自分で正直の所、そういう社会とそういう人間たちの事を非難できる程の立派な人間でもなくて、時々そんな人間に自分も成りつつある部分もあって、自己嫌悪するけれど、
でも、まだもっと純粋な人間の崇高さとか生きる上での信愛とか掛け値なさみたいなものを信じて生きていたい。
四半世紀と少し生きて来て、少し思うのは、このどうにもならない社会と醜い人間たちの中で、何を心底自分が信じたいか、信じられるのか、を見つける為の旅みたいだったな、と感じる。
人が生きる上で一番大切なことは、何かを信じること、何かを愛すること、何かを心底掛け値なく無条件で信じられること、だと自分は思っている。
それなりに生きてきて、誰かのことを無条件で信じたり愛することって、やはり無くてはならないもの、どうしても必要であること、だと思っているから。
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生きることは
何かを、誰かを、信じるための、必要の旅。
今、率直に自分はそう思っている。
小さい時から、正直、何かを心の底から無条件で信じられる事が、自分には無かった。
幼少期から、親には歪んだ教育熱みたいなものの中で育てられて、勉強をすること、良い進学校に進むこと、良い大学に行くことが正しくて、それに応えていく事に一生懸命だったけれど、結局は彼ら親の期待通りにはならないと分かると「お前は最低の出来の人間だ」ってそう見放されて突き付けられて歪んでいったこと。
つまらない事だったな、と今は思う。
そんな呪いの言葉を解決できたのも、最近のことだ。
全然別の遠い場所で、ささやかながら自分の夢を叶えたかったこと。農業、という産業に少し携わったこと。だいぶ遠回りしてしてしまったし、不器用な歩みでもあったけれど、でも経験として後悔はしていないこと。
何かを誰かを無条件で信じられること、愛することができること、
端的に今、自分が叶えたいこと、叶えたい夢は、これだけ。
今までの自分には、そういうのって本当に難しくて、眩しくて眩しくてどうしようもない事だった。
心の芯の部分では、誰かや何かに対する恨みや怒りや猜疑心がどうにもまだ消えていない感覚が、正直ある。
けれどね、やはり同時に、何かを誰かを無条件で信じられること、愛することができること、が出来なくては、それは本当の意味での幸せではない、という事も自分には分かっていることだ。
自分じゃない誰かのことを信じて愛することができるのは、人にとって本当に一番幸せなことだと思うから。
私たち人間は、幸せになるために生きていて、何かを信じられること、愛することができること、があるのとないのとでは、きっと生きる幸福度合いは大きく変わるはずだ。
必要なのは、他者や人間への猜疑心ではなく、友愛と信愛を。
自分の中で、その最適解と手の中にありたいもの事は、正直まだ見つかってはいないけれど…、でも結局はね、何かを恨むでも憎むでもなく、自分を強くしていって、手にしたいと思うものは自分の最大限の努力を払って叶える様にして、生きていくしかないんじゃないかな、と最近は思っている。
誰にも何も咎められない、下に見られる事のない、そういう自分自身であって、真っ直ぐで凛とした強さと優しさを持って生きていくために。
だって、生きていくことは、それを叶えるための『必要の旅』なんだよ、って自分に言いながら。
どんなにしんどくたって、道が果てしなく見えてしまってもね。
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