【短文】『まりちゃん』
「まりちゃんまりちゃん、大丈夫泣かないで」
それでもまりちゃんはしくしくと泣き続ける。
「まりちゃん、痛いのね」
「痛い、痛いよ絵海ちゃん」
かわいそうなまりちゃん。
大事な大事な羽を失ってしまうなんて。
でもこれは仕方ないことなの。
まりちゃんが悪いのよ。
まりちゃんが天使だから、空を飛べる羽なんかを持っているから。
まりちゃんはいつか天国に帰ってしまうんでしょう?
そんなの嫌。
私はまりちゃんのことがこんなに好きなのに。
まりちゃんは酷い子ね。
こんな私をまりちゃんがいなくなった世界に置いてきぼりにして、勝手に帰っちゃうなんて。
だから羽なんていらないの。
「天使の羽って案外脆いものね」
すぐに折れちゃった。
こんな脆いもので空を飛んでいたなんて不思議。
でもまりちゃんはとても軽いから、このくらいで十分だったのかもしれない。
「ぱきん」
ほら、もう片方も簡単に取れた。
まりちゃんは目を見開いてさっきよりも大きな悲鳴を上げた。
「よしよし、痛いね」
私はまりちゃんの頭を優しく撫でてあげた。
「まりちゃん、これでこれからもずっと一緒にいられるよ」
ひっく、ひっくとまりちゃんは泣いてばかりいた。
「まりちゃん、ご飯だよ」
プリンをスプーンですくい取って、横になったままのまりちゃんの口元に運ぶ。
でもまりちゃんは口を開かなかった。
「まりちゃん、ちゃんと食べなきゃ駄目だよ」
まりちゃんは口を動かす代わりに目を私から反らした。
ここに連れてきてからまりちゃんは一度も食べ物を口にしていない。
毎日毎日いろいろな人の料理を持ってきているのに、まりちゃんはどれも食べようとしてくれない。
「まりちゃん、私の言うこと聞けないの?」
まりちゃんは何もないところを見たまま視線を戻してくれない。
「食べて」
いらいらしながらまりちゃんの口に強くスプーンを押しつける。
それでもかちかちと音がするだけで、まりちゃんはプリンを食べてくれない。
「なんで」
ぷちんっと頭の中が切れた。
一口分欠けたプリンの容器から中身を手ですくい取って、私はそれをまりちゃんの口に叩きつけた。
とっさのことにびっくりしたまりちゃんの唇が小さく開いたのを私は見逃さない。
ぐちゃぐちゃになったプリンを指ごとまりちゃんの口の中に押し込んだ。
けど私が手を引っ込めたらまりちゃんはすぐに吐き出してしまった。
ぼたぼたとまりちゃんの口からこぼれ落ちるプリンを見ながらもったいないなぁと思った。
私はもう一度容器からプリンをすくい取ると、再びまりちゃんの口に押し付けた。
まりちゃんは目に涙を浮かべながら懸命に舌で押し返してきて、私は負けじと指で奥に押し込んだ。
一度は飲み込んでくれたけど、結局まりちゃんはまた吐いた。
今日も何も食べてくれなかった。
「どうして?まりちゃんが食べてくれないからいつもと違う、買ってきたのにしたのに」
まりちゃんが誰の料理も食べてくれないから。
今日は特別に、って思って買ってきたのに。
「……絵海ちゃん」
久しぶりに聞いたまりちゃんの声は、小さくて、とても弱々しくなっていた。
「もう、遅いの……」
何が。
「人間を食べてもわたしは人間にはなれないんだよ」
嘘。
「そんなことないもん……」
「ごめんね絵海ちゃん、わたしが絵海ちゃんをこうしちゃったんだね」
わたし、もうすぐ死ぬの。
天使はね、羽から太陽の光を集めて生命力にしているの。
だから羽のないわたしはもう天使として生きていけない。
もうすぐわたしの死の匂いを嗅ぎつけて『悪いもの』がやってくるわ。
そいつらにとってわたし達天使はとても力のつく栄養になるから。
ねえ絵海ちゃん、わたしの役目は人間を監視することだったの。
それなのに絵海ちゃんにこんなことさせちゃって。
これはわたしがちゃんと役目を果たせなかった罰なんだね。
ごめんなさい……。
ごめんなさい。
それがまりちゃんの最後の言葉だった。
黒いものが押し寄せてきた。
霧、影、水、手……形の定まらない『何か』は一斉にまりちゃんの身体に群がる。
目の前で天使が食われる様を、私はただ呆然と見ていることしか出来なかった。
無惨。
たった一言で足りる惨状。
ぐちゃりぐちゃりと血肉を引き裂かれ掻き回され貪り尽くされて、惨たらしく変わり果てたその姿はもはや天使というには程遠く。
そうただの惨殺死体だった。
天使は人間を食べても人間になれない。
なら天使を食べたこいつらは何なんだろう。
天国。
人殺しの私は天国なんか行けやしない。
一口も食べられることのなかった料理達を捨てていた時のことをふと思い出し、私は初めてそこで後悔の涙を流した。
ごめんなさい。
まりちゃんを食べ終えた黒い群が私の周りに集まり出した。
きっと私も食べるつもりなんだろう。
そして私も死ぬ。
ああ、最悪だ。
こんなにすぐに死ぬんじゃ罪を償う時間すらない。
「まりちゃん、大好きだよ……」
了
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過去文リサイクル第3弾。
こうして昔に書いたものを読み返してみると、今と文章の書き方とか変わっていても、やっぱり自分の根っこにある性癖は変わらないんだなぁとしみじみ思いました。
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