正直な気持ち
私は本当にもっと生きたいのだろうか。
娘のためには、孫のお世話の協力を考えると
60代までは生きたいと思う。
自分のためではなく、娘のためなら。
では、自分のためで考えるとどうだろうか。
実は、もう十分頑張ってきたよ、私は。という想いになる。
苦しまず穏やかな最期ならそれはそれでありなのかもしれない。治療でまた頑張るのは嫌だ。と。
家族や社会の役に立つために頑張り、穏やかな最期を迎えられるなら、その方がよいように思える。
治療で制限を作らず、自由に過ごし自分らしく穏やかに家族と過ごす。それも大切。
主治医は、自分が選んだ方法が正解だからと言ってくれた。
ありのままの自分の心の声がよく聴こえるように自由になれる場所に行こう。
個人で起業して、大きな目標に向かってコツコツ努力してきた。
対象は、個人から大きな法人や組織になった。
またお願いしたいとのお声も頂いた。
仕事は、薄皮をめくるように少しずつ少しずつ成果が出ている。
これから、もっと大きくしていきたい思いもある。
生きることについて、まだまだじっくり考えてみよう。
がんにならなければ、生きることは当たり前で、じっくり考えることもあるようでなかった。生き方を変えることもなかった。
意味のある出来事であることは、間違いない。
この経験をきっかけに、新しい場所、人、モノに会いに行く。