エッセイ『標本』
十ん年前、中高一貫校の吹奏楽部に所属し、私は高校生だった。
中学生の一部で、「私は〇〇先輩のファン!」と公言する遊びが流行ったことがあった。
私にもA子ちゃんというファンがいてくれたことは、なんかキャーキャーされているのでなんとなく分かった。
ある日、A子ちゃんと仲の良い女の子が、「聞いて下さいっ!」とやって来て、訴えた。
「A子ったら、鹿子先輩の髪の毛を定期入れに集めて保存しているんですよっ!もう、気持ちが悪いから、鹿子先輩から止めるように言って下さいっっ!!」
おっ、おぅ。そういうお年頃?
別に気持ち悪くはないけれど。
その時すぐ隣で「も〜。やだ~。言わないで~。やめてよ〜。」と言うA子ちゃんに、「いつでも捨てていいから。」と笑って言ったか、「じゃあ、それ私がもらっておくから、頂戴。」と言って預かった(そして処分した)か、どっちだったろう。
青春ですね。
『髪長姫』はお気に入りの昔話の一つでしたが、あれはどうなんでしょう。
平安時代の貴族とか、髪を贈ったり贈られたりしてもおかしくはないような、どっかで読んだような気も。
『形見』でしょうね。
『呪い』にも使えますが。
『標本』というお題で書いたり、書かれたものを読んでいて、ちょっと思い出しました。
かつて恋人が採取したブツだったりデータだったりする私の標本について、気持ちは分からないでもないしそうするのはいいけれども、恥ずかしくないわけでもコワくないわけでもないので、それを私に披露したり説明したりするのはやめて欲しいとお願いした、アレまだこの世のどこかに存在しているのかしら。