「自閉症の啓発」の違和感と難しさ
4月2日は、世界自閉症啓発デーです。
エイプリルフールの翌日は、世界自閉症啓発デーと覚えておきましょう。
まあ、自閉症について書くとどうしても重い話になりがちだし、書いてて楽しい話題でもないので、年に1回ぐらいがちょうど良い感じかなと。
といっても、前回の投稿も自閉症に関することなので、直近で2回続いてしまったわけだけれども。
前回の投稿で書いてるように、自分の息子が自閉症で、自分と似たような特性を持ってるから、自分も発達障害(自閉症)なんだろうな〜と思ってまして。
そんなわけで、自閉症というのは自分にとっては、避けて通れないものなのですが。
だからといって、自閉症について積極的に啓発活動をしたいかというと、そうでもないんですよね。
というのも、「自閉症の啓発」というのに、どうも違和感がありまして。
当事者でない人に向けて発信しても、やっぱりなかなか響かないだろうな〜と思っちゃうわけで。
そして、響かないであろう人たちに興味を持たせようと、そこに労力をかけるのがツライんですよね。
自分だって、もっと楽しいことに労力を使いたいし。
あと、息子の療育のためのシステムには概ね満足していて、そこにあんまり不満が無いんですよね。
日本って、標準に満たないものを標準レベルまで引き上げようとすることに関しては、公的な支援がムチャクチャ働くよな〜と感じてまして。
自分の息子に関しても、いろいろな療育のためのサービスを受けられる〜と。
ただ、このサービス内容について、ネット上に細かく書くのは難しいな〜と。
日本って「親が子育てで楽をすること」に関して、許されない空気があるんですよね。家事で楽をすることはウケが良いけど、育児で楽をすることは許さないみたいな感じで。
あと、そういう療育サービスを受けられなかった人から見れば、妬みの対象になるだろうし。場合によっては、人気で入れないみたいなところもあったりするからさ。
とりあえず、4月2日は「自閉症の啓発」という建前で、自分が寄稿した作品を紹介することで、毎年ごまかしとこうかなと考えております。
このKindle本にて、「隣り合わせの虐待」という作品で3位になってます。トリプロデューサーの文章作品での唯一の実績となっています。
もういまでは、これは書けない。自閉症の息子の子育てで、辛かった日々の真っ只中にいたからこそ書けたような作品です。