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「かくれんぼ」の鬼と子はどっちが良い?

僕の生まれはとても田舎で、幼少時の遊びといえば「野球」「缶蹴り」「かくれんぼ」などが多かったように記憶している。

先日、知り合いとの雑談で「かくれんぼ」は鬼が良い?それとも子(隠れるほう)が良い?という話題になった。当時はみんな100%『子が良い!』だったと思うが、もしも、現在の思考のままで「かくれんぼ」をしていたら、僕はおそらく『鬼』を選ぶだろう。

この「逃げる」「追う」という選択についての意見は分かれるとは思うが、僕はたまたま「追う」つまり「鬼」のほうに魅力を感じている。

ただ、当時は「鬼=どんくさい」みたいなイメージをみんな持っていたので、いわゆる「できない子」的な評価をされてしまうような気がして100%『鬼は嫌だ!』と皆思っていたと推測する。

ところで、かくれんぼの「子として優秀」と評価されるための要素として幾つか考えられる。もちろん、ガチッとした評価ではなく、「なんとなく的」などちらかと言えば、印象系統の評価だと思う。

つまり、どこかの時点で「すごいことをやってのけた!」ならば、それ以降のゲームでは一目置かれ、例えば『かくれんぼの健二』みたいな称号を得てブイブイいわせることが可能となる。

一方で、「鬼として優秀」と評価されるためには?

このことに関しては、なかなか難しい問題がある。なぜなら、「鬼として優秀」とは「早くたくさんの子を見つけること」なので、鬼が優秀であればゲーム自体はつまらないものになってしまう。見つかるか見つからないかのドキドキ感も「子の醍醐味」でもあると思うので…

つまり、
「鬼として優秀」とは、「空気を読み、そこそこみんなを楽しませる」ということになる。

ここで「かくれんぼのルール」をおさらいしておきたい。

かくれんぼに明確なルールは存在しないが、一般に遊ばれているルールを総合すると、次のようなものになる。
かくれんぼは2人以上によって行われ、1人の鬼(親ともいう)と残りの子に分かれる(人数が多い時は鬼を複数人にすることもある)。最初の鬼はじゃんけんなどによって決めることが多い。
鬼は壁や柱といった、もたれかかることができる場所に顔を向け、腕で目をふさぎ、あらかじめ決められていただけの数を大声で数える。この声が聞こえている間に子は鬼に見つからないような場所を見つけ、潜む。子が潜むことができる範囲ははっきり決まっていないことが多いが、一般には鬼が数を数える声が聞こえる範囲、というのが不文律的に定められている。これは、あまりに遠くなると探すのに時間がかかるのに加え、後述する確認の作業が行えないためである。
決められた数を数えると、鬼は確認の作業を行う。これは、子が全員隠れたことを確認するとともに、鬼の捜索開始を宣言するものである。鬼は数を数える時の体勢のまま「もういいかい」と、大声で尋ねる。子は、自分がすでに隠れ終わっている場合は「もういいよ」、まだ隠れきっていない場合は「まあだだよ(「まだだよ」の意)」と答える。「まあだだよ」の声が聞こえた場合、鬼はしばらく待って、再び「もういいかい」と尋ねる。この間に、まだ隠れていない子は早急に隠れなくてはならない。これを繰り返し、「まあだだよ」の声が聞こえなくなると、鬼は目を開き、開始する。この確認作業は省略されることもある。
鬼は目をふさいでいる間の物音や、「もういいよ」の声の届いた方向・距離などをたよりに、隠れた子を見つけだす。子を見つけると、鬼は相手の名前の後に「みいつけた(「見つけた」の意)」と叫び指を指し、発見したことを宣言する。発見の時には実際に手を触れないと駄目だとするルールもある。こうして子が全員発見されると、最初に発見された子が新たな鬼となり、次のセットを開始する。毎回のセットでは、鬼が最後まで見つけられなかった子がさしあたっての優秀者と見なされるが、総合を争うといったことはほとんど行われない。
(出典:ウィキペディア)

かんたんに説明すると、

名称未設定


また、人数に関しても「適当な人数」というものがある。少なすぎてもゲームとして面白くないし、多すぎても間延びして、集中力が継続できない。僕の感覚からして「10人前後」が適当ではないかと思う。

話を最初に戻すが、それでは「どんくさい」と思われずに鬼になるためには?

鬼をやりたいとしても、「毎回、鬼でいいよ!」としたならば、これではゲームが成り立たない。とすれば、3~5回に1回くらいの割合が限界ではないだろうか?これを違和感なく行わなければならない。かなり綿密な計画が要求される。

人は大人子どもに限らず、「果敢な挑戦者」を尊敬する。つまり、ベタな「押入れ隠れ」より「危険な場所※に挑み、失敗の末に見つかってしまう。」という流れをつくれれば…

※「危険な場所」とは、見つかれ可能性は高いが「意外性」があったり、または皆に「ウケる」場所を指す。

まとめると、今回、「鬼のほうが良い」とは言ったが、別に「子が嫌」なわけではない。僕の場合は「どちらも嫌ではない」ということになる。つまり、「どちらに転んでも僕は楽しめる!」ということになる。

いろいろと語ってはみたものの「かくれんぼ」は結局、『遊び』なのだ。遊びは楽しくなくてはならない。

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