ペルソナ設定をする際によく「昔の自分」と言われたりする。そんな昔の自分を書き綴っていると…なんか、ちょっと盛っている… そんな自分がはずかしい…
現在、「昔の自分」や「理想の自分」のことを真剣に考えてたりしてるけど、割と難航している。その際に別に誰かに見せるわけでもないのに昔の自分を盛っている...
先日、こんなツイートをしました。
どうして、そんなことをしてしまうのか?
それこそ、ペルソナ分析が必要なのかもしれない。
そもそも、なんでペルソナ設定を始めたのか?と言えば、ブログやTwitterも「情報発信を本格的に始めたい!」と考えたから。
いままでにも少しはブログやTwitterもやってはいたものの、長くは続かず、始めては辞めるの繰り返しで...
それでも、「また始める」ということは情報を発信すること自体は嫌いじゃないということかもしれない。向いているかどうかは別として、これは続けられる可能性があるということ。
例えば、趣味にしても勉強にしてもやはり嫌いと感じたものは長く続かないもの。これから行動を選ぶ上での重要な部分だと思う。
まあ、そういう理由もあり自分の中で「ブログは向いている!」と前向きに判断したので、本格的に勉強して行こうと考えたから。
そんなことから、ブログ(ツイート)を書く上で、
「誰に伝えるか?」
↓
「ペルソナ設定しよう」
↓
「どんな人に伝えるのか?」
↓
「とりあえず、昔の自分へ伝えるとしよう」
そんな流れで、「昔の自分の状況」「昔の自分が考えていたこと」なんかを書き出してみた。すると、昔の自分の経歴やその頃の思考とかを無意識にちょと良く書いてしまっている。つまり「盛っている」。
なんで、「盛っちゃうの?」
例えば、ブログでプロフィール記載する場合は、「都合の良い風に盛る」は分からないでもない。でも、ペルソナはみたいなことは公開するわけではないはずだけど...
妄想的なこと?
僕、大丈夫?
とちょっと不安になる。
一日考えることにした。
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まず、考えたことが「盛っている…そんな自分がはずかしい…」ってどうして考えたのか?ということ。
思考の順番としては、「恥ずかしい」→「恥ずべきこと」→「ダメなこと」というふうに考えたと思う。とにかく、違和感を覚えたということ。
では何故無意識に盛ってしまったのか?ということになる。
実は「盛る」≒「理想の自分」なのかもしれないと考えている。
つまり、「実際+盛り」の「盛り」の部分が、「その当時の自分の理想」であり、「今の自分が当時の自分に伝えたかったこと」ではないかと思う。
例えば、「新卒で某IT会社に入社・・・」書くも実は「大学を中退後2年ほどプラプラして、知り合いの会社にコネ入社・・・」が現実だったとして、理想の自分は…
すべての人に当てはまるかはある。でも僕の場合、その盛った部分に理想の自分があるようだ。