【小説】メシマズヒロイン地獄変

(この小説は、カクヨムにて開催された崇期様主催の企画「笑いのヒトキワ荘・ドジョウのおでん杯」に応募した作品です)


 昨日で付き合って一年になるわたしの彼は、今まで一度もわたしを抱いてくれませんでした。理由を聞いても、彼は決まって「亜衣のことは好きだよ。でも今日はちょっと疲れているんだ」と言って悲しそうな眼をしてそそくさと自分の部屋へ入っていきます。
 なのでわたしはその謎を解くため、彼の部屋へと突入することにしました。

「ひろくん! 入ります!」
 普段わたしは必ずノックをするのですが、今日のわたしは覚悟が決まっています。彼が部屋で休んでいるであろう時間を狙い、思い切りドアを開けました。
 彼は自慰行為をしていました。
 彼はわたしの姿を見て、周りに散らばった漫画本をそそくさと拾い集めます。少しびっくりはしましたが、正直これは想定の範囲内でした。わたしは彼が拾い損ねた漫画本を素早く拾い上げました。きわどい恰好をした女性が描かれた表紙には――。
「『このメシマズヒロインがエロい! 二〇二三年度版』……?」
 見慣れない文字列にピンとこないわたしと、絶望した表情の彼。

   ◇

「それで、彼氏に話を聞いたら『僕は料理が下手な女性にしか性的に興奮しないんだ』って言われて、どうすればいいか分からなくなっちゃったってわけだ」
 侑実はそう言ってアイスティーを一口。さすが親友は話が早いです。わたしがこくこくとうなづくのを見て、侑実は大きなため息をつきました。「もう別れろよ」
「そんなあ!」
「だってお前、板前じゃんか」
 侑実はすました顔でわたしに現実を突きつけました。そうです、わたしは板前。料理が下手な女性という彼の性癖とは全く遠い場所にいる人間なのです。
「正直、そもそもなんで付き合ったんだよとかいろいろ彼氏のほうにも言いたいことはあるけどさ。この年でその、そういうことがお互いできませんって将来どうすんだよ。別れた方が絶対お互いのためだって」
「でも……」
 侑実の言っていることは正論です。理屈では絶対そうした方がいいのはわたしもよくわかっています。でもそうしようと決心しようとするそのたびに、いろんな表情のひろくんの姿が頭の中を横切るのです。
 何も言えなくなったわたしを見て、侑実はまた一つ大きなため息をつきました。
「まあでも、お前が彼氏のことをどれだけ好きかなんてあたしもよく知ってるからさ、そんなことできるわけもないよな……。そうだ! だったらお前がまずい料理を作って彼氏を興奮させればいいんだよ!」
「でも、わたし板前だよ? 料理をおいしく作ることはできても、まずく作るなんて……」
「あたしを誰だと思ってるんだ。こちとら餃子をつくったときにうっかりブラックホールを生成して彼氏を親族もろとも宇宙の塵芥にしかけた女だぞ。デミグラスハンバーグをつくったときには究極の生命体『デミグラス・ホワイト・ドラゴン』を誕生させて彼氏が丸呑みにされた女だぞ。料理をまずく作ることに関してあたしの右に出るやつはそういねえよ」
 侑実はそう言って胸を張りました。ここ最近侑実の彼氏さんの姿がないのはデミグラス・ホワイト・ドラゴンに丸呑みされたからだったんだ……。「あたしについてこい。お前を最強のメシマズヒロインに育て上げてやる」
「お、押忍!」
 そこからわたしのメシマズヒロイン修業が始まりました。

「おい! 砂糖と塩を間違えるなんて素人がやる仕事だ! 本物はここで脈絡もなく川の砂をぶち込むんだ!」
「押忍!」

「いいか! メシマズヒロインが使っていい火力は強火だけだ! 弱火でじっくりなんて忘れろ。心と食材を燃やせ!」
「押忍!」

「おい! 何盛り付けに『板前さんが刺し盛りつくるときによく使ってるけど正式名称が分からない銀色の箸』を使ってるんだ! 料理は盛り付けるな! 皿に叩きつけろ!」
「押忍!」

「いいか、料理から別の生命体を作り出すときはモロヘイヤとたくあんを多めに入れろ。こんなふうにな」
「すごい! 肉じゃががオランウータンになった!」
「キッキキーーーーーーー! ウキーーーーーー!」

   ◇

 一週間が過ぎました。ところどころ焼き焦げたキッチンに煤けた鍋が一つ。オランウータンと侑実が見守る中、わたしは鍋のふたをゆっくりと開けました。
「よし、この料理はなんだ! 言ってみろ!」「押忍! おでんです!」
 とてもとてもおでんとは思えない紫色のその液体は鍋の中でぐつぐつと煮えたぎっています。
「正直、あたしも味見はしたくない。オランウータン、お前が行け」
 侑実はオランウータンの背中を押しました。けもくじゃらの手でスプーンを握ったオランウータンが鍋の中身をすくい、ゆっくりと口に入れました。
「キ? キキキーーーーーーーーー! キキーーーーーーーー!」
 スプーンを握ったままオランウータンが床を転げまわりました。侑実が持ってきたミネラルウォーターを一気に飲み干し、涙ぐんだ眼でわたしを見つめてきます。本当にごめんなさい。
「これでわかったな。このおでんは間違いなくまずい! 早くこのおでんを持って彼氏のところへ行くんだ! 大丈夫、きっとうまくいくさ」
「キキッキーーーーーーーー! キーーーーーー!」

「そうは言われたけど、やっぱり不安だな……」
 両手に鍋を持ってわたしは彼の家へ向かいますが、内心不安でいっぱいでした。侑実とオランウータンのもとで修業したけどやっぱりわたしは板前。このおでんだって、色は変だけどもしかしたらまだおいしく食べられる代物なのかもしれません。味見役が人間じゃなかったし……。
 とぼとぼと商店街を歩いているとふとある看板が目につきました。
『ドジョウ、入荷して〼』
 そうだ! このおでんの仕上げにドジョウを入れればいいんだ。おでんにドジョウなんて絶対に合うはずがありません。ドジョウが入ることでこのおでんは絶対的にまずいおでんとして完成し、必ずやひろくんを性的興奮へと導くことでしょう。早速わたしはドジョウを二匹購入し、生きたままおでんの鍋へと入れたのでした。

「亜衣! この前は本当にごめん! あれから板前モノのAVを一週間見続けたんだ。きっと今ならいけるはずなんだ! だから許してくれ! この通りだ!」
 ドアを開けるとひろくんが土下座をしていました。やっぱりひろくんはわたしの理想の王子様なのかもしれません。悪いのはまずい料理の一つも作れないわたしなのに、こんなにもすべてをさらけ出して謝ってくれるんだもの。
 そう思いながら、わたしはひろくんの前にどじょうのおでんが入った鍋を置きました。
「へ?」
「これ、食べて」
 困惑した顔のひろくん。そんな顔もわたしは愛しているのです。ひろくんとの幸福な未来をイメージしながら、わたしは鍋の中のドジョウを箸で掴み、ひろくんの口に押し込んで――。

「お、おいしすぎる……」

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