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退学して,編入して,留年して,休学して,復学して,卒業を目指すという学生フルコースを堪能する人生を歩みます【3年次編入学「後」体験記】

ごきげんよう,いつの間にか2022年度がおわってしまいますね.振り返れば,この1年間は,私の人生を大きく変える出来事の連続だったと思います.

表題の通り「(宮城大を)退学して,(筑波大に)編入して,(楽しい学生生活を送りながら研究に没頭していたら)留年して,(半年暇になったので自分の興味と向き合うために)休学して,(単位を落としまくった秋学期は)復学して,(あと2年かけて筑波大の学部課程の)卒業を目指すという(普通絶対に味わえない経験だらけの)学生フルコースを堪能する(ことでもっと面白い)人生」を歩むことに決めました.

つまり,この記事は3年次編入学「後」体験記です.編入してから過ごしたこので1年何があったのかを振り返っていきます.編入を目指している人,来年度編入する人は,編入するとこんなことが大変なんだな〜とか,逆にこんなことができるんだな〜とか,思っていただけるかと思います!宮城にいる私のお友達は,筑波でこんなことしてたんだ〜と思うかもしれないし,筑波にいるお友達は,こんなこと思いながら生きてたんだ〜と思うかもしれないです.

さて,早速本題に行こうと思います.

去年の今頃,宮城大学を退学しました

懐かしいですね.
本当は,去年の今頃に「拝啓,第15志望の大学へ.【宮城大学退学体験記】」という記事を公開する予定でした.ですが,長すぎてなかなか書き終わらず,結局お蔵入りになってしまいました笑

4月1日に宮城大学を訪ね,お世話になった方々へ挨拶し,直前まで引っ越し準備をしていました.

4月2日という,同期の中で一番遅くにつくば入りしました

そして,親と一緒に東北道,三陸道を車で抜けてつくばへ上陸しました.内見せずに決めた住居は,想像よりもかなり綺麗で,しっかりしている建物だったり,事前に準備すべきものを何も持たずに上陸したため,3日間くらいずっと買い物をしていたりしました.

入学式の前には,メディア創成の3編生で集まってサイゼに行きましたね.みんなつくばに住んでいるのに,なぜか集合場所はつくば駅の改札前でした.みんなで輪になっていたので怪しい集団なんじゃないかと思いながら近寄った覚えがあります.当時私は青髪で,唯一の女学生で,後から聞いたら唯一の四大からの編入という,異質な存在であるにも関わらず,分け隔てなく接してくれたなという印象がありました.

入学式は,みんなで大学会館のパルテノン神殿柱に集まって行きました.なかなかみんな集まらなくて,私も遅れて行ったしで,本会場に人数制限で入れず,モニター会場で映像の入学式を並んでみました.その後は,大学会館から歩いて春日エリアまで行って,学食食べて,空き教室でおしゃべりしたりしていました.その後はオリエンテーションとかあったんだっけかな.学生証もらったりしてました確か.

入学前から所属していた研究室へ,初めてフィジカルで伺ったのもこのタイミングだった気がします.唯一の写真・映像枠の同期に連れられて行きました.Slackで見ていた名前と顔が一致する瞬間の喜びは計り知れないものがありましたね.懐かしい.

春学期はオンライン授業でしたね

春学期は,オンライン授業しかなかったので,ずっと研究室に居座ってました.筑波大の授業と宮城大の授業とのギャップに苦しんだり,オンラインって楽だな〜と思いながら,ずっと研究していました.

まともに受けた授業ってあったかな?と思いながら,いや,なかったなと思ったり.まず,買っても絶対見返さないだろう教科書がないと受けられない授業とか,1・2年生でちゃんと真面目に授業受けている前提で始まる専門の授業しかないわけで,プロジェクトデザインを専門に勉強してきた私からすると全く知識のない分野の,しかも専門の授業に興味を持てるわけもなく,同期や先輩たちに支えられながら過ごした日々だったなと思います.みんなで誰かの家に集まって宿題やったりしたな,懐かしい.そのまま酒飲んだりゲームしたりしてましたね.

今まで逃げてきたwebアプリ開発とかも,授業だからやらざるを得なくて,一人で授業の課題を倒すためのハッカソンとかしてたので,昔よりもちょっとはできるようになりましたが,いまだに苦手ですし,新しいことをしようとすると自力ではデバッグできなくて諦めたりしています.

こんなこともありつつ,ほとんどの時間を研究に割いて,楽しい日々を過ごしていました.

春学期の期末課題を一極集中で取り組んで全部提出して,3単位しか落とさずに夏休みを迎えることができました.

夏には論文投稿祭ですごく楽しかったです

ずっと取り組んできたサイアノの研究を,ついに論文にするということが決まってから,怒涛のスケジュールで走りました.印刷の実験は夜通しやるからいつも研究室で朝焼けを見ていました.24時間解放されている春日エリアに感謝しながら,毎日研究室で過ごしました.

初めての国際学会へのサブミット,やることが多すぎてびっくりしました.でもこの経験が今の私に生きていると考えると,指導しつつ研究を質の高いものにしてくれた先輩方に感謝ですね.

投稿直前の2週間くらいは,先生にも協力してもらって実験を進めました.日本一多忙なんじゃないかと思うくらいのスケジュールで生きてる先生のわずかな空き時間を逃さないために,先生が仕事してる隣でずっと実験をしていました.つくばから都内へ行くのに何回TXに乗ったことか.

投稿する瞬間も研究メンバーで先生のところに集まってその時間を迎えました.投稿してすぐみんなと酒で乾杯しました.あのお祭りのような体験は忘れられません.

2022年8月16日,Instagramのストーリーズに投稿した締切直後にいれたモヒート.

夏までは,とにかく研究という感じの脳内だったので,本当に話す内容がないのですが,とにかく頑張って写真のことばかり考えていました.

投稿した次の日は,研究を進めていたslackのチャンネルを作成日から見返して,懺悔会(プロジェクトの振り返りと反省会)をしていました.振り返り終わるまでに3日くらいかかりました.タイムラインを見返したり,研究の転換点を再確認したり,投稿に必要なものだったりをまとめたり,もっと自分の貢献度を増やすためには何をすべきだったかを考えたりして,すごく客観的にプロジェクトを振り返ることができました.

Notionにまとめていた懺悔会の資料.実験・執筆・投稿先ならではの準備物やポイントなどをとにかく洗い出して,書き殴っていました.これが後々役に立ちました.

秋は,体調を戻しつつ,展示をしていましたね

論文の締切で狂った生活リズムを戻すために,9月から10月までは仕事を休み,食生活を戻し,健康的な生活リズムを手に入れ,余分に摂取したカロリーを消費して体重が5キロくらい落ちました.(とても健康的になった)ヨーグルトファスティング,またやりたいところです.

論文と同時並行で展示会の企画も進んでいました.いつかやってみたいなと思っていた時に統括に任命されて,1からアートキュレーションを独学し,右往左往しながら進めていました.本を読んで,Notionにまとめて,まとめたものはみんながアクセスできるようにして,時間がないからすぐにアウトプットしてというPDCAサイクルを高速で回す日々でした.

初めての展示企画,これもやることが多くて大変でしたが,なんとか完走できました.この期間は,とにかくTwitterで毎日発信し,(展示名や作品名などで)エゴサのようなことをして片っ端からいいねとRTをし,自分が関わっている部分にはコメントをつけていました.色々ありましたが,お客さんにはとても好評だったので嬉しい限りです.

こんなことばっかりしていたので,研究に戻らないとと思って,ネタの準備に急いで取り掛かり,前回は先輩たちにサポートしてもらったことを,今度は筆頭著者として自分で責任持って取り組みました.前回の論文投稿の時に一人で行った懺悔会の書き殴ったノートがとても役に立ちました.終わった直後のふりかえりを残しておくって大事ですね.

投稿した次の日に一人で懺悔会をして,プロジェクト発足から投稿までのタイムラインを振り返ったり,論文投稿に必要なTODOなど洗い出してまとめていたノート.

このノートには,投稿先が決まったら何をするか,実際に投稿するのに事前準備するものは何か,文章以外に作るものは何かなどが詳細に書かれていて,数ヶ月前の私に感謝しながら,このノートを見て研究計画を立てて進めました.

と,研究のことばっかり書いていますが,この間にも秋学期の半分くらいが終わっている頃です.そう,つまり全く授業のことが頭にありませんでした.実は,秋学期は急に全面対面授業への切り替えで,全く惹かれない授業にも行かなきゃいけないし,実施場所がほとんど春日じゃないのもあって,興味があって履修した芸術系の授業と,基礎科目の必修だけなんとか行って,他は最低限課題をチェックするという感じだけでした.春学期で授業の期待値を下げられたのが一番大きく,週5でフルコマの時間割をこなす体力も気力すらもありませんでした.

この間,どこに行っても情報工学の話しかされない苦しみに耐えきれず,前大学で取り組んでいた事業構想の面白さが恋しくなり,真面目にESを書いて2年間取り組んでいたことに近く,もっと自分を成長させることのできる場所を探して,デザインコンサル会社に長期インターンで入社したりもしました.

冬にもまた論文投稿祭でした,成長を感じることができました

落としたら即留年の3年の必修科目の単位が取れなそうなことを知ってすぐ,ちょっと頑張って行ってた授業も行かなくなり,本当に研究だけにフォーカスして日々生きていました.

前回書いた論文の倍のページを求められるプログラムへのサブミット.前々から先生にそこを目指せと言われていたし,自分もそのプログラムに投稿したかったので,超気合が入ってました.

技術の部分を共著の先輩たちに担当を振って,その他はGPT-3に添削をもらいながら,先生に何回も投げて文章をブラッシュアップして行きました.

ほとんどの文章を自分で担当する重さと,できないなりに楽しんでいる感じが伝わるかと思います↓

ちょうど先日レビューが返ってきて発狂してました.あと0.1ポイントスコアが足りませんでした.悔しすぎる.

留年が決まり,自分の興味と向き合えると知って,色々なことに挑戦する準備をしていました

研究に打ち込んだ日々の裏で,留年が早々に確定(ちなみに,秋学期は20単位以上履修して5単位(しかも興味があった他学群の授業)しか取得できませんでした)し,在学期間が延長することで自分には何ができるか,この延長期間だからこそできることは何かという視点でずっと考えていました.

宮城大学で散々言われてきた「休学は良い事」「自分のやりたい事をするための休学は最高の選択だ」という言葉がよぎって,すぐに留年1年目の春学期分の休学届を学務課にもらいに行き,担任の先生に連絡をとって,地元に親のハンコをもらいに行きと,書類を出すのが苦手な私があんなにも用意周到に準備した書類は休学届くらいだと思います.成績が出る前の2月末には休学届を提出し,この休みの期間に何をしようか妄想しながらわくわくした気持ちで次にやることを考えていました.

研究もしたいけど,他にもやりたいこと・興味のあることがいっぱい.そんな私にとって,次のステップは「大学外の個人プロジェクトへの着手」でした.そこで取り組んだのが未踏事業への申請書との闘いです.

研究では「写真」に取り組んでいるけど,私の興味は広く「アナログプロセス」なので,写真印刷以外にも活版印刷や工芸などのアナログプロセスにも強い興味がありました.この部分の興味を何かに活かせたらという気持ちで考えたのが,未踏でのプロジェクト遂行でした.

個人の常用名刺にも使っているシルクスクリーン(孔版印刷)を題材に,パートナーの多大なる協力を得て大学外で個人で取り組みたいプロジェクトの内容で申請書を書きました.つくばにきて初めての「研究室が関わらない取り組み」にわくわくしながら,審査結果を待っています.

これからは何をしていくか,すでにわくわくしています

これから迎える新年度の春学期は,研究室で継続して写真の研究をしつつ,採択されたら個人のプロジェクトにも取り組みつつ,新たに始まる工芸のプロジェクトを企業の研究インターンで取り組みつつ,ビジネスインターンの仕事もしつつ,いろんなプロジェクトのデザインに関わって,より「アナログとデジタルの交差点」を探求する半年にしたいと思います.秋学期からは,落としまくった単位を回収するために復学し,卒業要件単位を回収しながら春学期の続きを継続して取り組もうと考えています.

相変わらず,好きなことばっかしていますが,これ以上卒業を伸ばしたくはないので皆様是非サポートをお願いします笑

表題のタイトル通り,「(宮城大を)退学して,(筑波大に)編入して,(楽しい学生生活を送りながら研究に没頭していたら)留年して,(半年暇になったので自分の興味と向き合うために)休学して,(単位を落としまくった秋学期は)復学して,(あと2年かけて筑波大の学部課程の)卒業を目指すという(普通絶対に味わえない経験だらけの)学生フルコースを堪能する(ことでもっと面白い)人生」という,一般的な学生として生きてたら絶対経験できない経験が盛りだくさんな人生を歩んでいますが,とても幸せなのでOKだと思ってます!!

色々やりたいことがたくさんですが,これからも猪突猛進にやりたいことをやっていきますので,応援よろしくお願いします!

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