【小説】太陽の塔
わたしがまだいたいけな美少女小学生だったころ、近所に「太陽の塔」があった。
といっても、大阪の万博記念公園に鎮座する、なんだか様子のおかしなおっちゃんが作ったほうのそれではない。けれども、わたしたちの町の「太陽の塔」も、本家のそれと同じか、いや突拍子のなさならそれ以上か、まあとにかく非常に奇天烈な物体だった。
わたしの実家からすぐのところにある小さな児童公園のちょうど真ん中にそれはあった。高さにして五メートルほどのそれは、形は何の変哲もない円柱、そう、ちょうどどこにでもある電柱と寸分変わらないフォルムをしていた。
「太陽の塔」を奇天烈たらしめていたのは、その色彩であった。
あれは、なんと言ったらいいのだろう。たとえるなら、雨が降る直前の空の色、と言ったらいいのだろうか。そんな暗い藍色で円柱は塗りつぶされていて、その暗い藍色をまるで隠すかのように、真っ黄色の塗料がまだら模様に塗られていた。ふしぎなことにそのまだら模様は、上に行けば行くほどその密度が濃くなっていき、ちょうどてっぺんは真っ黄色に塗りつぶされていた。おまけにそのてっぺんには、なぜか小さなクマのぬいぐるみが括り付けてあった。
そんな奇天烈な建造物があるもんだから、身近な大人たちは口々に「あの公園に行ってはいけないよ」とご忠告をくれるのだった。しかし、いくらへんてこりんな塔がど真ん中に鎮座しているからと言って、貴重な遊び場をみすみすあきらめるほどやわな精神力はしていない。遊びたい盛りの小学生をなめてはいけない。
まあそんなわけだったから、わたしたちは「太陽の塔」などあんまり気にすることなく、児童公園を根城にして、毎日のように日が暮れるまで飽きることなく遊び惚けていたのだった。
しかし、子どもたちの中には「勇者」と呼ばれる存在が一定数存在するものだ。わたしたちの近所の場合、その勇者とは三軒隣のアキフミのことであった。
アキフミはある日、わたしを含む数人を児童公園へ呼び出し高らかにこう宣言した。
「オレは今から、太陽の塔に登ってあのクマのぬいぐるみを奪い取ってくるわ」
当然わたしたちは「危ないからやめとけよ」とアキフミを止めるのだが、勇者という存在はときに勇気と無謀というものの区別がつかなくなるものなのである。
心配そうに見つめるわたしたちをよそに、アキフミは野球部で培ったその体力であの奇天烈な建造物をするすると登っていった。そうするすると。まるで何か大きな力に引っ張られるかのように。
さっきも書いたように、ベースは何の変哲もない電柱なのである。足場なんてあるはずもない。小さいころに木登りを一度でもしたことある人ならきっとわかると思うが、何の足場もないところを登るなんて、小学生にはどだい無理な話なのである。たとえどんな体力自慢であっても。
しかしアキフミは足場がないなんてことを思わせないくらいに快調に登っていく。
「おい、あれなんかヤバくねえか?」
わたしの隣でコウヘイがぼそりとつぶやいた。コウヘイが指さす方に目をやると、わたしたちは声を失った。
クマのぬいぐるみが虹色に光っていた。
普通ぬいぐるみは光らない。わたしたちは皆一様にバカだったが、それでもそれくらいのことは分かる。
「戻れーーーーーーーーー! アキフミーーーーーーーー!」
必死で叫ぶわたしたちを尻目に、アキフミは何かにとりつかれたかのように塔を登っていく。
そしてアキフミが光るぬいぐるみに手を触れた瞬間、アキフミの手がするりと塔から離れた。地面にたたきつけられるアキフミ。駆け寄っていくわたしたち。
「やあ、わりいわりい。全然どこも痛くねえから」
心配そうにアキフミを取り囲んだわたしたちに彼はことも無さげにそう言った。まあアキフミがそんなに言うんだったら大丈夫か、とわたしたちはもやもやとした気持ちを抱えながらもその日は解散することにした。
そして一週間後、突然アキフミは失踪した。
◇
約十年ぶりに再会した彼は、幼い頃の記憶とはずいぶんかけ離れた姿になっていた。
「おい、あれホントにアキフミか?」
「うーん、本人はそう名乗ってるらしいんだけど、ちょっと信じられないよねえ」
色の褪せたジーンズに薄汚れた長袖Tシャツ姿のアキフミがわたしの視界の端でぼおっと立ち尽くしている。あまりに異様な雰囲気に誰も彼に近寄ろうとしていない。
高そうなスーツに身を包んだコウヘイは、
「そうかあ」
と気の抜けた返事を返し、はあと一つため息を吐いた。
「それにしても、お前はずいぶん可愛くなったなあ」
アキフミの存在などもう消えてなくなったかのような話題の切り替えに少し呆れてしまう。好色そうな表情に下心が隠せていない。まあ、これでも伊達に二十数年生きていない。わたしは「そうかなあ?」と適当に返事をして、会話もそこそこにその場を離れた。
同窓会なんて、結局こんなもんだ。昔は男女の境目なんて関係なく遊んでいたメンバーも、今ではわたしを一人の女として値踏みするような目線を向ける。たぶんわたしが穿ちすぎな気もしないわけではないのだが、先ほどのコウヘイの態度を見ても、特段の思い過ごしとも思えなかった。「な、なあ……」
背後でうめくような、ささやくような声が聴こえた。振り返るとアキフミがそこにいた。だらりと下ろした手にうつろな目。
「お、おまえ、ミカだよな。よく、一緒に遊んで、あ、あの塔の……」
今にも消え入りそうな声でそこまで言うと、アキフミはがたがたと震え始めた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
とりあえず落ち着かせようと背中をさする。周りはまるでわたしとアキフミなんてこの世に存在すらしていないかのように、昔話に花を咲かせている。
「ありがとう……、や、やっぱり、ミカだよな……」
「そうだ」と返すと、そこでアキフミはようやく安心したような表情を見せた。
「よかった、ほんとうによかった。おまえに、おまえならきっとわかってくれるよなあ?」
そう言うと、アキフミはズボンのベルトをカチャカチャと外し始めた。ベルト、ズボン、パンツ。アキフミはためらうことなく身にまとっていた布という布をすべて取り外さんとしている。
普通の同窓会ではとてもありえないような異常な光景。しかし相変わらず周りはわたしたちなど存在しないようにふるまう。わたしとアキフミだけがいる異常な世界。
そして、わたしはそんな異常からなぜだか目が離せなかった。
そして、アキフミが最後に長袖Tシャツを脱ぎ――。
「……は?」
さっきまで、普通だったはずのアキフミの身体はいつの間にか暗い藍色で塗りつぶされていた。いや、よく見ると腰のあたりからだんだんと黄色が混ざっていき、顔へ近づけば近づくほど黄色の密度は増していき、顔に至っては真っ黄色になっている。
そう、まるで「太陽の塔」のように――。「そ、そうだよな。そんな顔もするよな。あれはあの日からこうなったんだ。おれはだんだん塔になっていくんだ。そうやって塔は塔としてあるんだ。完全に塔になるその前におまえに会っておきたかったんだ」
ひたひたとアキフミ、いや、新しい「太陽の塔」が近づいてくる。
逃げようと体をよじるが、ピクリとも動かない。
「な、なあ。おまえ、おまえやっぱりすごいよ。意志の強さを目の奥から感じるよ。おまえなら、立派な塔になれるよ」
塔はそう言ってわたしの右腕を取り、自身の頭に触れさせる。
「ひっ……!」
ぬるりとした感触。それを感じるや否や、わたしの指先が徐々に暗い藍色に染まっていく。「い、いや……!」
冷たいような温かいような何とも言えない感覚がわたしの体を覆っていく。それと同時に意識も遠くなっていき――。
◇
わたしがまだいたいけな美少女小学生だったころ、近所に「太陽の塔」があった。
といっても、大阪の万博記念公園に鎮座する、なんだか様子のおかしなおっちゃんが作ったほうのそれではない。けれども、わたしたちの町の「太陽の塔」も、本家のそれと同じか、いや突拍子の無さならそれ以上か、まあとにかく非常に奇天烈な物体だった。
わたしの実家からすぐのところにある小さな児童公園のちょうど真ん中にそれはあった。高さにして五メートルほどのそれは、形は何の変哲もない円柱、そう、ちょうどどこにでもある電柱と寸分変わらないフォルムをしていた。
「太陽の塔」を奇天烈たらしめていたのは、その数であった。
普通そんな訳のわからん建造物なんか一本もあれば十分なはずなのに、それは公園のど真ん中に二本、仲良く並んで立っているのだった――。
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