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映画感想 スパイダーマン ホームカミング
この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。
『スパイダーマン ホームカミング』――やっとテレビ放送してくれたので、見ることができた! トビー・マクガイア『スパイダーマン』をとりあえず最初として(東映版は今回含めないよ)、アンドリュー・ガーフィルド『アメイジング・スパイダーマン』に続く3代目にあたる作品だ。
(『アメイジング』は不評で2作で終わったシリーズだが、私はわりと好きだった。好きな理由は前にも書いたはずだが、「これはゲームの2週目だな」と思ったから。冒頭シーンまでは一緒だけど、その後の展開が違う。2週目だから敵がやや強くなっている。違う世界線を覗いている感じもあって面白かった)
『スパイダーマン ホームカミング』は今までの『スパイダーマン』から大きく設定が変更されている。まずスパイダーマンが幼い。15歳の設定で、演じるホランドも若い。体が今までのスパイダーマンよりも小さく華奢。スパイダースーツを着ると、この華奢な体がより強調される(今までは多分、胸の下に、胸板を表現するためにエアブラシで影を入れてたと思うが、今回それもなし)。まだ声変わり前の設定だろうか。声のトーンが高くてかわいい。今までで一番かわいいショタスパイダーマンだ。
今まで権利上のめんどくせー問題に阻まれて、本家アベンジャーズと関われなかったが、ようやく色んなものがクリアになり、「アベンジャーズと関わるスパイダーマン」が描かれる。
というわけで、スパイダーマンの高性能スーツはトニー・スタークが作ったということになり、ピーターはスターク社のインターンとして雇用されている設定になった。
ここで不思議な味付けとして、トニー・スタークとピーターが疑似親子のような関係性で描かれている。親のいないピーターがトニーに反抗しつつ、一人前として認めてもらえるよう奮闘する、という親子物語が展開する。
トニー・スタークはどうかというと、トニー自身、父親に認めてもらえなかった――“承認をもらえなかった息子”として、不器用にピーター少年に接しようとする。自由人であったトニーが懸命に父親役を全うしようとする姿が、不思議だし新鮮な光景だった。
『スパイダーマン』を冠とする映画のはずなのに、中身を見てみると半分くらいはアイアンマンのお話。トニー・スタークが父親として成長しようとあがく物語だった。
敵はバルチャー。かつてトニー・スタークに仕事を奪われたことをきっかけに転落していった。敵でありながら、かわいそうなオジサンである。
……要するに、今回もトニー・スタークが悪い。またお前か、トニー・スターク!
スタークおじさん、どんだけ悪の芽を撒いて歩くんだろうな。あの一件がなければ、エイドリアン・トゥームスも普通のおじさんでいられたかもしれないのに。
そうそう、忘れてはいけない。バルチャー演じるマイケル・キートンはかつて『バットマン』であった男。バットマンであった男が、翼を付けてニューヨーク上空を飛び交う。なんとも奇妙な巡り合わせである。
それもこれも、トニー・スタークが悪い。
今回のスパイダーマンの設定について気になったことがいくつか。
今回は“例のあの蜘蛛”に刺される下りは全面的に省略されてしまったわけだが、ということは、ピーター・パーカーは普通の少年なのだろうか……。いや、映画後半、優れたフィジカルを見せる場面があるし。いかにしてあのパワーを手にしたのか、がわからないままなのが引っ掛かる。
蜘蛛の糸設定はどうなっているのだろう。「ウェブ・シューター」というアイテムが出てきて、「残り:少」みたいな表示が出てくる。またピーターの友人が、あのシューターを拾って悪漢の動きを封じる場面があった。
ということは、あの機械なしに蜘蛛糸は発射できない? 蜘蛛糸の力はピーター自身の力ではないのだろうか……? このあたりの設定がわからないままだった。
“前作”でこのあたりの説明、あったのかな……。見てないんだよなぁ……。
これまでのスパイダーマンは、「ヒーローとしてのスパイダーマン」が中心だった。驚異的な身体能力を持って、鮮やかに悪漢を倒す。しかし『ホームカミング』のスパイダーマンは「未熟者」の面が強調されている。スイング失敗して落ちるし、屋根壊すし、それでパニックにもなる。真っ二つにする船を蜘蛛糸でくっつける。ミッションにも失敗する。ニューヨークの町中をスイングで優雅に潜り抜けていく……という感じはなくなり、そこもまだ未熟者として描かれる。『アメイジング』のスパイダーマンはヒーローとしての強さ、アクロバットなアクションがメインだったが、ヒーローとしての無双的強さは今回は封印。ふとすると、スーパースーツを着ている普通の少年かも知れない……くらいの感覚で描かれている。
「普通の少年」としての物語が中心になるので、高校生活の場面も多い。ヒーロー映画というより、ジュブナイル映画と言ったほうが近いくらいになった。
普通の少年として恋もするし、学内の社会に迷うし、親や大人からの圧力も受けている。『ホームカミング』はヒーローの物語ではなく、ごく普通の少年の物語にすら感じる。
ようやく名実ともにMCUヒーローの一員となれたスパイダーマンだが、見ていると寂しさを感じた。
これまでの映画は(もちろん権利上の問題があったからだが)ほかのヒーローはスパイダーマンに干渉してこなかった。スパイダーマンはニューヨークにたった一人のヒーローだった。そしてスパイダーマンはニューヨークという街のシンボルだった。ニューヨークの申し子で、ニューヨークに愛されたヒーローだった。バットマンがゴッサムという街と不可分な存在であったように(そこから出てしまった途端、魅力を失ってしまった)、スパイダーマンとニューヨークは切り離して描いてはならない。スパイダーマンは「親しき隣人」なのだ。決して「恐れられるミュータント」ではなく、ニューヨーカーに愛された存在なのだ。
ところが『ホームカミング』のスパイダーマンは、舞台はニューヨークだが、あまりその住人たちと深く触れ合わない。スパイダーマンが街と結びついていく過程が、今回の映画にはない。
その代わりに描かれたのが、ティーンエイジャーとしての暮らしと、その年頃らしい素朴な悩み。あとはMCUヒーローとの関係性だ。
成熟したヒーローと改めて交流するために、スパイダーマンは今までより幼く描き、成長の物語として描いた点は正しい選択だ。スパイダーマンをこれまでにない新たな局面を描いた点は、正しい選択だ。3代目になろうとするスパイダーマンを正しくアップデートさせている。そこでトニー・スタークを父親役に充てるというアイデアは、ちょっとしたユーモアですらある。
しかし一方で、スパイダーマンはもうニューヨークだけのヒーローじゃなくなったんだな……という寂しさも少し。「ニューヨークのヒーロー」としての立場は、鉄壁の存在になってしまっているアイアンマンに奪われてしまっているし、スパイダーマンはニューヨークを卒業して、MCUヒーローになっていくのだろうか……。それも見守っていくのも、案外悪くないのかもしれないが。
スパイダーマンはついにMCUヒーローになれたんだな……と寂しさと同時に、そういう感慨深さもあって。
そういうものに葛藤しながら、これからスパイダーマンがどう成長し、変化していくのか、それを見守っていくことになりそうだ。
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これを書いてからしばらく、ソニー・ディズニー間の契約上の問題で、スパイダーマンがMCUから脱退するかもしれないというニュースが報じられた。
おいおい、そりゃないぜ。せっかく「見守る」モードに入りかけたのに、また権利上のくだらない問題でスパイダーマンが排除されるのか!
これを書いている時点でどんな顛末になるか結果が出てないし、どうなるかも予想ができない。
とにかくも、長い時間をかけてようやくMCUの一員になれたのに、この流れをブツ切りにしてほしくないものだ。
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と、上の文章を書いてから現在までの間に、なんとソニー・ディズニー間の対立が解消された! その仲裁役を担ったのはトム・ホランド! もう大好きだトム! これからもスパイダーマンでいてくれ!
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