測れないもの

測れないからと言って、存在しないわけではない。
私たちがそれを測る術を持ち合わせていないだけ。

この記事では、「測れないもの」をひたすら列挙しつつ、複数の本の記述を引用することで、測定可能性・再現性・定量性・効率化・コスト削減といった明確な視点の対極にあるであろう何か曖昧なものについて、考えていきたい。


[測れないもの1] 定義が定まる前のもの

適切な問い

「効率・時間・コスト・便利・改善・大量生産・金太郎飴」の考えは、既存の物差しで測定できる。一方、「パラダイムシフト・イノベーション・特異点・ジャンプ」の考えは、既存の物差しでは測定できない。

だからこそ、「なされるべきを考える」「適切な問いを立てる」ことが求められている。
「問いこそが答え」とも言えるし、「ピントをぼかす言葉で逃げるな」とも表現できる。

根本的な問題は、組織にとって重要な意味を持つ外部の出来事が、多くの場合、定性的であって、定量化できないところにある。それらはまだ事実となっていない。事実とはつまるところ、誰かが分類し、レッテルを貼った出来事のことである。

ピーター・ドラッカー 『経営者の条件 (原題:The Effective Executive)』 より

原因療法と対処療法

表面に現れている現象ではなく、その内側を見る。何がcriticalな点だろうか?と考える必要があるが、えてして最重要な点は定量化できない。
以下に一例をあげる。

Q. あなたには2歳の子供がいるが、喘息、アトピー、貧血、体の冷え、食の細さ、疲れ、、、などの症状を訴えている。どうする?

A1. 育てるのが面倒だから捨てる。……コストカット、ヨシ!

A2. 医者にかかったところ、「咳止めと気管支拡張薬と血管拡張薬と抗アレルギー薬と抗不安薬と睡眠薬とステロイドとサプリメント出しときますね、一生飲んでください。あと栄養が取れないので点滴。場合によっては胃瘻にしましょう」とのことだったので、一生寝たきりの子供に投薬し続ける。……体中にセンサを取り付けてデータを可視化、ヨシ!

A3. 「この子は生命力が足りていない。生命力を高めるにはどうすればよい?食べ物からエネルギーが取れていないのはなぜ?胃腸が動いていない?胃腸を動かすにはどうしたらいい?」と考え続ける。「咳をすると気道がふさがるから咳止め」と医者に言われた際に、「生命は伸びるものなのに、咳は生命防御に必要な機能なのに、むやみに止めていいものではなくない?」と、自分の直感を信じ抜く。自分の足で探し続けた結果、『薬食同源』という言葉に行き当たり、体を温める材料で作った、栄養バランスの取れた食事を与えるようにする。

ちなみに、A3は実話。

今のコードと未来のコード

突然プログラミングの話。プログラミングの業界では、「未来に技術的負債を残さないこと」が重要視されることが多い。余計なif文を足す前に、元の設計を見直せということ。
ただし、この考え方を現実とぶつけると、「測れないこと」に由来する様々な課題が生じる。

  1. 「今、納期を遵守した」は測れるが、「将来の納期を縮めた」は測れない。定量的な成果、例えば現プロジェクトの〆切を守ることが評価される人事システムの場合、抜本的な設計改善をする意欲に繋がらない。

  2. 「今、バグを何件直した」は測れるが、「将来のバグを何件防いだ」は測れない。定量的な成果、例えば現プロジェクトでバグを直した件数が評価される人事システムの場合、未病で防ぐ意欲に繋がらない。

  3. 「今、新しいシステムを設計した」は測れるが、「将来にわたって問題が起こりづらい設計にした」は測れない。自分がいなくなった後にも保守しやすいようなアーキテクチャを作る意欲は、今期の定量的な成果だけを見る会社の人事システムからは生まれない。

ちなみに、実話。

今の寸法と、未来の癖と、過去の姿

突然建築の話。生きている木を使って建築をするなら、今の形だけ整えればよいというわけではない。その過去の姿から未来の癖を見通して作らないといけない。…が、当然、カットされた後の材木の寸法だけでは、過去の姿も未来の癖も測れない。

昔から、わたしらは「木を買わずに山を買え」と言うことがあって、伐採されてから見たのではあきまへんのや。木は立っているうちに見ないとあかんのです。
台湾へ行ったら、樹齢二千年の木がずっと生えているわけです。その中から、あの木、この木とより分けます。それはどこに基点を置くかといったら、二千年の樹齢がありながら若々しい葉の色をしているのは、あきません、中が空洞に決まってますわ。
二千年の正しい木は、二千年相応の葉の色をしています。葉の色が渋いものが、中は詰まっているんです。そういう木は決まって、大きな幹があって枝が出ていますが、青々とした木に限って、枝がうつむいているんですな。黄ばんだ渋い色の葉は、いったん上を向いて出て、それから下にさがるんです。
中が空洞だと上にあがった枝が重いから耐えられんのですわ、それで下を向いてしまうわけや。
そうやって見分けていきますのや。
こういうことを台湾の業者に話しましたら、びっくりして、日本人で今まで山へ入って、そういうこと言うた人は初めてやと言ってました。
材木業者もいいかげんなものや。伐採されてから、買うてきよるだけだからね。
立っている木見ないことには、木のねじれの性質がわからんのや。その土地ごとに、風の吹く方向が違っているし、その風によって木のねじれの性質が出てくるし、立っているのが南斜面か北かでも違ってくる。
とにかく木を扱うというのは、その地方地方によって山の土質が違うし、環境も違うから、ひとすじなわではいかんのです。

西岡常一 『木に学べ』 より

自分の文章だが、こちらも参照して良さそう。

[測れないもの2] 定義が文脈に依存するもの

成功と失敗

そもそも「成功」や「失敗」なる統一的な概念があるのか?ある視点から見れば成功で、ある視点から見れば失敗ということもある。一概に測れるものではない。

一例として、「THE FIRST SLAM DUNK」におけるライバル校のエース、沢北栄治が試合前に祈っていた時の言葉を引用。
この後、沢北のチームは主人公のチームに敗北し、必要な経験=敗北という関係が明確に描かれるが、これが成功なのか失敗なのかは、本人にすら分からないだろう。

高校バスケで、やれることは全部やりました。
もう俺に、証明するものはありません。
俺に必要な経験をください。
もしまだあるとするのなら、それを俺にください。

井上雄彦 『THE FIRST SLAM DUNK』 より

「成功と失敗に統一的な概念がない」という視点で見ると、この本のタイトルもとても示唆的。

日本語題は「リーダーを目指す人の心得」。まるで、万人に共通する心得があるかのように見える。
しかし、英語の原題は "IT WORKED FOR ME In Life and Leadership"。コリン・パウエル自身は、「あくまで私ひとりには、この方法は有効だった」としか言っていない。
万人に共通して再現性があるサクセス・ストーリーなど無い、というのをよく表しているタイトルだと感じる。自分の言説の限界をしっかり認識し共有することは、「誠実」という言葉の一要素かもしれない。

市場価値

よく聞く言葉だが、統一的な概念があるのか?これも、測れるものではない。

対極にある概念として、「How Will You Measure Your Life?」の「経験の学校」モデルは分かりやすかった。以下は自分の文章だが、一応まとめ記事を作ったので良ければ参照してほしい。

[測れないもの3] 人や会社のパラダイム

パラダイムという概念

Paradigmとは、個人個人の価値観、視点、判断基準、背景、信念、、、などを表す言葉。パラダイムの重要性については、「7つの習慣」がすべてを語ってくれているのでこちらを参照のこと。
これも測定するのは不可能だが、人間のすべての行動・結果の裏に隠れている最重要な観点。

パラダイムの重要性について、例を2つ挙げる。どちらも、当然定量化できる概念ではない。

例1:「顧客が喜ぶためなら、何をしてもいい」というパラダイムが、企業と従業員でかみ合うと、働く意欲が大幅に上がる。

例2:「○○することが人のためになる」というパラダイムが、人と人でかみ合わないと、戦争が起こる。 

現実でもよくあるはなし。戦記物でも定番。例えば↓のファイアーエムブレム風花雪月では、その嚙み合わなさを非常に明快に描き出している。

この世界の中では、「既存の秩序を壊すことが人のためになる」と考える集団と、「既存の秩序を守ることが人のためになる」と考える集団が登場するが、当然のようにかみ合わない。言葉を交わしたとしても、頭では理解しても心がついてこないので、結局理解されない。以下の2つのセリフは、それぞれの集団のトップの言葉だが、どちらの言葉も、完全にお互いの理解の埒外にあるのが悲しい。

目の前の犠牲に囚われ、
未来の犠牲に考えが及ばぬ愚者を……葬る。
すべての過去を踏み潰し、我々は前に進む!

『ファイアーエムブレム風花雪月』蒼月ルートラスボス = 紅花ルート主人公のセリフ

俺は、もう誰も死なせない……
何一つとして、貴様らに奪わせはしない。
今度こそ……俺は、守ってみせる。

『ファイアーエムブレム風花雪月』紅花ルート準ラスボス = 蒼月ルート主人公のセリフ

パラダイムを失わせる組織

上記のとおり、パラダイムは価値観、信念、あるいは存在価値、生きる理由にもつながるものである。
組織のパラダイムと個人のパラダイムがかみ合えば、人のエネルギーは大きく増幅される。上記のザッポスの記事も参照。
一方、合わない組織に無理やり人を合わせるなどして、人のパラダイムを失わせると、人のエネルギーは失われていく。

完全にエネルギーを失った状態まで行かないと、遅刻回数・早退回数などには現れてこないため、エネルギーがどのくらい増えたか・失われたかは、当然明確には測れない。しかし、人のモチベーション、仕事の成果を考える上ではしっかり見ておかないといけない概念である。

完全にエネルギーを失った状態は、極度の栄養失調による衰弱状態と同じように、「marasmus」と呼ばれている。

心理学博士で後にアメリカ陸軍の主任心理学者となるウィリアム・E・メイヤー大佐は、朝鮮戦争後、北朝鮮の捕虜となったアメリカ兵1000人を調査した。博士がとくに興味をもったのは、記録が残されているかぎり最も極端で最悪の心理戦――捕虜に壊滅的な打撃を与えた心理戦だった。
アメリカ兵が収容されていた北朝鮮キャンプは、一般的な基準からいって、とくに残酷なわけでも、特殊なわけでもなかった。食料と水は十分に与えられ、居住スペースも確保されていた。……じつのところ、肉体的な虐待という点では、歴史的に見ても少ないほうだった。
ではなぜ、多くのアメリカ人捕虜がこの収容所で命を落としたのか。有刺鉄線に囲まれていたわけでも、武器をもった看守に見張られていたわけでもないのに、脱走しようとする者はいなかった。逆に収容所内部では、捕虜同士の喧嘩がたえず、互いに反発しあい、ときに北朝鮮側につく者すらいた。
解放された兵士は日本の赤十字に保護された。家族や友人に無事を知らせる電話をかけるように勧められたが、電話をした者はほとんどいなかった。
アメリカに帰国してからは、連絡を取り合うことも、旧交を温めることもなかった。捕虜たちは「鉄格子やコンクリートの塀はないが、……精神的な独房に閉じ込められている状態」だったのだとメイヤー博士は言う。

トム・ラス / ドナルド・O・クリフトン 『心の中の幸福のバケツ』 より

上記の本で挙げられていた、人のパラダイムを失わせる観点は以下の4つ。
1. 密告により、同僚への信頼を失わせる
2. 同僚の前で自己否定を繰り返させることにより、自分への信頼を失わせる
3. 軍隊の価値観を打ち砕くような所内規則に従わせることにより、上官および信じてきた価値観への信頼を失わせる
4. 故郷からの「心の支えになる」知らせは伝えず、「気落ちさせる」知らせはすぐ伝えることにより、家族や故郷への信頼を失わせる

。。。。。。

現代の企業の中でも、起こっているのではないか?

辞めた人の陰口を言う。制度の運営がうまく行っていないとき、責任者一人のせいにする。
人事考課で、良かった点はさっさと飛ばし、改善するべき点を長時間にわたって議論する。
個人の事情、価値観、過去の学び、あるいは強みや適性を考慮せず、画一的に業務に割りつける。画一的な制度で制約する。
机の上に家族や伴侶の写真、お気に入りのぬいぐるみなどを置くことを一律で禁止する。

など。

自分が加害者にならないように気を付けるしかない。

上記の例は北朝鮮の収容所だが、ドイツのアウシュビッツ収容所について書いた「夜と霧」にも、類似の記述がある。収容所は明確に、パラダイムを失わせる≒反抗のエネルギーを削ぐことを目的にして設計されているため、共通する部分も多いのだろう。

収容所暮らしが長い被収容者のこうした非情さは、いかに生き延びるかというぎりぎり最低限の関心事に役立たないことはいっさいどうでもいい、という感情の表れだ。被収容者は、生きしのぐこと以外をとてつもない贅沢とするしかなかった。あらゆる精神的な問題は影をひそめ、あらゆる高次の関心は引っこんだ。文化の冬眠が収容所を支配した。
……
強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在であるという自覚などは論外だ。人は自分を群集のごく一部としか受けとめず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込む。きちんと考えることも、なにかを欲することもなく、人びとはまるで羊の群れのようにあっちへやられ、こっちへやられ、集められたり散らされたりするのだ。

ヴィクトール・フランクル 『夜と霧』 より

一方で収容所に限らず、日常生活に「疲れた」職業人も同様のパラダイムの喪失・エネルギーの喪失を経験している可能性がある。これは、サン=テグジュペリの「人間の大地」にも類似の記述がある。

ぼくは、ひとり言をもらした。彼らは、すこしも自分たちの運命に悩んでいはしない。いまぼくを悩ますのは、慈悲心ではない。永久にたえず破れつづける傷口のために悲しもうというのでもない。その傷口をもつ者は感じないのだ。この場合、そこなわれる者、傷つく者は、個人ではなく、人類とでもいうような、何者かだ。ぼくは憐憫を信じない。いまぼくを苦しめるのは、園丁の見地だ。いまぼくを苦しめるのは、けっして貧困ではない。貧困の中になら、要するに、人間は怠惰の中と同じように、落ち着けるものなのだ。近東人の中には、幾代も汚垢の中に住んで、快としている者さえある。ぼくがいま悩んでいるのは、スープを施しても治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますのは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人々の各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ。

人間の土地 / サン=テグジュペリ (堀口大學 訳) より

パラダイムを失わせる社会通念

「信じてきた価値観への信頼を失わせる」ことは、意図せずに起こる。
例えば、社会の常識として求められているパラダイムと、自分の核にあるパラダイムが矛盾した場合、それを「自分のパラダイムを守るための手段として、一時的にごくわずかに別のパラダイムに従う」と捉えればエネルギーは失われない (例:夜と霧) が、「自分のパラダイムを変えないといけない」と考えると、エネルギーが失われてしまう。これも、定量的に測定して対応できる問題ではない。

アリソンは瘦せ型で身だしなみをきちんと整えていたが、顔色が青白くやつれて、あまり幸福そうに見えなかった。彼女は10年ほどある企業法専門の弁護士事務所で訴訟を担当していた。そして、今度は法律顧問として転職しようと考え、数社に応募していた。それが進むべき道だと思えたからなのだが、本心では気が進まないようだった。そして、まだどの会社からもオファーを受けていなかった。申し分のない経歴や実力からして最終面接まではいくのだが、どうしてもそこで落ちてしまうと彼女は説明した。
……
本当のところ、アリソンの問題は自分が大切に思っていない仕事のために性格にそむいて行動している点にある。彼女は法律を愛していないのだ。ウォール街の弁護士になるのが法律家としての王道だと考えたからその道を選んだのであって、彼女の偽外向性は、心の奥深くにある価値観に支えられていない。心から大切に思っている仕事を進めるために外向的にふるまっているのであって、この仕事が終われば本物の自分に戻ってゆっくりできる、そう自分に言い聞かせることもない。それどころか、心のうちで、自分ではない人間になることが成功への道だと言い聞かせていたのだ。これではセルフモニタリングではなく、自己否定だ。……アリソンは自分のあり方が根本的に違うと信じているのだ。

スーザン・ケイン 『内向型人間の時代』 より

[測れないもの4] 人や会社の心の強さ

上で挙げた問題を回避するために必要な、心の強さとも、余裕とも、思いやりとも、風情とも、道徳とも、良識とも、分別とも言えるもの。どれも人の内側に隠されているもので、当然、直接測ることはできない。

分からないものを「分からないまま」とどめておける力

「パラダイムという概念」で参照したファイアーエムブレム風花雪月の世界の中には、「既存秩序を守る」集団と「既存秩序を壊して反対の秩序を作る」集団のほかに、「既存秩序を壊してより広い世界を見せる・混沌を生む」ことを目指す第三の集団が存在する。

内も外もなくなれば、
外を嫌う理由がなくなる、だろ?
簡単じゃあないだろうが、もし実現すれば、
自分が背負ってるもんを捨てられる。

『ファイアーエムブレム風花雪月』翠風ルート主人公のセリフ1

いくら相手が強いったって
狭いフォドラの中での話だろ。
フォドラの外に目を向ければ
大地はどこまでも広がってるんだ。
そんな大地の片隅で強いの弱いの言っても、
たかが知れてるってもんだ。

『ファイアーエムブレム風花雪月』翠風ルート主人公のセリフ2

「より広い世界を見せるだけ・混沌を作るだけ」と書くと単純そうに見えるうえ、他の2つの集団よりもノリが軽いようにも見える。

一方で、人々に要求する思考のレベルは、むしろ一番高い。

「今までの世界観に無いもの、良く分からないものの存在を認めた上で、頭から消し去らずに、そのまま混沌の状態でとどめておく」ことは、とても面倒で重い思考を要する。
こちらのブログがとても詳細かつ丁寧な解説をしてくれているので、リンクをペタリ。

答えを決めつけず、よりよい解を探し続ける作業は、とてもとても負荷がかかる。そして周りには理解されない。既存の社会で生きていくうえでは、むしろ無駄な労力に見える。

一方で、それが役に立つときもある。「原因療法と対処療法」のA3も同じだが、たとえばこちらの絵本も参照。「不十分な情報で答えを決めつけないこと」の重要さを伝えてくれている。

自分のことだけで溺れず、周りを見渡せる力

周りを見渡す力、あるいは余裕は、定量的に測れるものではない。そのため、日々意識しておかないと、簡単に見失ってしまう。

例えば、頭では「人を助けることが大事」といくら理解していても、時間的制約に追われていると人を助けなくなるという実験結果が示されている。

他にも、自分に心の弱さがあってその対処に追われている場合にも、周りを見渡す余裕が無くなってしまう。

――そしてまた僕は気付くんだ
「自分」のことばかり考えていて
いっぱいいっぱいになっている「自分」に
自分の小さな荷物を「これはすごく重たい」って信じ切って
「自分はこんなにがんばっている」って呪文を
お守りみたいにくり返して…
そして
「自分以外の重さ」をも
背負ってがんばって来た人の姿を見つけ
「俺の荷物は100%自分の荷物だけじゃん!!」しかも
「でかいと信じてたのに超小さいじゃん」と
気付いて恥ずかしくなり
なのに
そんな人を相手にこんな不甲斐ない将棋を指して
ほんと失礼にも程があって…

羽海野チカ 『三月のライオン』 より

刺激と反応の間に一拍おく力

上記2つ、「分からないままとどめておく力」、「周りを見渡す力」は、両方とも、「外部から与えられた刺激とそれに対する反応の間に一拍置く力」とも言い換えられる。

特に工業社会においては、① 刺激と反応の関係は、(人によらず)できるだけ一対一であること、② 刺激と反応の間は、(人によらず)できるだけ短いこと、が望ましいと考えられている。これは、大量生産式の社会では、常に同じように素早く反応する、属人性を排除した機械の方が扱いやすいためでもある。
そのため、その間にあえて一拍置くのは、方向性としては逆であり、従来の流れに逆らうための強い意志力が必要になる。…..当然、これも目に見えるものではない。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあった……
つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

ヴィクトール・フランクル 『夜と霧』 より

心の弱さに振り回されない力

「意志力」という言葉が出てきた通り、これらの考えを突き詰めていくと、自らの心に余裕があるか、自分の弱さに振り回されない力を持っているかという観点に収束していく。
名馬ミホノブルボンの調教師、戸山氏が、とても突き詰めた文章を書かれていたので引用する。

毎晩、酒を飲んで夜ふかしし、腹が出ているような運動不足では、鋭いサラブレッドの動きについていけない。馬を鍛える調教師、厩務員、騎手は、自分も鍛えなければならないのである。
それを忘れていると、なにかのはずみに馬が突然の動きをすると、振り回されたり落馬したりするのだ。それで腹立ちまぎれに「この野郎ッ」と、馬に当たったりする。これはとんでもないことだ。馬だけではない。後輩を教えるにしても、自分の思うとおりにならないからといって、ただ当たるだけでは教育にはならない。
ふだん怠けて、体を鍛えておくことができないのは、プロ意識が希薄だからである。自分自身を律することができないのである。それで家庭で面白くないことでもあると、自分自身に腹を立てて、物を言えない馬に当たったり、部下に当たったりする。立場の弱いものに、文句を言ったり辛く当たったりするのは、たいてい自分自身に弱さがある場合である。そういうことは厳に慎まなければならない。

戸山為夫『鍛えて最強馬をつくる』 より

また、心の弱さのもう一観点として、「エネルギーを失った状態にとどまり続けたがる、弱い状態にい続けたがる」という弱さもある。

「少年よ、何も迷うことはない。自信を持ってその女を怒鳴りつけてやりたまえ。偉そうなことを言っていながら、何もせず高みの見物を決め込んでいるのはお前の方ではないかと。お前の方こそ、気休めの理屈に安んじているのではないかと」
「君の選んだその道を、勇気を持って歩きなさい。"何も変わらない"と嘆くだけの無気力な見物人にはなるでない。君自身が旅を続けなさい。メロスが最後まで走り続けたように」
「君たちは本が好きでここに来たのではないのかね?ならば理屈は置きたまえ。理想を語りたまえ。それが本を生み出す我々の特権だ」

夏川草介 『本を守ろうとする猫の話』 より

自分が世のために貢献するという姿勢

「心の強さ」の一例として、「自分が世のために貢献するという姿勢を持っているか」は一つ挙げられる。採用の時に、こういう姿勢を持っているかどうかを採用の条件にしたいと考えるのは、けっこう自然。

一方で、そもそも「姿勢」というものは、とても測りづらい。「あなたは自分が世のために貢献する姿勢を持っていますか?」「はい」で測れればラクだが、それはあり得ない。具体的な行動として現れた行為で間接的に測るしかないが、それでも測りづらいことに変わりはない。

具体的な指標をここで定義することはできないが、それを推測するためのいくつかの考え方は、過去の本を見るといくつか例がある。例えば、「自分にしか成し遂げられないことが、まだ残っている」という考え方を、ヴィクトール・フランクルが提示している。

あるとき、生きることに疲れた二人の人が、たまたま同時に、私の前に座っていました。それは男性と女性でした。二人は、声をそろえていいました、自分の人生には意味がない、「人生にもうなにも期待できないから」。二人のいうことはある意味では正しかったのです。けれども、すぐに、二人のほうには期待するものがなにもなくても、二人を待っているものがあることがわかりました。その男性を待っていたのは、未完のままになっている学問上の著作です。その女性を待っていたのは、子どもです。彼女の子どもは、当時遠く連絡のとれない外国で暮らしていましたが、ひたすら母親を待ちこがれていたのです。そこで大切だったのは、カントにならっていうと「コペルニクス的」ともいえる転換を遂行することでした。それは、ものごとの考えかたを180度転換することです。その転換を遂行してからはもう、「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。

ヴィクトール・フランクル 『それでも人生にイエスと言う』 より

また、アメリカのケネディ大統領の演説では「私が、国に、何ができるか」という考え方として言及されている。

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country.

ケネディ大統領の大統領就任演説より

この「姿勢」が明確に表れた例としては、桜井政博さんの「桜井政博のゲーム作るには」YouTubeチャンネルがある。黙ってこのチャンネルの動画256本を見るんだ。

少しでもゲーム全体の底上げをしようという試みでしたが
今後のゲーム業界にごくわずかにでも後押しになること
貢献できることを心から願っています

『桜井政博のゲーム作るには 最終回スペシャル』 より

自分よりも全体を優先するという姿勢

「自分が世のために貢献する姿勢」と少し似ているが、少し違う観点から。

「囚人のジレンマ」という有名な概念がある。
個人個人のプレイヤーが、自分の利益だけを最大化する行動を取り続けると、全体最適から遠ざかることがある、というもの。
これを避けるには、「自分の利益だけを最大化する」という姿勢を変えることが必要になる。

これも測れない「姿勢」であり、具体的な指標や事例を集めるのは難しい。
一例として、サイボウズでは、「会社は社員の利益を優先し、社員は会社の利益を優先する」という信頼関係をベースにしている。

上記インタビュー記事に、「(福利厚生は)権利を主張し始めたらやめる」という表現がある。とても良い考えかもしれない。お互いがお互いを優先するという信頼関係がベースにあるからこその福利厚生であって、それが失われたらもはやその制度に意味はないということ。仏教の三尺三寸箸と同じ。

今のボーイングのストと対比すると、その考えの重要性がわかる。。。

また、サウスウエスト航空では、技能より価値観を重要視して採用している。価値観については妥協しないため、採用率はとても低い。しかし、仕事について「天職(calling)」と回答できる社員を集めているとのこと。

「サウスウエスト航空は、現代のアメリカの企業としては異質です。利他の精神、『全員協力』の精神、人生楽しまなければの精神にあふれています。寛容の精神にもあふれていますが、こと価値観となると、妥協は一切しません。価値観で妥協してしまう従業員はアウトです」

ラジェンドラ・シソーディア, ジャグディッシュ・シース, デイビット・B・ウォルフ 『愛される企業』 より

ちなみに、ほぼ同様の話がプラトンの対話にも書かれていて、2400年前から人間はたいして変わっていないこともわかる。

正しいこととそうでないこと、正当なことと不当なこと、善いことと悪いこと、こういった、今僕たちが議論しているテーマでは、多くの人の言うことに耳を傾け、それに従うべきなのか、それとも、そのことを理解しているひとりの人が言うことに耳を傾け、従うべきなのか、どっちなんだろうか。僕たちは、他のすべての人が言うことよりも、善悪の基準を理解している人が言うことを恐れ、敬うべきじゃないかね。もし僕たちがその人を省みなかったら、僕たちは、正しいことによって善くなり、正しくないことをすれば悪くなる、あるものを傷つけ、破壊してしまわないだろうか

プラトン 『クリトン』 より

自らを再構築できる力

「自分の力、余裕、姿勢、パラダイム、、、が、今のままではどうやら良くない」と気づいたときに、それを変化させられる力。「パラダイムシフト」や、「コペルニクス的転回」に対応する力、ともいえる。

今までの「姿勢」と同じく、測れない概念。

一方で、パラダイムシフトへの対応力があるかないかという問いは、「幽霊を信じない人にどうやってその存在を信じさせますか?」という問いと共通の問題を含んでいる。即ち、気付かないと、見えない。見えないと、気付かない。一度自分が吹き飛ばされる「何か」を得てからでないと、この力の存在に気付けない。

いくつか無理やり例を挙げるとすれば、学歴や賞の数、論文のインパクトファクタ―、特許の数を積み重ねることに邁進していた人間が、今までと全く違う環境に入って自分の価値観を見つめ直し、学歴を積み重ねること以上の価値を再認識するとか。

生きるってことは、学歴とか肩書きとかを搔き集めていくことじゃない。今自分にできることを、少しずつ積み上げていくことだ

夏川草介  『神様のカルテ3』 より

タイトル戦で自分より圧倒的に格上の相手と当たって自分の在り方を一から考え直し、より強い自分を再度目指すとか。

タイトル戦でふっとばされた人間はね
みな一度は調子を崩す
それはね 当たり前
「このままじゃダメなんだ」と
番勝負の間に徹底的に思い知るからだ
――そして
自分を一回バラバラにこわして
再構築を試みるからだ
また一からな
みんなそう
ま みんなって「経験したヤツは」って事だけどね

羽海野チカ 『三月のライオン』 より

この「自らを再構築する力」は、個人だけではなく、企業にも「変化への耐性」という形で現れる。革命的な技術が出てきて業界の情勢が一変したとき、それを受け入れて自らを作り変えられるかどうかの境目になる。

1990年代、「PC」の登場によってコンピュータ産業が激変したときに、対応できた企業とできなかった企業の差もここにあると思われる。インテルCEOアンドリュー・グローブの文章を引用する。

なぜ、業界でも才気と起業家精神あふれるキャリアで知られた彼らが、テクノロジーがもたらした戦略転換点という現実に直面したとき、厳しい状況に陥ったのだろう。……新しい世界と向き合う苦痛に対する抵抗が、最も重大な要因だったと私は考える。
……
多くのスポーツと同様、タイミングは命である。ビジネスでは、同じ行動でも早ければうまくいき、後になるほど失敗しやすくなるものだ。
「早いうちに」とは、あなたの事業の勢いが旺盛で、資金繰りがうまくいき、組織が健全なうちに、行動するということである。……
言い換えれば、経営陣は、戦略転換点を通ることを避けられないと早期に認め、現状を受け入れ、「10X」の力による影響でビジネスの活力が失われる前に、行動を起こすことがベストの選択なのだ。……
しかし、残念ながら現実には正反対の行動をとる傾向が強い。……理由は明らかだ。転換点の初期にパニック状態はない。……たとえば、「金の卵を産むニワトリには触らない方がいい」とか、「全社員の給料を稼ぎ出している部門から、思いつき程度の新プロジェクトに、優秀な人材を移すことができるのだろうか?」というようなものだ。……その本心は、「私個人にはこの組織が必要とする変革を導く準備ができていない」ということなのだ。

アンドリュー・グローブ 『PARANOID SURVIVE』 より

Googleや先進的な企業で導入されている「10%ルール」の真の意味はここにある。「10年後、10xの変化が起こった際に、我が社を救うに足る切り札となり得る事業を、今から10%の時間を割いて育てておけ」ということ。決して、従業員の福利厚生のためではない。

終わりに

「測れないもの」について列挙しつつ、考えをまとめてきた。

この記事を作った理由の一つは、自分自身が大きな価値観の変動を経験し、「測れないもの」への尊敬を新たにしたため。
大学生時代は得られなかった気づきが得られるようになり、自身の成長(?)を実感する。

もう一つは、上記の「価値観の変動」自体が、「確実に変わっているのだけれど、それをうまく言葉にできない、測れないもの」だと感じたため。
「適応障害の経験を通して何を学びましたか?」と言われても、何%変化したとも、再現性が何%あるともうまく説明できるものではない。それでも、確実に変わっている。
それを説明したいと考えたのが、この記事を書いた本当の理由かもしれない。

社会生活においても、順風満帆に行っているときには「全てを定量化し、測り、効率化する」で問題はない。
しかし、ひとたび逆風が吹いたときに抵抗するためには、今まで挙げたような「測れないもの」が重要になるのではないか。

トラブル時に、相手を信頼できるかどうか。

自分にストレスがかかったとき、他人で発散する誘惑に勝てるかどうか。

美味しすぎる話が出てきたときに、騙されないかどうか。

焦らず、一歩ずつ学んでいく。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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