「ノルウェイの森」 / 村上春樹
" I once had a girl
Or should I say she once had me
She showed me her room
Isn’t it good Norwegian wood? "
"僕は女の子を引っかけた
それとも僕が引っかかったと言うべきか
彼女は僕を部屋に招いた
「素敵なノルウェー調のお部屋でしょ?」"
The Beatles /「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」
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村上春樹 /「ノルウェイの森」 #読了
自分にとっては、この小説はかえって語る余地の無いくらい圧倒的な小説で、読了感想が非常に難しい。
ただ、最後の2ページは本当何度読んでも鳥肌が立つくらい、劇的で圧倒される。
限りない、生と死と、性と、悲しみとそして優しさに溢れた小説で、こんなまっすぐな小説を自分は知らない。
作家的に言えばには、作者の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の真逆の鏡越しに存在する、非常にリアルで自伝的な小説なのだろうと思う。
世界の終り〜のラストで、主人公が永遠の想像世界、内面世界の森の中で、心を持たない図書館の少女と生きてゆく選択をしたのと、
ノルウェイの森のラストで、主人公が生と死の狭間のような"どこでもない場所"から緑(主人公にとっての生の象徴)を呼び続け希求したのと、非常に好対照になっている。
世界の終り〜が、死に向かい、死を受け入れ、"死≒内面的な永遠の生"を選ぶ小説であり、
ノルウェイの森は、死と対峙し、死の淵から生を選び、生を求め呼びつづけている小説である。
世界の終り〜が、これから死にゆく自分が周囲に別れを告げ死ぬ哀しみを書いた小説であるなら、
ノルウェイの森は、死にゆく周囲の人々と決別し生きる哀しみを書いた小説であるのだと。
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「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」
「ビスケットの缶にいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」
このノルウェイの森での緑のセリフが非常に好きだ。緑はとても強い女性で、そんな言葉を主人公にかける緑はとても優しい人間だな、って思う。
ノルウェイの森は緑がいてくれたから、主人公のワタナベ君は生を選び、生き続けることができたのだと思う。この小説にとって、緑の存在は掛け値ない救いになっている。
村上春樹はこの小説を、カジュアルティーズ(戦闘員の減損)についての小説だと述べている。
この小説で主要登場人物の8人のちょうど半数が死んでしまったり失踪してしまうけれど、だから、それでも生を選び生き続ける登場人物たちの姿がよりありありと克明に表れていると思う。
ラストシーンの少し手前、駅でレイコさんと別れる場面で、「体の中で何かがまだつっかえているような気がする」と言うレイコさんに、
主人公は「残存記憶です」と言って笑う。
残存記憶。
駅で無数にすれ違う人たち、どこでもない場所でいずこともなく歩きすぎていく無数の人々の姿、
生きてゆくことはそんな風に、誰にも捉えることはできない、あらゆるものが過ぎてゆく過程の中で、
失われてゆくあらゆる人やあらゆる物の哀しみを哀しみ抜きながら、そうしてその残存記憶と共に生きてゆくことなのだろうと思う。
そうした残存記憶は、ふとした時に自分の中に立ち返って来て、蘇って来て自分のことを揺り動かす。
ノルウェイの森の冒頭のシーンで、主人公が「ノルウェイの森」の曲を聴いて混乱して揺り動かすように。
「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる?」
と直子は主人公のワタナベ君にそう言う。
忘れないよ、ずっと覚えているさ、と主人公は言うけれど、それでも時はあまりにも早く残酷に流れ、過去の記憶は遠く褪せてゆく。
死者は歳を取らない。
時とともに生きて変わってゆく私たちとは対照的に、死者は記憶の中で、永遠に変わらない姿のままで私たちのその胸の中だけで生き続ける。
残存記憶。
時は失われるだけではなく、いつでもそこにどうしようもない懐かしさ、という残像を残していく。
死んでしまった人たち、まだ元気でいる人たち、失われてしまった場所、まだ昔のままでそこにある場所。
そんなことを、何度も時折りに思い出しては、はっとさせられる。
それはあまりにも哀しくて切ないことだけれど、そんな掛け値のない大切な残存記憶を持ち続けながら生きることが、死んでしまった人たちの手向けとして、今を生きている私たちの存在理由なのかも知れない。
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