【小説】怪奇!梨人間
「いいか、この村では決してリンゴを食べてはいけないぞ。リンゴを食べたら梨神様の怒りに触れて、恐ろしい目に合うからな。まあに、そんなに怖がらなくてもいいぞ。何せ、リンゴなんかよりも梨のほうがおいしいに決まっているからな。ほれ、どんどん食えよ。宗太郎。どんどん食べて大きくなって、じいちゃんの畑を継いでくれよ」
じいちゃんはそう言って、ガハハと豪快に笑いました。ぼくはそんなじいちゃんの笑った顔がいっとう好きでした。
そんなじいちゃんも寄る年波には勝てず、一か月前、その年最後の梨を収穫し終わったその日に、死んでしまいました。ぼくはとっても悲しくて、ずっとずっと泣いていました。そんな時、ぼくはふと思い立って、じいちゃんが暮らしていた離れへと行きました。
ぼくが小さいころにはよく遊びに行っていたのですが、ぼくが大きくなるにつれて、自然と足が遠のいていきました。
じいちゃんの部屋はとてもきれいに整頓がされて、まるで自分が近々死んでしまうことを知っていたかのようでした。部屋の真ん中には、小さな梨の苗木が一つ置いてあります。ぼくはそんな部屋を見て、また涙があふれてきました。
そんな時、押し入れの中からごそごそと音がしました。離れには普段からカギが掛けてあるので、人がいることはあり得ません。ぼくは怖くなって、部屋から出ようとしました。その時、押し入れから声がしました。
「おうい、ここから出してくれよう。ボクはこわくなんかないやい。ボクとお友達になろうよう」
小さな子どもの、どこか寂しげにも聞こえるその声にぼくは思わず押し入れの扉を開けてしまいました。
するとそこには、全裸で筋骨隆々の男が立っていました。しかし、その男の顔はなぜか大きな梨になっていました。ぼくは思わず叫び声をあげました。
「おいおい、そんなに驚かなくたっていいだろう。そんなことよりボクの名前はジョン! この村に昔から住んでいる梨の妖精さ! ボクはキミとお友達になりたいんだ」
梨男は、体に見合わない子供のような甲高い声でぼくに話しかけました。梨男の胸筋はぴくぴくと動いていて、腕も太ももも筋肉がはちきれんばかりに盛り上がっています。ぼくはそれが恐ろしくて、頷くほかありませんでした。
「やったあ、じゃあ今日からボクとキミはお友達だね。そんなに怖がった顔をしないでよ。お友達になったお礼に、ボクがキミに一ついいことを教えてあげる」
いいこと? とぼくは聞き返しました。
「そう、キミはこれからおじいさんの畑を継いで、梨農家さんになろうとしているよね。ボクは梨の妖精だから、梨のことなら何でも知っているんだ。今からボクが言うことを守れば、世界で一番おいしい梨をつくることができるよ!」
世界で一番おいしい梨というワードは確かに魅力的です。世界一おいしい梨をつくることができれば、梨がたくさん売れて大金持ちになれるかもしれない。そう思うと、ぼくの頬が少し緩みました。
「お、乗り気だね。じゃあ、耳をボクに近づけて。『いいこと』を教えてあげるから」
ぼくは言われるがままに梨男に耳を近づけました。そして梨男は『いいこと』を言いました。ぼくは一瞬ためらいました。そんなことできるわけがないからです。けれども梨男さんの猛々しくも雄大な立ち姿を見るとそんなことどうでもよくなっていき、さっそく『いいこと』を実行するための道具を探しに母屋へと戻りました。
その晩、ぼくは近所の公園にクラスメイトの多賀さんを呼び出しました。多賀さんは女子バレー部のキャプテンでクラスのみんなからの人望も厚いです。
「どしたの、こんな時間に」
ぼくは不思議そうにそう問いかける多賀さんの細い首をそっと締めました。
はじめはバタバタと抵抗していましたが、これも梨男さんのためです。しばらくすると納得してくれたみたいで、ぐったりと動かなくなりました。
そのあとは、梨男さんに教えてもらったとおりに、多賀さんの首をノコギリで切って、神社のケヤキの木の下に埋めました。そしたら土の中からヤマモトさんが来て、ぼくに茶色のブレスレットと梨を一つずつくれます。茶色のブレスレットはいらないので燃えるゴミに出して、梨は多賀さんの頭があったところに置きました。すると梨はみるみるうちに多賀さんの頭になりました。多賀さんは梨人間になりました。
「わたし、なし、だいすき」
これしかしゃべれないけど、周りのヒトは気にしないでしょう。だって梨は神さまの果物、この世で最も尊い存在なのですから。梨は梨の上に梨をつくらずと福沢諭吉も言いました。多賀さんからはよく熟れた梨の匂いがします。ぼくはうれしくなって思わず梨ジュースしました。三回梨ジュースしたところで梨男さんも現れて、一緒に梨ジュースしました。満足いくまで梨ジュースしたところで、梨男さんはニコニコしながらぼくに言いました。
「ありがとう、これでボクの力も戻ってきた気がするよ。地獄でキミのおじいさんもきっと喜んでるはずだよ」
梨男さんが笑顔なので、ぼくはとても嬉しくなりました。
「じゃあ、約束通り、キミの作る梨が、世界一おいしい梨になるようにしてあげる。ただし、言い忘れたのだけど、さっきキミがしてくれた『いいこと』は、これ一回きりじゃ効果が薄いんだ。これをボクがやってほしいと言ったときには必ずしてほしいんだ。今までしっかり約束を守ってきたキミなら、きっとこの約束も守れるよね?」
ぼくは、当然だという気持ちを込めて大きく頷きました。梨男さんは満足そうな表情を浮かべると、それじゃあねと言って、煙のように消えました。
◇
あれから十年が過ぎました。梨男様のおかげでぼくの作る梨は毎年驚くような高値で飛ぶように売れました。ぼくの住む村の住民もほとんどが梨人間になり、すてきな奥さんもできました。奥さんはもともとリンゴ農家の一人娘だったようですが、ぼくの作る梨のおいしさに驚いて、ぼくと結婚しました。とてもいい奥さんで、毎日ぼくといっしょに梨を育てています。
ある日奥さんが言いました。
「あなた、昨日の夜神社で何してたの?」
何かに怯えるような青ざめた顔、震えた声でそう言います。彼女はいったい何に怯えているのだろう?
「もちろん、梨男様に生贄をささげているんだよ。そう言えば、昨日はヤマモトさんがブレスレットを二個もくれたんだよ。せっかくだから凛子にも一つあげるね。そういえば、梨男様が凛子という名前はリンゴに響きが似ているから改名しなさいって言っていたよ。今日から梨子と名乗りなさいだって。いいなあ、梨男様から名前を与えられるなんて、こんな名誉なことないよ」
梨神様のテーマ
作詞 ヤマモト
作曲 滝廉太郎
〽梨神様を崇めよう
あまねく梨神様を崇めよう
梨はとっても素敵なフルーツだ
可愛らしい白色の花
まるであの娘の頬のよう
梨神様を崇めよう
あまねく梨神様を崇めよう
梨はとっても素敵なフルーツだ
栄養たくさん黄緑の実
まるで故郷の母のよう
梨を食べればきっと大丈夫
さあ、宇宙へ飛び立とう
※梨、梨、梨神様
素敵な日々をありがとう
梨、梨、梨神様
素敵な梨をありがとう
ああ、梨神様
我ら、梨神様と一つ
梨神様を崇めよう
あまねく梨神様を崇めよう
梨はとっても素敵なフルーツだ
大地に根差す雄大な木
まるで故郷の父のよう
(俺の名前はDJ梨田
鳥取一のマザーファッカー
マザマザファッカー
マザファッカー
俺の父さんマザファッカー
イヱ―)
リンゴなんて敵じゃない
梨は天からの救済なのです
ギターソロ (平沢進)
ギターソロ (マーティ・フリードマン)
※繰り返し
※繰り返し
「わ、私は昨日のこと全部見てたの。け、警察に行きましょう。私はなにがあってもあなたのことをずっと待ってるから。もうあんな馬鹿なことは止めて!」
梨子さんが何か言っています。けれども、ぼくには彼女の言っていることがぜんぜん分かりません。
「確かにあなたの作る梨はとってもおいしかった。けれど、人を殺して作る作物なんて本当においしい作物じゃないと思うの。ねえ、あなたはいつからそうなっちゃったの?」
ああ、梨子さん。どうしてそんな悲しい顔をするの? おいしい梨をつくって、そのおかげで裕福な暮らしができて、食べたヒトもぼくらもそして梨男様も、みんなが笑顔になっているというのに。
ああ、そうだ。
梨子さんが梨人間じゃないからだ。
梨人間じゃないからこのような不埒な思考に陥るのだ。一刻も早く梨人間にしてあげて、救済しないといけない。ぼくはさめざめと泣く梨子さんの首にそっと手をかけようとしました。
「やあ、こんばんは。梨子さんは初めましてかな? ボクの名前はジョン。梨の妖精さ」
そのとき、慈悲深い表情をたたえた梨男様がぼくたちの目の前に現れました。梨子さんは、化け物! と叫ぶと椅子から転げ落ちてしまいました。ああ、なんて失礼で礼節もわきまえない女なんだろう。やっぱり、早く梨人間にしてもらわないと……。
そうだ、梨男様に相談しよう。梨男様ならきっとわかってくれるはずだ。ぼくが口を開こうとしたとき、梨男様は手のひらをぼくに向けてそれを制しました。
「宗太郎くん、キミが何を言いたいか。ボクにはわかるよ。でもね、今日はそのために来たんじゃあないの。単刀直入に言うね。キミは今日、リンゴを口にしたね」
梨男様が信じられないことを言いました。そんなことはない、じいちゃんからの言いつけ通り、ぜったいにリンゴを口にしないように今までしてきたのに……。
ふと隣に座る梨子さんを見ると尋常ではないほどガタガタと震えています。
「ご、ごめんなさい。今日の晩御飯のカレー、おいしくなるかなと思って、す、すりおろしのリンゴを入れたの……」
梨子さんは震える声でそう言いました。
それを聞いたぼくも、足の震えが止まらなくなりました。一刻も早くここから逃げ出したいのに、足は震えるだけで、何の役にも立ちそうもありません。
「宗太郎くん、だそうですよ。思えばあなたのおじいさんも一生をかけてボクたち梨に尽くしてきたのに、結局自らリンゴを食べて死んだんです。本当に愚かで可哀想ですよね。冥途の土産に教えてあげますが、この村でリンゴを食べた人間は、人としての記憶、感覚を持ったまま梨の木として永遠に生きることになるんですよ」
ぼくの隣からうめき声が聞こえる。めきめきと音を立てて、凛子さんが、ぼくの奥さんが梨の木になっていきます。
「さあ、お別れの時間です、宗太郎くん。みんなのために、おいしい梨をつくってね」
ぼくの体が激痛と共に梨の木になっていく。家の外からは祭囃子が聞こえてくる。それはまるでぼくらが梨の木になることを祝うかのように、ぼくの意識が途切れるその瞬間まで、響き続けていたのでした。
(2022年7月執筆)
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