【小説】ビート板になった男

「それでは、非生物への転生コースで転生物はビート板でお間違いなかったでしょうか」
 目の前にいる長髪の少女はそう言うと、私の前に一枚の書類を差し出した。そこには『特別転生許可証明書』と書かれていた。私は大丈夫ですと一言言って、前田良夫と大きく堂々とサインをしたのであった。

 思えば私の人生ほど不憫で理不尽なものはなかった。身長は成人しても平均身長に遥か届かず、就職活動では二百社落ちてようやく内定を勝ち取った。それでも、薄給で食うにも事欠く毎日。ようやく生活が安定したところで結婚して娘にも恵まれたが、ある不幸な事件がきっかけで妻にも娘にも出て行かれた。
 そして極めつけの不幸が、私に突如訪れた死であった。ある日道を歩いているところに見知らぬおっさんが運転するハイエースが突然私に向かって突っ込んで来て、電柱・私・ハイエースの見事なサンドウィッチが完成したところで即死。五十年に及ぶ私の人生はそこで終焉し、気が付いた時には、私は見慣れない大きな白い建物の前に立っていたのだった。
 建物の入り口には、白い服に白い羽を生やした短髪の可愛らしい少女が立っていた。
 どこからどう見ても漫画に出てくるような天使にしか見えないその少女は、この建物は死後の手続きをする事務所なのだと教えてくれた。どうやら、私は非常に不幸な死に方をしたために、特別に待ち時間なしで輪廻転生を果たすことができるらしい。そして、あれよあれよという間に『特別転生課』という窓口に連れていかれ、今に至るのであった。
「先程もお伝えした通り、前田様の場合は特別転生のうちのさらに特例転生でありますので、転生物が非生物の中からしか選ぶことができないのですが、本当にそれでお間違えなかったでしょうか」
 長髪の少女は、まるでマニュアルを読み上げるかのごとく淡々とそう言った。例に洩れずこの少女の背中にも、入り口にいた少女と同じような白く大きな羽が生えていた。それ以外は普通の人間と何ら変わりはなさそうだ。いや、少し胸が小さいのか。まあ、天使に性別は無いって聞いたことあるし、多分そういうことなのだろう。
 そんなことを考えているうちに、ある疑問がわいてきた。早速私は長髪の少女へ尋ねてみることにした。
「これでもし、やはりビート板になるのは嫌ですといった場合はどうなるのでしょう?」
「その場合は、ご縁がなかったということで転生は行われず、この世とあの世の狭間で延々と彷徨っていただくことになります」
 冗談じゃない。せっかく転生して第二の生を送れるというのにそんなくだらないことで棒に振る気はさらさらなかった。第一、生き物に転生するのが普通なのになぜよりにもよってビート板かボールペンしか選択肢がなかったのだろうか。何はともあれ、転生を断れば永遠と生きているか死んでいるのかわからないようなことになってしまうと思えば、ビート板になるくらいは当然許容範囲内だ。ビート板にはビート板の楽しみが見出せるだろう。
「あと、最後になりましたが、今回は非生物への特例転生ということで、前世、つまり今の記憶と感覚を維持したままの転生となりますのでご了承ください」
 これは願ってもない幸運だった。さすがに記憶も感覚も無くただのビート板として生きるのは辛いものがあるからだろう。少しはあの世の担当者も粋な計らいをしてくれる。
「それでは、これより早速特例転生に移らせていただきます。入口の前にある閻魔の……、いや、茶色い大きな壺に頭から入ってください。そして、目が覚めたらそれにて転生が完了となります。それでは、せいぜい良い旅を……」

   ◇

 目が覚めると、私の全身はビニール袋にくるまれていた。つい先ほどまであったはずの手や足の感触は全く無くなっており、体は板のような感覚であった。そして、その感覚が、私がビート板になってしまったという事実を冷静に、確実に伝えていた。さすがに少しやるせない気持ちにはなったが、これもまた運命だと受け入れることにしよう。
 やがて、がさがさとビニール袋を開けられる感触がした。つんと鼻を刺すような塩素の匂い。コンクリートが跳ね返す熱気。そして、子どもたちの歓声。間違いない、私は学校のプールのビート板として生まれ変わったのだ。
「じゃあ、一人一枚ビート板をとってください」
 教師の男がそういうと、子どもたちが一斉にこちらへと向かってきた。どうやら新品のビート板は私一枚だけらしい。数人の子どもが私をめぐってじゃんけんを始めた。この風景を見て、私は言いようもない感動に包まれていた。私がもし、涙腺を持っていたら間違いなく涙を流していただろう。私がここまで他人に求められるのはこれが初めてだった。
 やがてじゃんけんが終わり、一人の女子生徒が私を使うこととなった。周りからは、サキちゃんいいなぁだの新品羨ましいなだの生徒の喚く声が聞こえる。そんな声を背にひたひたとプールサイドを歩く女子生徒のサキちゃんに抱えられ私も自然と誇らしい気持ちになっていた。
 やがて私も授業の中へ参加することとなった。冷たい水の感覚。私を握る女子生徒の柔らかな手の感覚。そして何より、時折私の体にあたる女子生徒の小ぶりな胸の感覚。これほどまでにビート板でよかったと感じたことがあったであろうか。まさに最高の転生先であった。
 結局、この後も授業は一日中あり、すべての時間で私を女子生徒が使ったため、私は最高の時間を過ごすことができたのであった。

 あっという間に夜になった。最高の時間を過ごした私は、ほかのビート板とともに倉庫へと仕舞われた。じめじめと不快な湿気が私を包んでいるが、また明日最高の時間を過ごせると思うと、その時間も何ら苦ではない。さて明日はどんな子と過ごせるだろうかと考えている時、「おい、おい」と私を呼ぶ声がした。その「おい、おい」は一つの声だったのが二つになり、複数になり、やがて倉庫全体に響き渡った。
「おい、おい。お前。お前はどのような罪を犯した」
 声は、まるで私を断罪するかのように低く、地を這うように問いかけた。
「罪だなんてとんでもない。私は、見知らぬおっさんにひき殺されて、特別に転生を許されたんだ。私には罪を犯した覚えはない」
「罪を犯した人間しかここには来れないのだ。お前はまだこの転生システムを理解していないのか」
 声は私を憐れむようにそう言った。私はすっかり訳が分からなくなっていた。
「転生システムについて説明は受けた。通常だったら永遠にも近い待ち時間だが、悲惨な死に方をした人間は特別に待ち時間無しで転生できるって……」
「それ自体が間違いなのだ。端的に言おう。特別転生はすなわち罰なのだ。罪を犯したが、何らかの事情で地獄には送れなかった人間。それを現世にモノとして転生させて、永遠に苦しみを与えるというな」
「だから私は罪なんて……」
「ちなみにここにいるのは全員五十を超えた男。罪は、女性に死ぬより辛い苦しみを与えたこと」
 ぽたぽたと私の上に生臭い汁が垂れてきた。上を見上げるとそこには全裸の中年男性が、みっしりとビート板整理棚に詰まっていた。横を見ても中年男性がみっしりと私に密着している。私もいつの間にか生前の姿に戻っている。それも元気だったころではない。車と電柱に挟まれまさに死の間際の時の自分……。痛覚まで戻っている。地獄のような痛み。むせかえるような中年男性たちの匂い。傷口を這うナメクジ。滴り落ちる汁。周りの中年男性たちも一様に傷を負っている。傷から蛆虫が飛び出し、私の体に入ってきて……。
 違う。こんなはずではなかった。私は確かに罪を犯した。しかし、それはしょうがないことだったのだ。満員電車の中でミニスカートなんか履いてやがった女子高生。あいつがすべて悪いのだ。あんな格好していたら当然触りたくなるものだろう。それをあいつは駅員なんかに言いつけやがった。当然許されない行為である。私が触ったのだから見逃して我慢すればよいだけだったのに。だから、私が教育してやる必要があったのだ。私を押さえつける駅員を張り倒し、私はその女子高生を教育してやった。アスファルトに落ちた血の鮮やかな朱色が修了証明書だった。結局警察に取り押さえられ、妻も娘もいなくなってしまった。私はただ教育を、大人のマナーを教えてやっただけなのに。そう、だからこれは不幸な事件だったのだ。私にとっての不幸な事件だったのだ。
 棚には中年男性たちがみちみちと詰まっている。
 熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い。熱い、苦しい、痛い──。

 そして、私の意識はそこで途切れた。

   ◇

「ネイピア。なにもそんなものまで掃除しなくていいのに」
長髪の少女はため息を一つつくと、あきれたようにそう言った。
「いやいや、ラムちゃん。せっかく入り口にあるんだもの。きれいにしとかないと可愛くないでしょう?」
 ネイピアと呼ばれた短髪の少女は天真爛漫な笑顔でそう返すと、作業の手を止め、ラムの細い体へ抱き着いた。ラムは一瞬だけ微笑んだが、またすぐにさっきまでの不機嫌顔に戻ってぶつくさと愚痴をこぼした。
「それにしても、さっき来たあいつ。マエ何とかって言ったあいつ。本当に気持ち悪かったわ。説明中もずっと私の胸ばっかり見て」
「ああ、さっき、閻魔の壺に入っていったオジサマ? でもすごく晴れやかな顔だったよ。よほど転生できるのがうれしかったんだろうねぇ」
「何も知らないまま転生していって。今頃、死ぬよりつらい目にあってるだろうにね」
 ラムはそう言って、また一つため息をついた。
「確か、人を殺したんだっけ?」
「まあ、命までは奪ってないけどね。ある意味命を奪うよりも残酷なことをしたのは間違いないけれど」
「でもオジサマはほんとに殺されてしまったよ?」
「マエ何とかが犯した女の親父が、車でおっさんをひき殺したんだよ。なんでこう、人間ってもっと賢く復讐できないのかね。そのせいでおっさんの地獄行きは見送り。ほんとにバカみたいな話」
 そうぶつぶつとつぶやきながらラムは建物の中へと入っていった。ネイピアは名残惜しそうにそれを見送ると、また閻魔の壺を磨き始めた。時折、壺の中から助けを呼ぶ声や痛々しい断末魔の叫び声が聞こえたが、ネイピアは気が付かなかったのか、はたまた気が付かないふりをしたのか、鼻歌を歌いながら穏やかに壺を、愚か者達の墓標を、磨き続けていた。

(2019年7月執筆)

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