「春アニメ OP,EDアニメーション5選」を掘り下げる。
こんにちは、蕩です。
前回は『聲の形』について文章だけで構成した記事を作ってみたのですが、演出面に言及しない内容に不安を覚えつつも嬉しい反響を頂けて感謝です。
「こうゆう記事も読んで頂けるのか」って思えたのが個人的な収穫です、ありがとうございました。
でも映像面の面白さも共有したい!!
Twitterで語ることも可能なんですけど、やっぱり文字数制限と格闘するのは面倒くさい!!
ということで、今回は「春アニメ OP,EDアニメーション」について"好き"と"語りたい"の両方を満たせる作品をピックアップしてみました。
最後まで読んで頂けたら泣いて喜びます。
いや、強く抱き締めます。お願いします。頼みます。
①シャドーハウス(OP)
"柱"を跨ぐことで、滑らかにキャラが切り替わるフィルムは単純に気持ちが良いです。
身分的には"シャドー"が圧倒的に上であり、召使い的存在である"生き人形"が一貫してリードする形で舞っているのは1対たちの関係性を上手く表現していると思います。
そして、次はここ。
無垢なエミリコに"シャドー"の手が触れることで黒く塗り潰されそうということは、謎の多いシャドー家からの手が介入することで闇に染め上げられてしまう可能性を示唆しているように感じますね。
一方で、シャドー家であるケイトが黒い水の中を突き進む度に"すすの手"が食い止めようとしているのも同様に、謎多きシャドー家が抱える"何か"を暴こうとするケイトを陥れようとする展開が伺えます。
そこに説得力を増すように様々なキャラクターを登場させることで、エミリコとケイトの2人に伸びている"すすの手"の正体を匂わせています。
エドワードの怪しい微笑みは本編で繰り広げようとしているお披露目での企みと繋がりますし、それ以外のキャラクターは"フレーム演出"から俯瞰的に監視していた面々なのかもしれませんね。
続々と現れる"シャドー"と"生き人形"の対的存在から、突如として残り数人のエドワードまでは"生身"だけの状態で登場しているのも違和感。
画像の通り、エミリコとケイトの2人が駆け抜けていく中で"何か"を察知して立ち止まることで、物語が新しく展開されそうなイメージを抱かせています。
そして「ガラス」を用いた演出が良いですね。
シャドー家が絶対であり、生き人形はそれに従って主のために尽くし続けることが掟。
生き人形自体はどんな扱いでも構わない、といった世界に一石を投じるような演出だと思います。
演出としてありがちな考え方なら、「鏡」を用いて映されるのは"自分"であり、作品設定と主従関係から察すれば、尚のこと「鏡」に映されるのは"ケイト目線→ケイト"と"エミリコ目線→ケイト"のように全てケイトが映るように終着させるはずです。
そうやってシャドー家の"絶対性"を強調するべきなのに、2人は「ガラス」を挟んで確実に"お互い"を映し合っているのが印象的ですね。
単純に"自分"しか映らない、または"ケイトのみ"が映るべき世界観構造に対して、生き人形も"個性(=個人として映ることができる)"を獲得するのが当然の世界であるといったケイトの野望と、その野望を絶対に一緒に叶えたいと願い全力で支えるエミリコを表現しているように受け取れると思いました。
そして「ガラス」が平行となり、視覚的に"仕切り"の役目に切り替わる瞬間で2人が手を伸ばし合い、次々と登場する不気味なキャラ達が物語における彼女たちの"仕切り(=障害)"になってくるのではないかと考えさせてくるのが上手いかつ、音ハメも合わさって素晴らしいOPアニメーションだと思います。
②シャドーハウス(ED)
お披露目に参加している面々の止め画たち。
注目してみると、全員が共通して"シャドー家→生き人形"の順番でピントが合う処理がされています。
単純に尺稼ぎ的な考えも浮かびますが、公式のコメント欄でも言及されていたように、
Iのない 深い 影ばかり(ケイトに焦点)
愛のない 答え ドールみたい(エミリコに焦点)
といった歌詞とリンクさせてるのが良いです。
まずはケイト(お影様="主")にピントを合わせているのですが、シャドー家の絶対的な存在を考慮すればピントが合うのは"主"だけで問題ありません。
なのにエミリコ(生き人形="従")にわざわざ後から焦点を合わせていくんですよね、この後の面々もその順番で生き人形に注目を集めるようなフィルム。
やはり"アイデンティティ"を尊重していくような関係性と展開が伺えるのではないでしょうか。
さて、疑問に思っている方もいると思います。
「ルウ,ルイーズの2人は?」ですよね。
この2人だけは"同時"にピントが合っています。
正直言って原作勢の人間でも「なるほど!」とはならない演出で考察している状態なのですが、OPの記事で少し言及した「エドワードたちのお影様は?」という疑問点と繋がってきそうな予感がしますね。
どちらに焦点を当てるのが正しいのか、そもそもシャドー家とは、生き人形とは、そんな謎を惜しみなく発揮しようとする制作陣の意欲に感謝です。
少し話を脱線して、呪術廻戦のOPで若干の"光"に淡い希望を抱きつつも、アルバムに映るメカ丸に"影"がかかっているのは不吉な予感しかしないと推測したことを記事に書いたのを覚えている方がいたら嬉しいなって思います。
さてさて、この考察の仕方を踏まえるとシャーリーとラムだけ"影(=すす)"に全身を覆われているのが段々と嫌な予感をさせてきますよね。
ですが、呪術廻戦と違って、設定としてやりたい放題使用できる"すす"が影表現として機能してしまうかつ全員に"影(=すす)"が侵食している演出を起用しているので、どのキャラも安心できない緊張感を煽ることにつながっています。
本当にラムに"シャドー家"の邪魔が入るのか、私たちをミスリードに陥れようとしているのか疑心暗鬼にさせる世界観と設定重視の演出が好きです。
最も印象的な螺旋階段を走るカット。
これも嫌な雰囲気が漂っていますよね、グルグルと廻り続ける階段を駆け抜ける中で、
ここに いない いない いないのは
自分 自分
誰も 見ない 見ない 見ないまま
掃き捨ててさようなら
といった歌詞が流れる、作品が持つ世界観に対しての寄り添い具合が今期の中で一番だと思います。
「"掃き"捨てて」っていうのがまた、"すす"を掃除する生き人形の奥底に眠る"自我"を代弁しているような感覚にもなってくる気がしますね。
あまり語る部分は多くありませんが、物語の本筋を捉えさせて"ここが印象的"という面で作品らしさを前面に押し出したインパクトを与えるフィルムになっているのではないでしょうか。
最後は『パラ〇イト』のパロディ感が逆に不気味感を強調しています。
段々とカメラが引いていくことでケイトたちが住む御屋敷の全貌が明らかになる高揚感とは裏腹に、そこは"すすドーム(スノードーム)"に閉じ込められた閉塞的な空間であったという記号的な種明かし。
そして背後に映る"巨大な御屋敷"を見せることで、まだまだ謎が増え続けることを示唆している模様。
最後は音ハメのように「パリンッ」とガラスが割れるSEと同時に画面全体のトーンを下げて、不気味さを一貫して演出しようとする構成が素敵なEDです。
「シャドーハウス」はOPに"歌詞がない"のでシャドー家目線、EDは"歌詞がある"かつ内容を汲み取ると生き人形目線になっている、といった考察も良い。
対の関係で成り立つ作品の中で、OP,EDも対の関係で成り立っているのは素晴らしいです。好き。
③さよなら私のクラマー(ED)
転がり続けていく"球体"が、バスケットボールやスイカなど様々な種類に変わっていく導入。
この作品は「サッカー」が主題なのに、転がる球体をサッカーボールで統一するどころか、サッカーボールは登場せずに大雑把に塗られた"黒い球体"が目立つ部分でも違和感を感じさせる幕開けです。
そして次は女の子が「バスケ部」「陸上部」「ソフトボール部」「書道部」「水泳部」と、色々なユニフォームに姿を変えて走り抜けています。
やっぱり少し"違和感"がありますよね、何で「サッカー部」としてユニフォームを着た子が登場しないんだろうって思うのは当然だと思います。
ここで2話を思い出してください。
深津監督(男性)が「女子サッカーに未来はあるんですか?」という問いを投げる台詞があります。
少しデリケートな話になるかもしれませんが、語弊を恐れずに言えば"女子スポーツ"というのは全体的に熱量が少ないとされがちですし、男子スポーツと比べると話題にも上がりにくいですよね。
もちろん、卓球やバレーボールなどは女子の方が観戦してて面白いと思うのですが、身体と身体の激しい衝突が絡むスポーツは男子の方が熱い。
「じゃあ未来はないの?」「やめるべき?」
そんな事は絶対にないと思うんですよね。
全盛期のなでしこJAPANで日本中が震えたように、ボールを全力で追い続けて勝利を掴み取る姿勢には胸を打たれますし、応援したくなります。
ではでは、話を進めますね。
メインの登場人物たちが送る日常の中に、導入で違和感を抱いた"黒い球体"が現れていますね。
皆がその"黒い球体"に気づいてしまったような、そう思わせる意図が組み込まれている気がします。
一番伝わりやすいのは曽志崎(3番目)です。
導入を"様々な球体(=選択肢)"で解釈するなら、"カラフルな水風船(=様々な球体=選択肢)"とも受け取ることが可能だと思うんですよね。
でも曽志崎は浮かんでいる水風船を「どれにしようかな?」と迷いつつも手を出せない、そんな時に彼女の目の前に現れたのが"黒い球体"です。
水風船を取ることは忘れて、突如現れた謎の球体に目を奪われてしまった芝居が目立っています。
ここで3人がネット,金網,スタジアム(=フレーム)の構図から、"外側"で「サッカー」を眺めて夢見ているんじゃないかなって。
でも文字通りに蚊帳の外でどうしようもない状態でいる時、視聴者である私も不満のボルテージが最高潮になっている時にサビが流れる爽快感!好き!
少し興奮して取り乱しました!すみません!!
さてさて、落ち着いて話を戻しますね。
画像の通り、ここで実写のように滑らかに動く"女子サッカー"の光景が広がっていきます。
前項で3人がネット,金網,スタジアムの外側で眺めていると書きましたが、きっとその"内側"にあったのはこの鮮やかな光景なんじゃないのかなって。
まだ"黒い球体"で正体はわからないものの、この球体を全力で追いかけたり、テクニックやフィジカルを駆使して熱量を高めていく気持ちに憧れを抱いたんじゃないかなって、私は思いました。
また思い出してください、導入と同じ構図です。
今回は様々な球体ではなくて、サブリミナル的に挟まる思い出のようなものの先に目の前まで辿り着いた"黒い球体"が"サッカーボール"として正体を明かしてくれました、この演出が良いですよね。
「簡単じゃん」って最初から気づいていた方も多々いると思いますが、この演出が素晴らしいのはギミックではなくて、"ストーリー性"です。
向こうから転がってくる黒い球体が、ついに正体を明かして"サッカーボール"になった瞬間に大きく蹴り上げたスパイクに注目してください。
恩田のスパイクなんですよ!!
これは私の勝手な解釈ですが、サッカーをやっている空間を恩田たちは"外側"で眺めていた。
そして"内側"でサッカーをやっていた人間たちが必死に繋いでいた"黒い球体(=サッカーボール)"が、ついに恩田のスパイクに届いたってストーリーを妄想すると何か素敵だなって、そして恩田たちも"内側(=プレイヤー)"になったことにドラマがあるなって。
最初から"様々な球体(=多様性,選択肢)"という描き方をして、スポーツに限らず「何を選んでもいい」ということを当たり前のように尊重している。
でも、この作品に登場する人間は「サッカー」という競技に心を奪われて熱中しているという"作品"と"時代"の両方に合った意図が感じられて素晴らしいと思いました。イチオシの一品です!
④SSSS.DYNAZENON(OP)
"怪獣"的な要素を若干含むダイナゼノンの雰囲気。
その背後にジワジワと寄っていき、完全に振り向かないままタイトルを出して画をピタッと止める。
"見返り美人図"を彷彿とさせる開幕に興奮です!!
ここ好きな人多いと思うんですよ、私も大好き。
グリッドマンは正面から姿を映す"正当なヒーロー"的要素を醸し出しているのですが、視聴者を喜ばせるためのタイトル演出をする一方で、この2作品が有する"違い"も肌で感じられますよね。
そして全員の立ち姿を回り込むカット。
各々が違う方向に視線を当てているような印象を受けるのですが、蓬だけ"夢芽を見てる"ようにも受け取れますし、蓬だけ"内側に視線が向いてる"ようにも解釈できるのがややこしくしていますね。
この集団の中で、蓬以外(現時点では"ちせ"も)は対峙する相手がいるのに、蓬は母親が連れてくる厄介な男性の他に重要な人物がいない空虚さを表現していることに加えて、伏線になってる可能性も大きい。
さて、各々が対峙する相手です。
"ガウマ→怪獣優生思想"
"夢芽→香乃"
"暦→稲本さん"
のような構図になっていて、暦が対峙してるのは制服も似ているし"ちせ"かもしれないと思ったんですが、稲本さんの制服が同じ気がするんですよね。
ガウマと夢芽は正面で向き合おうとしているのに対して暦は背を向けているのが印象的で、"過去"に対して向き合う必要がある2人と違って、暦は稲本さんとの過去に"決別"する必要があるかなって。
「蓬は?」って思いますよね。
彼は対峙する相手どころか、自分の"手のひら"にも何もない空っぽな状態で過ごしていました。
でも彼の日常はガラリと、でも少しずつ変わる。
"手のひらを広げる→ダイナソルジャーを握る→全員が自分のアイテムを握り締める"という流れを音ハメで遊ぶのも、どこが気持ち良いですよね。
この全員が"握り締める"という行為をした直後に現れるダイナゼノンの"手"に注目してほしいのですが、ダイナゼノンの手も"握り締めている"のが良い!
言ってしまえば、1人ではなくて"ダイナゼノン(=全員)"という解釈を抱かせる熱い展開を"握り締める"といった芝居に込めているのかなって思います。
そして何と言ってもダイナゼノンを贅沢に、粘着質で舐めるように映すカメラワークは優勝!
意味不明な後ろの爆発もそうですが、単純に「ロマン集めてみました!」みたいな雰囲気が最高です!
最後に触れるならここ。
夢芽と香乃(上側),六花とアカネ(下側)になってるんですけど、これも"粋"な演出ですよね。
現段階では香乃は自殺なのか他殺なのか、夢芽はどういう向き合い方をして"自分"と"お姉ちゃん"と決着をつけるのかはわかりませんが、六花とアカネの最後を踏まえるなら不安はいらないかなって。
「夢芽には触らせない」って言ってたはずなのに、夢芽と一緒に持ってるのが答えなのかもしれません。
前作と同じ構図を使うファンサービスはもちろん、「SSSS.DYNAZENON」としての世界観や特撮モノとしての憧れを抱かせる素敵な一品だと思います!
楽曲も良いですよね、ああ最終回で泣きそう。
⑤美少年探偵団(OP)
梅津さんのインタビュー記事を読み、「ストーリー性がある」という意図を汲み取り、そこから自分の解釈を広げて書いている前提でお願いします。
さて、『美少年探偵団』の導入としては瞳島眉美が昔見つけた"星"を探し続けていたが、未だにその正体を暴くことができず危機的状況に陥っている、という設定で物語が幕を開けますね。
ではでは、これをベースに話を進めていきます。
"影"にかかった美少年探偵団の5人に"スポット"を当てて作品が始まる予感を滲ませワクワクさせてくる一方で、サブリミナル的に眉美の手が美術室のドアに伸びつつも開くことができないまま、次のシーンに進むことに微妙な違和感を感じる導入。
そして眉美の"瞳"から飛び出るように現れた5つの星をただ単に追いかけるのではなく、キョロキョロしたり、手を伸ばして掴もうとしている姿勢が贅沢に入っているのも躍動感が生まれて素晴らしいです。
仰っている方もいましたが、最後にローアングルで足元が作り出す"Aライン"もどこか憧れを抱くようなポージングで興奮しますよね。
伏線をバラ撒いたメッセージ性の強い演出も大事ですが、単純に視覚的に気持ち良いというのも大切だということに改めて気づきました。
さて、眉美が探していた"星"というのは結果的に「視力が桁違いに良い」ために見えてしまった人工衛星が核攻撃によって破壊された現象でしたが、探して見つけるべき"星"だったのはカラフルな5つの星(=美少年探偵団)と解釈できると思うんですよね。
カラフルな5つの星はこのまま学校に向かい輝きを放っていますが、「僕たちはここにいるから見つけてごらん」といった言葉を残して美術室に戻ったのかもしれません。
そして"虫眼鏡"を当てると美少年探偵団のメンバーが現れますが、"虫眼鏡"は簡単に見つけることができたり、見ることができてしまうモノに使いません。
だからこそ、先程述べたように美少年探偵団の「見つけてごらん」といったメッセージの解釈に一貫性を得ることができると思うんですよね。
新房監督の要望から梅津ディレクターが作り出した「かくれんぼ≒探偵団」のような構図が上手く機能しているのではないでしょうか、ニヤニヤします!!
ここで美少年探偵団がそれぞれ違う形で"内緒"を伝える芝居も良いですよね、探偵らしい守秘義務を強調するマッチ度に加えて各々の"個性"を演出しているのが皆さん大好きなダンスシーンに繋がっています。
上下両方に向いて周回する"ロケット"は最後のシーンに対する伏線でもあり、最終的には"上"を向いてるロケットが"上"に向かっていくのは回収の予感。
「気持ち良い演出」に全振りしているような映像作りに見せて、登場するモチーフに一貫性を持たせている芸の細さが伺えるのではないでしょうか。
断片的に挟まれる4枚の絵。
単純に"影"を用いるかつ眼鏡で怪しさを強調することによって、"星"の正体どころか視認することさえできない眉美の絶望感を表現しています。
位置関係はバラバラなので説得力が若干曖昧になってしまうのですが、眉美が見つけたいと思う"星"は空に存在してると思って眺め続けている一方で、眉美が見つけるべき"カラフルな5つの星(=美少年探偵団のメンバー)"は背後に埋まっている(=立っている)といった比喩的表現にもなっている気がしますね。
先程述べた眉美が絶望している様子を察することができるように、突如現れた水面に飲まれて奥底に沈んでいくシーンを挟んであるのも良いです。
"星"を見つけるために空(=上側)ばっかり眺めていたら、足元(=下側)をすくわれるといった解釈を広げることもできると思うんですよ。好きです。
待ってました!ダンスシーン!
全員分載せたいところですが、ただの鑑賞会になりそうなので私が一番好きな「美脚のヒョータ」を自己満足の塊として載せました。最高です。
ここに関しては考察とか知りません、だって観ていて気持ち良いじゃないですか!楽しい!はっぴい!
"美脚"をアピールするように脚を使ったダンスが印象的かつ決めポーズの"指"が視線誘導と音ハメの2つの役割を担っていて、完璧ですよね。
服のシワ,髪のなびき,踊りの重量感が全て上手い具合に合わさっているのもご満悦ポイントです!
さてさて、少し落ち着きます。
「何で宇宙なの?」みたいに思う反面どこかスっと受け入れてしまうことができるこのカットもストーリーを大事にしてるんですよね、思い出してください。
さっき眉美は足元に現れた"海"に飲まれましたよね、そして奥に潜り沈んでいくというのはイメージだけで考えれば"地球"の大部分を占める"青"の海から宇宙に飛び出せそうな気がしませんか?
こういう遊び心的な高揚感を持たせつつ、そこに違和感を抱かせない夢がある演出だと思います。
これは宇宙に飛び出てしまい窒息手前の眉美に、まだ"星"の美少年探偵団が駆けつけて地上に戻したって意味らしいのですが、絶望に飲まれて絶体絶命の宇宙まで辿り着いた眉美を救うことができるのは、やはり"美少年探偵団"という点を考えると納得。
上の2枚から、双頭院がやや後ろ側に立って"影"がかかっているのは眉美が美少年探偵団の存在をまだハッキリと確認してないように感じますが、頬をタッチすることで笑顔と"カラフルな星(=美少年探偵団)"が溢れることで眉美は"見つけるべき"ものに気づいたと言えるのではないでしょうか。
だからある意味で"眼"に対する"壁"と受け取れる眼鏡を外すことができたと受け取れます。
ここで眼鏡のテンプル(横の細い部分)を持って外すのではなく、完全にレンズを持って外す独特な芝居がクセの塊ですよね。私はこうゆうの大好きです。
ここで眼鏡を外してから眉美の"瞳"にズーム、"星"の共通点から切り替わり"壁"である綺麗な色彩のステンドグラスを突き破って美少年探偵団がお迎えしてくれる演出。
導入の美術室のドア(=壁)からなのですが、眉美が抱える"壁"を様々なアイテムに置き換えて表現することで最終的には「心の壁」が壊れたというシナリオは、インタビュー記事にもあったように90秒のストーリー性に注意したという点でも満足できるような仕上がりになっています。
長くなりましたが、これで最後です。
"星"が見えなくて悩んでいた瞳島眉美ではなく、容姿からも変化が伺えるように「美少年探偵団の瞳島眉美」として、「美観のマユミ」として伏線となっていたロケットを突き破り"仲間"になる幕引きが素敵です。
フィクションを重視して"スローで落ちる"のも、現実を重視して"高速で落ちる"のも悪くないのですが、その2つを黄金比で整えたような絶妙な配分によって、重量感,ドラマ感を「重力」が表現している気持ち良さでアニメーションを締めて拍手喝采です。
星が5つから"6つ"になるのが物語の全てですね。
総評
皆さんはどの作品が好きですか?
個人的には「美少年探偵団(OP)」が圧倒的に好きなんですよね、夢に溢れてて興奮の嵐です!
後は「ゴジラS.P」のOP,EDも両方大好きでリピートしてる気がします、テンション上がりますよね。
楽曲単体の良さを語るっていうのも好きなんですけど、やっぱり"アニメーション"に自分なりの意味を持つっていうのは面白いと思うんですよ。
でも専門的な技術,徹底的な演出面からの考察という切り口で語らなければいけない必要もなくて、自分が思う「ここ好き!」「音ハメやばい!」みたいなポイントを咀嚼して、伝えてくれる方が増えてくれればいいなと思って記事を書いてみました。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
とても長い記事にしてしまって、反省しています。
リプなどの直接的な反応が何よりも励みになるので、送って貰えると本当に嬉しいです。
拡散して頂けたら、泣き散らかして喜びます。
ではでは、また機会があれば!