勉強の仕方の教育

①全体を把握する。
②問題集・参考書を一冊ずつ決める。
③問題集一巡する。
④答え合わせのときに、
〇:正解・なぜそうなのか説明できる。
△:正解・なぜそうなのか説明できない。
✕:不正解
に仕分ける。
⑤二巡目する。△✕問だけする。
⑥ ④をする。参考書で理解する。
⑦三巡目する。△✕問だけする。
⑧ ④をする。参考書で理解する。
以降、四巡目④、五巡目④、と✕がなくなるまで繰り返す。
時間に余裕があるときは、これまでの〇問をやってみて、△にならないか確認する。

以上のことをやれば、どんな難しい問題も回答があるものはクリアできるとわかった。

この一連の流れは、人や状況によって少し変化する。
時間がないときは、✕問のみ繰り返す場合もある。
時間があるときは、模試など力試しも定期的に入れ込む、等。

これを理解したとき、試験に一発で合格できた周りの友人たちは、勉強方法が分かっているから、やるだけでしょ、という意識で進めていたような人たちばかりだということに気が付いた。

そしたら、SNSで✕問繰り返し勉強が紹介されているサイトに対して、
これって学生は当たり前にやっていることだと思っていた。自分の当たり前は他人の当たり前じゃない・・
というコメントがあって、やはりそうなのか、と。

優秀な学校に行く人たちは、この勉強方法を身につけている。

なぜ、自分はこの勉強方法に学生のとき気が付かなかったんだろう。
もちろん勉強に身が入っていなかった時期が長かったせいが一番大きい。
しかし小学生のころは好きだったし勉強したいと思っていた。
勉強できる自分が誇らしかった思いも記憶している。
そんな意識があった自分がなぜ気が付かなかったのか。

いろいろ要因は考えられるけれど、今朝一つ思い出したことがあった。

進〇ゼミの宣伝がよく家に届いていた。
その封筒の中には子供向けのマンガがあった。
うちはマンガを買う家ではなかったので、自分の娯楽のためにそれを何度も繰り返し読んでいた。
そこには、
勉強につまずいた子供が進〇ゼミの問題集に目を通して、自分で考えて・・・!!!気づいた!これはこういう風に考えればいいんた!!
と自分で解けるようになる。
という内容だったと記憶している。(何度も読んでいたので覚えている。そんなことばかり記憶に定着していて困る。)
つまり、これをやればわからなかったことが分かるようになる。といったことが書いてあった。これをやれば・・・と素直に子供(私)は受け止めた。

私が繰り返しする、という気づきがゼロとなったきっかけの一つは、
これをやれば大丈夫、という視点だったように思う。
この問題集をやればOK。
この参考書を読めばOK。

出来ない理由は一冊全部やらなかったからだ、と反省し、また新たな問題集にとりかかる。
もしくはより難しい問題集を選んでみたりする。同じ問題を二回もやる意味なんてない、と心底思っていた。

中学・高校時代はこれだった。

誰かに勉強方法について相談することもなく、思い込んで進めてしまった。
結果が出ていないのは、私の努力が足りないためだ、とばかり思っていた。

「環境が人をつくる」
環境だけが人を作るわけではないが、状況をつくりきっかけを与えることは間違いない。

気が付いたことは次の世代に伝えていきたい。
自分で気が付くことで成長する子もいれば、ベースを教えられてそこから成長していく子もいる。
自分で気づくのを待っていたら、学校という自分で選べる環境を自分で選べるチャンスを手放すことになる可能性は高い。
将来やりたいことがあってそればかりに時間を取りたかったり、目の前のなぜなにに夢中になって大人にも質問を浴びせるような子だったりという、自走していける子は頬っておいた方が良いが、
宿題より自分の将来に向けての情報を入手することより動画やSNSやTVが好きだったりドッジボールの誘いがあったら絶対断らなかったりする、割と一般的な子供たちには、
勉強方法についてさっさと教えて正解が増えていく喜びを味わえれば、その後自走していくことが出来ると思う。
まずは自分の子供。

これをやれば、なんていう魔法のような問題集はない。
人間の頭は忘れることに長けている。
繰り返しやって、他人に説明できるようになるまで止めないこと。

これが出来たらまた新しい気づきと新しい世界が待っている。

教育は、あらゆる立場の人にとって最大のチャンス。
どこから自走するかは人によって違うから、
自走するまで話を聞いたり助言したりすることは教育の一つだと思う。


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