【小説】カレーにズッキーニを入れた男

 休日の朝。家の近所を散歩していると、見知らぬ男に呼び止められた。
「お前、カレーにズッキーニだけは絶対に入れるなよ」
「はい?」
「だから、カレーにズッキーニは入れるな。さもなければ、お前をここで殺さねばならない」
 そう言うと、男は肩にかけたカバンから、布に包まれたなにやら細長いものを取り出した。あっけにとられる俺を尻目に、男は布をするするとほどいた。青黒い刃が朝日に照らされギラリと光る。
「俺はこいつでお前を叩き切る準備ができている。お前はここで一言、『カレーにズッキーニは絶対に入れません』と言えばいいんだ」
「いやいや、急にそんなことを言われても何が何だが……」
「訳なんて話せるか! いいから入れないと約束してくれ!」
 男は必死の形相でそう言うと、刀を大上段に振り上げる。
「五秒以内だ。入れないと言わなければこれで――」
「い、入れません! 入れないから、早くそれを下ろしてください!」
 オレがそう言うと、男はほっとした表情を浮かべ刀を下ろした。
「そうか、絶対だな」
「はい! 絶対入れません!」
「ならいいんだ。じゃあ、俺はこれで失礼する。……、良い未来を送ってくれよ」
 そう言うや否や、男は一瞬で姿を消した。

 それから五年。夕飯の買い出しをしていたオレは、野菜売り場である野菜を目にした。
 つやつやと黄色に光るそれは、ズッキーニだった。
 今日の夕飯のメニューはカレー。すでに買い物かごの中には、玉ねぎとじゃがいもとニンジンが入っている。
「お前、カレーにズッキーニだけは絶対に入れるなよ」
 あの時の男のあのセリフは、この五年間オレの脳裏にこびりついて離れていない。なぜ、あの男はカレーにズッキーニを入れるなと、日本刀を持ち出してまで言ったのか? オレの頭の中でそんな疑問が急速に膨らみ始める。いっそ、今日のカレーにズッキーニを入れてみたらその疑問に対する答えがわかるかもしれない。でも、あんなに入れるなって言われていたし……。でも、あれだけ入れるなった言われたら逆に気になるし……。でも入れるなって……。でも気になるもんはしょうがないし……。でも、でも、でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでも――。
 気が付くと、オレはズッキーニを買い物かごに入れていた。
 家に帰り、オレはズッキーニを彼に入れる際のレシピを検索する。何でも、軽く焼き目が付くぐらい焼いてから、カレーの完成間際に入れると良いらしい。何てめんどくさい。ただ煮込むだけでいいカレーにいらんひと工程が加わることになるじゃないか。若干の後悔を感じつつ、オレはズッキーニを一口サイズに切り、油をたっぷり引いた鍋で焼き、いったん取り出した。ここからはいつも通りだ。あっという間にいつも通りのカレーが出来上がり、最後にズッキーニを投入し少し煮る。油をまとったズッキーニがカレーの中で異様な存在感を放つ。その異形にオレは思わず生唾を呑み込んだ。
 そしてご飯をよそい、ズッキーニの入ったカレーをたっぷりかける。テーブルに運び、小さくいただきますと言ってからカレーを口の中に運んだ。
 はじけた。オレの頭の中で。なにかが。
 とろとろのズッキーニが俺の全身を濁流のように襲う。頭の中で千手観音が踊り狂い、弥勒菩薩がファンファーレを奏でる。
 スプーンが止まらない。もっともっとこのカレーを、ズッキーニの入ったカレーを食べなければいけない……。
 あった言う間に皿を空にし、お代わりをよそう。そのお代わりもあっという間になくなってしまう。もっと、もっとこのカレーを……。
 幸いにしてカレーはまだ残りがある。だが米がない。しかし米を炊いている時間も惜しい。もっと、もっともっともっともっと、このカレーを、このカレーを食べなくっちゃ……。
 部屋の隅にある米びつが目に入る。なんだ、米ならここにいっぱいあるじゃないか……。鍋に入っていたカレーを米びつの中へ全て注ぐ。スプーンで食べてたんじゃあこのカレーは味わい尽くせない。米びつへ手を突っ込み、そのまま食べる。ああ、このとろとろのズッキーニ。こんなにうまい食べ物がこの世にあるのか……。
 いよいよカレーがなくなってしまった。ああ、もっと、もっとこのカレーが食べたい……。
 オレはスーパーへと駆け込んだ。なんだか悲鳴が上がっているみたいだが何のことだろう? そんな事よりズッキーニ。ズッキーニをあるだけ全部。全部全部、ズッキーニを全部。ニンジン? ジャガイモ? いらないね。ズッキーニ! ああ、ズッキーニ! この店にあるズッキーニを全部! あのお婆さんズッキーニ持っている。このズッキーニはオレのもんだ!
 家へ帰り、カレーを作る。ああ、煮込んでいる時間がもったいない。
 そうだ! このズッキーニの入ったカレーのすばらしさを、もっと世界に広めなくっちゃ……。
 隣の家のチャイムを鳴らす。何度かごみ捨て場であいさつをしたことあるお姉さん。
「カレーにズッキーニ入れて!」
 お姉さんはポカンとした顔。思わず手にしたズッキーニでお姉さんをなでる。なでるなでる。
 みんなみんな、ズッキーニが入ったカレーを食べて、オレみたいに全知を手に入れよう!
 ああ、翼が生えてきた! ズッキーニ! ズッキーニ大好き! ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 世界をズッキーニで支配しよう! ズッキーニの入ったカレーを食べない人類を食べてる新人類で染め上げよう! みんなで食べよう! みんなで食べよう! みんなで食べよう!

   ◇

「あのー、これって、本当にわたしの次のMVの脚本ですか……?」
「はい! その通りです!」
 目の前の若い男性作家は元気にそう言った。
「いや、ちょっとパンチが利きすぎてるっていうか。そもそも次のわたしの曲タイトルってご存知でしたっけ?」
「はい! 『世界を変える貴方』です!」
「この曲、ラブソングのつもりで書いたんですけど」
「はい! なのでぼくなりのラブをいっぱい込めました!」
 どうも話がかみ合わない。だからツーブロックで目がバキバキの若い作家は苦手なんだ。世間一般で見たらわたしも同じくくりに入れられるんだろうけど。
「とにかく。さすがに曲のイメージとかけ離れすぎているので、できれば別の案とかあればそっちにしたいんですが」
「えー……」
 作家は目に見えてテンションが下がっている。さすがに可哀想だから、なんか適当にフォローした方がいいんかなと思ったその時、ガチャリとドアが開き、社長が入ってきた。
「おう、打ち合わせは順調か?」
「順調もなにも! これ見てくださいよ!」
 わたしは脚本を社長に手渡す。怪訝そうな顔をしながら社長はそれを受け取り、ふんふんと読み始めた。やがて社長は顔をあげると、キラキラした目で言った。
「これ、いいじゃん」
 その後制作された『世界を変える貴方』のMVは、なぜか海外で意味わからんぐらいバズったのだった。

世界を変える貴方
 作詞 木森由奈
 作曲 ラーメンマン

 貴方がここにいること
 貴方に抱きしめられていること
 そのすべてが
 私の世界を変えていった

 青黒い夜の空に
 輝く星のように
 貴方の言葉の一つ一つが
 はじけた
 私の頭の中で

 ありがとう
 貴方と出会ったこの奇跡が
 きっと
 世界を変えていくんだ

 ああ、翼が生えてきたような気分で
 この世界を
 貴方と共に
 駆けていけるその日まで

(2023年6月執筆)

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