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今回絵柄の元ネタ……山田章博

2021年6月4日挿絵2枚まとめ・Twitter公開版

 今回小説挿絵で絵柄を変えてみたのだが、実はちゃんと元ネタがある。それが山田章博先生の絵。特に参考にしたのは、『ロードス島戦記 ファリスの聖女』。この作品は後半になってくると線の精密さが極まってくるので、それを参考に今回の絵を作った。

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 山田章博先生の技法をパクった……というわりに、ぜんぜんキャラクターが似てないじゃないか。というツッコミが来そうだからあらかじめ注釈すると、パクったのは「技法」だけ。「キャラクター」の描き方はパクっていない。キャラ絵をコピーすることが技法をコピーすることではない。今回の場合は、キャラ絵以外の所をコピーした。
 どうして技法のみで、キャラクターをパクらなかったのか、というと、それは正しくないと感じたから。作品の傾向とも合っていないし、それに、山田先生のキャラクターを真似することはできても、それを自分のものとして扱えるか……というと無理だったから。

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 山田章博先生のスタイルを模倣するけれども、完全コピーするわけではない。するとバランスが非常に難しくなる。比較画像を見てわかるように、鼻や唇、輪郭線の描き方はコピーしているけど、目元がぜんぜん違う。いわゆる通常の漫画絵にあるような「記号絵」だけど、その記号絵をどこまで調整できるか……。毎回バランスを見ながらの作業だった。うまくいった絵もあれば、うまくいかない絵もあった。一度、山田章博キャラクターにだいぶ寄せたこともあったが、そこを崩しながらこの絵を作った。

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 それで、今回数年ぶりに山田章博先生の漫画を開いてみたのだけど、やっぱり凄かった……。どのページを見ても、どのコマを見ても、アートとして成立している。ただただ美しい。
 技法をコピーしようとしても絵のレベルがあまりにも違いすぎて無理、というものが多かった。いったいどのように描かれたのかわからない絵や、とんでもない超絶技巧によって描かれた絵だらけだったからだ。
 たとえば次のような絵。

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 勢いのある線が、キャラクターをまたいでシャッ、シャッと引かれている。どうしてこんな線がキャラクターをまたぎながら勢いを失わず描けるのか、それにどうしてここまで等間隔に線を引けるのか、さっぱりわからない。再現不能の「超絶技巧」だらけで、「スタイルをコピー」するといっても、ほとんど手が出せなかったというのが実際だった。技術の差が凄まじすぎるので、似せよう寄せようとしても限界がある、だから別物になってしまう……それが逆に似すぎなくて良かった、という結果になったわけだけど。

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 暗部の描き方も謎だった。黒ベタのところが真っ黒に塗りつぶされておらず、点々と白が残っている。これが不思議と柔らかい印象を作っているのだが、どうやったらこの黒が作り出せるのかわからなかった。

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 今回、山田章博先生の絵を真似てみよう……ということで、とりあえず「なぞり書き」をしてみたのだけど、この時点ですでに違う絵になってしまった。これはどういうことなのか?

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 詳しく見てみればわかるのだけど、すべての線に微妙な揺れがある。これは原稿にインクを落としたときにできる、微妙なムラだ。そのムラを、あえて出していたのだった。
 要するに、仕上げの前段階で完璧なデッサンで絵を作り上げておいて、その上にあえて微妙なユレやムラを作っている。そうすることでキャラクターが、あるいは絵全体が「生きて動いている」ような印象を作り出しているわけだ。
 細い線を引くときには、印刷で出るか出ないかの細い線をあえて使い、かすれた印象を作っている。すべてをくっきり出すのが正解ではなく、あえてかすれさせた線を出すことも、「絵が生きている」印象を作り出すための手段だった。
 一方で、私はデジタル絵だから、すべてが書いた通り正確にくっきり出る。だからなぞり書きしても同じ絵にならない。
 これがわかったとき、私は完全にお手上げになった。こんなの、再現不能じゃん……って。デジタルで絶対再現できない絵だと、なぞり書きして気付いた。

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 それで、私はCLIP STUDIO PAINTの「リアル鉛筆」を使うことにした。デジタル絵だけど、正確な線が出ない、微妙なユレやムラが出るツールだ。白と黒の2色しか出ない設定にして、くっきり線が出るようにした。これで描いたところで山田章博先生の漫画と同じになることは絶対にないのだけど、それなりに近い印象にすることができた。

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 影の部分や黒ベタにはあえて塗りつぶし機能は使わず、ひたすら線をシャッ、シャッと引いて暗部を作った。一度塗りつぶしツールは使ってみたが、それをやってしまうとこの風合いは出ない。だからひたすらに時間をかけて、線をシャッ、シャッと引き続けた。

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 黒髪を描くのは毎回3~5時間。細い線で描かないと、黒髪特有の滑らかさは表現できない。ひたすら忍耐の作業だった。
 でもそうやって絵を作ったことに意義はあって、今までの私の漫画絵からは比較にならないくらいの格調高さが現れるようになった。それで、「ああ、そうか。私のキャラクターはこう描くべきだったんだ」とようやく気付くことができた。
 ただ、この絵を量産して漫画を作れるか……というと別問題。この技法はめちゃくちゃに時間と体力を消耗してしまう。たかがキャラが立っている絵1枚でも、10時間も掛かってしまう。30ページの漫画をこのスタイルで描いたら、それこそ1年くらいかかってしまう。いい絵になるが、惜しいことに「使えない技法」だった。

2021年6月1日挿絵・Twitter投稿版

 では山田章博という漫画家について、少し語りましょう。

 語る……といっても山田先生と較べると私なんてただの鼻クソなんで、語るような立場ですらないんだけど、その前提はさて置きとして。
 漫画家としての山田章博先生の弱点は、絵がアートであって、エンタメじゃなかった……ということ。絵は圧倒的にうまく、どのページを見てもどのコマを見ても、見る者をうっとりと惹きつける緊張感を持っているけど、それはエンタメの絵じゃないんだ。それが大きな弱点だった。エンタメの絵じゃないから、漫画として読むと、お話の運びがややわかりづらい。どの順序で読むべきか、把握しづらい。たぶん、実際読んでみても、「わからなかった」という感想を残してしまう人もいたんじゃないか。
 漫画って、徹頭徹尾「エンタメ」のものなんだ。そのように宿命づけられてきたし、エンタメとして成立していない漫画は容赦なく払い落とされてきた。そういう歴史があったから、漫画は大衆文化の地位を守ってきた。

 でも山田章博先生の漫画はエンタメじゃなくてアートなんだ。読んでいてもドキドキワクワクがない。次の展開でどうなるんだろう、というページをめくる緊張感がない。それが「絵は凄いけど、お話は……」という印象を持たせる原因になってしまっていた。山田先生は紛れもなく天才だが、その才能がメジャーの世界に出られなかったのは、それが原因だったのではないか。

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 掲載雑誌もまずかった。『ロードス島戦記 ファリスの聖女』が掲載されていたのはまる勝PCエンジンという、その当時出版されていたPCエンジンのゲームを専門に取り扱う雑誌。知っての通り、PCエンジンはマイナーハードだったので、雑誌の出版部数自体少なく、そんな雑誌の片隅に、こんな驚嘆すべき緻密な漫画が載っていたのだ。当時を知っているが、まあ場違いも場違いで……。PCエンジンは美少女ものが多かったから、雑誌も目の大きな可愛い女の子が一杯載っている中、『ロードス島戦記』の漫画が載っていたのだ。
 しかもやがてPCエンジンのゲームハードとしてのライフサイクルが終了してしまい、雑誌休刊。それとともに『ロードス島戦記』も未完。その後、「コミックニュータイプ」や「ザ・スニーカー」と掲載誌を変えながらどうにかこうにか完結まで歩を進めるが、中途半端にお話が分断された状態で掲載されてしまったので、雑誌だけで読んでいる読者は「なんだこりゃ?」という印象になっただろう。絵はものすごいけど、エンタメとしての作りが弱いところに、さらにお話がブツ切り状態だから、より「よくわからない」印象を持たれやすい。しかもゲーム雑誌掲載漫画なので文字が横書き。この作品だけ逆から読まなくてはならなかった。頻繁に雑誌を変えての掲載だったので、気になっていた人は追いづらくなり、新たに入ってきたユーザーには敷居が高くなってしまったのだった。

 私は『ロードス島戦記』が完結まで本になっていたことを、書店で見かけてやっと気付いた。まる勝PCエンジンでの掲載後、どこで連載やっていたか、ぜんぜん知らなかった。
 もっとも連載が長期にわたった『BEAST of EAST』もスコラ→ソニー・マガジン→幻冬舎と渡り歩いてようやく完結。何度も渡り歩く宿命で、しかも行き着いたところがどこもマイナー誌。そこそこの漫画読みでも、山田章博漫画を誌面で見かけなかった、という人もいるだろう。
 そう思うと「雑誌選び」は「どこを戦場に選ぶべきか」という選択なんだな……ということに気付く。山田章博先生の場合、行き着いたところがどこもマイナー誌で、そもそも人の目に触れることなく……だった。それが大成しなかった理由だった。

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 山田章博先生の漫画は、2011年を最後に、現在まで作品の発表がない。Wikipediaを見ると、2020年に『ファイナルファンタジー11』のイメージイラスト担当とある。ほとんど1年に1度、イラストの仕事を引き受けるかどうか……という作家になってしまった。
 何年も前に、京都の精華大学というところで、教員リストの中に名前が載っているところをお見かけした。今でも教職に就いているのかどうかはわからない。大成しないままに、ほぼ引退状態になって教員になられてしまったんだな……というのが残念だ。
 才能ある人がみんな世の中に出て行けるわけではない。世の中の難しさ、厳しさをつくづくと思い知らされる。

 ……そんなことを言っても、私なんて一つの作品が20冊以上売れたことのないダメ作家だから、もっとマイナーなんだけど。


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