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自分の中に存在する差別意識

自分の中の差別意識に気づいて恐ろしくなった経験はある?
わらわは、あるよ。

今日、家の中にゾウムシの仲間と思われる虫がいた。
歩いている姿が一生懸命に見えて可愛くて、ついつい眺めていたよ。
ひとしきり眺めたあと、たぶん庭からやって来たのだろうから庭に戻ったほうが良いと思って、キッチンペーパーに乗っていただいて、そのまま庭に運んで、バイバイした。


なんかずいぶん対応が違うよ。Gの時と。
Gを家で見つけたら即駆除するのに。少しも罪悪感なく迷わず撃退して、それどころかその遺体の処理を「気持ち悪くてできない」とか平気で言っちゃうんだよ。わらわは。

ゾウムシだって、種類によるだろうから全部じゃなくても、害虫だよね。
脚は6本。触覚もある。サイズの問題?ううん、たぶんもう少しゾウムシが大きくても、そんなに嫌じゃない。
「歩いている姿が一生懸命に見えて可愛くて」って、わらわはさっき書いた。
ゾウムシだけじゃなくGだって、一生懸命だよ。たぶん。
人間と出会ってしまったら、必死で隠れようとしているだけなのに、動きが気持ち悪いとか酷いことを思われ、悲鳴をあげられ…なんなの、その扱い。
ムカデやハチみたいに噛んだり刺したりするわけでもなく。
アリみたいにみるみるうちに大量の仲間を呼びよせるわけでもなく。

見るだけでも嫌な、生理的に受け付けない生物がいるっていうことは、危ない気がする。
わらわは、実物に出会わなくても、Gの映像を見るだけで嫌だ。デフォルメされた絵でも見たくない。
特に嫌な思い出、トラウマみたいなものがあるわけでもないのに。

差別って、そういう意識なのだと思う。
特定の人種や特定の属性を持つ人のことを、個人として見ることなく「それに属する者だから」と嫌悪感を持つ。
何か非道いことをされたとかでもないのに、一緒に食事したくないとか同じ職場にいて欲しくないとか結婚するのはダメだとか。究極は、存在することがダメだとか。

昆虫の中でGだけをこんなに嫌悪する、わらわにそんな気持ちが存在するということが、「差別をできる意識の持ち主」だということになるんじゃないか。

子どもの頃から、薄々この差別意識に気がついてはいたよ。
これを人に対して向けたことがないつもりだけど、このGへの嫌悪感と同じものが特定の属性を有する人に対して湧き起こったらどうなるんだろうって。
自分にはそんなことは起こり得ないって、すぐ忘れちゃうけどね。
やっぱりたまにはそのことを思い出して、ちゃんと考えて、自分の倫理観とかいうもののチェックをしたほうがいいかもしれない。

人間が、差別やいじめをしたり、残酷なことをする生き物だということは、みんな知っているけど、「自分もそれをやってしまうかもしれない」ということ…そんな可能性を意識するのはなかなか難しい気がする。
やってしまうかもしれないから気をつけよう、自分の思想・思考を見張ろう、と考えないと、いつの間にか社会の流れや誰かの思惑にフワっと乗ってスルスルっと流されていくかも。

ききょう

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