僕は元気なのだろうか?
日々過ごしていると、時々考える時がある。
「僕ってはたして元気なんだろうか?」
そう言われればどうかわからない。まぁ健康ではある。人付き合いもまずまずうまく行っていると感じている。
でも、なんか心底「元気」とは感じられない。なぜなら、昔の元気だった頃を覚えているから。
「じゃあ、どうしたら昔の元気だった頃に戻れるのか?」
「じゃあ、昔と今は何が違うのか?」
思うに...2つあると思っている。
一つ目は、「先々の不安」
これはみんなが抱えていることで、自分で解決できること。しっかりとした準備を行うことで解消されることがほとんど。
2つ目は、「従わせられている」への対応での消耗。これによって体力が削りとられていく。
おそらく、大人になればなるほど「しなければならないこと」が増えてくる。というか、しなければならないことだらけだ。
毎日、通勤ラッシュにもまれなが会社に行くとか、企画書ばかり提出させられ、やれ謝りに行かされ...
家に帰れば、ゴミ出しして、分別ゴミを整理して、ダンボール整理して、マヨネーズ買ってきて...
「しなければならないこと」というよりも「従わせられている」と言って行ったほうが近のかもしれない。
この「従わせられている」という感覚は大小あるが、この「従わせられている」という感覚を快く感じている人が果たしているのだろうか?いないと思う。
そしてこの「従わせられている」という感覚はダメージとして蓄積されていくと思う。
「では、何故従わせられているのか?」
答えは簡単で「従わせられている」のを当たり前だと思っているから。それはルールだから当然なことと思っているから。実は「従わない」という選択肢があるのに...
そして、ダメージを受け続けていき飽和状態に近づくと、ある時「もう嫌だ!」と思ったりする。
家庭でも会社でも「そのルール」に従わなかったら「終わり」を意味する。仮に終わらなくても以前とは同じ状態ではない。そのことは行動する前からわかっている。
この「飽和状態」に近い人が多い。僕も近づいている気がしている。
「元気でない」状態とは、「従わせられている状態」のことで「元気」な状態とは「自由な選択ができる状態」のことだと思う。
「じゃあ、どうしたら昔の元気だった頃に戻れるのか?
結論を言えば「答えはノーだ!」「飽和状態」にならないようにするしかない。「花粉症」や「糖尿病」みたいなものだ。一度発症すれば治らないもの。
用心するしかない!
常に中腰!
さっと逃げれるように!(木下藤吉郎のごとく)
えっ!意外と楽しくない?
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