4月3日 逆転裁判のシナリオの話
→ファミ通COM:巧舟氏が『逆転裁判』と『大逆転裁判』のシナリオやトリックの作りかたを解説【GCC’18】
漫画制作の忙しさと金欠で、最近の『逆転裁判』はやってないな……。
〈引用〉
「作者と読者のあいだにルールがありさえすれば、どんな世界でも成立するのが本格ミステリです」
〈引用ここまで〉
ノックスの十戒というのがございましてね。
Wikipediaに書いてあるものをそのままコピペすると、
1・犯人は物語の当初に登場していなければならない
2・探偵方法に超自然能力を用いてはならない
3・犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない(一つ以上、とするのは誤訳)
4・未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
5・中国人を登場させてはならない[2]
6・探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
7・変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
8・探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
9・“ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
10・双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない
→Wikipedia:ノックスの十戒
「探偵方法に超自然能力を用いてはならない」「第6感によって事件を解決してはならない」「中国人を登場させてはならない」と、とにかくも超能力や超人的な人間や、そういった現象をミステリで扱ってはならん……とね。
でも、私は別にいいんじゃないかな、と考えている。本格ミステリは「作者と読者の間で情報が共有されていること」が基本ルールだから、超能力でも魔法でも、その超能力が何ができて何が限界なのか、それがちゃんと提示できていれば何ら問題はないでしょう。超能力や魔法が、それ以外のトリックに使われる道具と同じものである、ということが提示できてさえいれば、問題ないでしょう。
こういう「魔法も超能力も」ミステリの道具にしてしまうのは、ある種ゲームシナリオ作家だからなんだろうな、という感じも。なぜなら、ゲームの世界では、魔法でも属性は何々で、威力はどれくらいで、射程距離がどれくらいで、何フレームで消えるのか……という定義付けを明確にするのがゲームの世界。ゲームの世界では、魔法も道具もある意味で一緒で、魔法が特別優れた神通力というわけではない。そういう世界観と接している作家だからこそ、いやゲームというものが存在する時代だからこその発想なのかも知れない。
リアリティの問題は……リアリティというのは難しい話でね。
昔の話だけど、柳田國男さんが裁判所で働いていた頃、そこで面白い事件にでくわしたので、知り合いのリアリティを追い求める小説家に話したんだ(本来は絶対駄目)。ところが小説家はこう言う……「その話にはリアリティがない」と。
物語にとって必要なのは、その物語の中で自己完結できる原理だから、リアリティのレベルはどのくらい必要なのか……。これは難しい問題で、作品ごとに決めていくしかない話だろう。
最近の私は、リアルなものよりもいかにも漫画然としたもののほうが楽しいから好きだったりするけど。
「10・双子はあらかじめ読者に知らせなければならない」……双子ネタはミステリではもう駄目だ。双子が出てきた時点で、「ああ、入れ替わりね」とバレちゃうもの。ミステリに超能力者は出していいけど、双子は出してはいけない。
双子を出すなら、思い切ったネタがないと……例えば綾辻行人の『殺……』とか。
〈引用〉
そのハズレのポイントを調べた際に、「何もない……」、「綺麗な花だ」といった素っ気ないメッセージが表示されるとやる気がなくなってしまうそう。しかし、ハズレのポイントを調べてしまったとしても、小粋な会話が展開されることで、「ほかのポイントも調べてみよう!」とモチベーションにつながるのだという。
〈引用ここまで〉
私が好きな小ネタは、1作目の撮影所で、自動販売機に缶の蕎麦が売っていて「飲むときはガッといってください……と書いてあるわね」の一文。ずっと忘れられない小ネタ。
『逆転裁判』の素晴らしいところはこれ。こういう小さなネタのセンスの良さ。調査シーンに入った時、次に進みそうなアイテムはあえて調べず、調べられるところ全部調べるもの。脚立があったら、真っ先に調べる。
ずいぶん前に発売されたファンブックを読んだけど、ちょっとした対話がやたらと面白い。漫画的とも漫才的とも違う、独特な巧舟節。「巧舟的」以外の何物でもない個性と面白さ。これが好きで、このシリーズを追いかけ続けているんだよなぁ。
続いてシナリオの話……。
どこかで書いていたけど、巧舟さん、毎回制作前に2000枚とか3000枚とかの小説を1本仕上げて(いや、「万枚」って話だったかな?)、それからゲーム用に作り替えていくとか……。これはもう、大変な話だよ。どんだけ速筆なんだろう……。
ただ巧舟さん、ここまでしっかり作り込んだシナリオを書けるのに、不思議なことに「地の文」が書けなくて、それで小説を書かないんだとか。ミステリ小説家になれないから、ゲーム作家になった……才能はどの方向に開花するのかわからん話だ。
〈引用〉
事件の真相を隠すときには、作り手がそのまま隠してしまうと、プレイヤーに気付かれてしまうことがある
〈引用ここまで〉
現代人は物心ついたときから、漫画・アニメ・ゲーム・小説・映画その他に接しているから、勘が良すぎるんだ。作者側が隠した大ネタは、だいたいバレる。大きければ大きいほどバレる。だからいかにミスリードしていくか……という話になってしまう。
これは本当に難しいもので、今の時代、雑誌やテレビといったメディアではなく、素人も物語を書いている。常に何かしらのアイデアが数百数千と秒単位で作られている時代なので、その中で1つ頭抜けた「意外性」を作っていくのは難しい。
下手に作ると凡庸の海に飲み込まれるし、うっかり油断すると「ネタ被り」するし(ネタ被りの危険性は、読者から「盗作認定」される可能性があることだ)、捻り過ぎてグダグダになる場合もあるし……。そういう意味で、現代はヤベー時代といえる。
『逆転裁判』で賢いなぁというのは、2つ。1つめは、もう隠していることを隠さない。「こいつ、なにか隠してるな」というのは、もう見え見え。成歩道君も、だいたい「この人、なにか隠してるな……」とモノローグで言うし。それでムジュンやら証拠品やらを突きつけて、証言させるまでをゲームにしている。
という以前に、犯人はいかにも犯人っぽい風貌をしている。隠す気ゼロ。これがむしろいい。あえて隠さず、「証言を引き出すこと」をゲームのキモにしているところが、このゲームのいいところ。
もう一つは、最初の裁判で真犯人は絶対に法廷に出てこない。隠す隠さない以前に、「まだ出てきていない」から解きようがない。だいたい、1日目の裁判が終わって、その後調査でやっとこさ気になる人物が出てくる。
何作もやっているから、「1日目は何も出てこないな」というのはだいたい察していて、裁判が終わってから、「さあ本番だ」みたいな心構えにもなっているけども。それもこの作品独特のリズム感になっているから好き。
私が未プレイなのは『大逆転裁判2』と『逆転裁判5』の2作。次が出てしまう前に、早く追いかけたいが……。
こちらの記事は、私のブログからの転載です。元記事はこちら→Twitterまとめ【4月】