9月2日 イラストレーターの絵柄を再現する『mimic』から、未来の社会について想像する
8月29日頃の話。
『ミミック(mimic)』というサイトが開設され、このサイトではAIがイラストレーターの「絵柄」を学習し、元絵とそっくりな絵を生成してくれるという。
ほうほう、これは面白そうだ。じゃあ私の絵柄も再現できるかな。私が最近作った絵柄はいわゆるな漫画絵とは違うスタイルのもの。こういう絵も再現できるのかな……まあ「できるもんなら、やってみな」みたいな感じで登録してみたのだけれど……。
なんと作成者が6974人もいて、順番待ち。仕方ない、待とう……と1日、2日と待っていたら……。
なんとサイト自体が閉鎖してしまった。
あっちゃ~こうなったか……。
私がこれを書いている頃というのは9月2日。つい先日まで『mimic』騒動でこちらの界隈がざわざわしていて、連日のようにTwitterのトレンドワードを独占していた。
問題の多くが、このサイトから不正使用が発生するのではないか。絵柄をトレースするのだから、その絵師の「専売特許」を自由に奪って再現できる……というわけだ。その脅威について議論された。
その一方で同じく最近世の中を騒がせている『Midjourney(ミッドジャーニー)』というツールがある。簡単なキーワードを入力すると「それっぽい絵」を瞬時に作成してくれるAIツールだ。このツールさえあれば、もはや絵の発注を画家に頼む必要すらなくなる。
『mimic』にしても『Midjourney』にしても、絵描きにとってとんでもない脅威のツールだ。
よくある批判に、『Midjourney』は騒がれてないのに『mimic』が騒がれている理由がわからない……というのがあるが、『Midjourney』は「どこの誰でもない絵柄」だから、というのがある(海外のツールだから、わめいても無駄……みたいな考えもありそうだ)。その一方で『mimic』はその絵師の専売特許である「絵柄」そのものを奪うことになる。それどころか、『mimic』を悪用すれば、人気絵師の絵を誰でも、それこそ絵なんてまったく描けない人ですらコピー可能になってしまい、下手すると『mimic』によって収入を喪う絵師、それどころか仕事を喪う絵師を大量に生み出す原因になってしまう。
要するに、それくらい「絵柄」というのが絵描きのアイデンティティと結びついている……と認識されていることがわかる。
私が気楽に『mimic』を使おうと思ったのは、私はすでに絵描きを引退した身だから。私の過去絵はnoteでは版権フリーになっており、誰でも使えるようになっている。すでにこだわりを喪っているから、特に脅威とも感じていない……。
しかし現職の絵描きにとっては面倒なツールというのも理解できる。
これを書いている時間軸では『mimic』騒動の直後なのだけど、ブログに掲載される頃は10月……みんな忘れかけている頃だろうから、ちょっと落ち着いた視点で、現在言われているAIやロボットの問題について掘り下げてみることにしよう。
まずMidjourneyとmimicのURLをおいておきますね。
Midjourney
mimic
まず大前提から、私たちがいったいどういう社会の上に立っているか……というところから始めましょうね。
私達の社会は「高度工業化社会」と言われている。いや、「高度」を頭に付けているのは私だけなんだけどね。この「工業化社会」がいつ頃はじまったのか、というと1840年、イギリスをはじめとする「産業革命」である。私たちはその「産業革命」以後の時代にいる。
世の中の「社会構造」というのはこの産業革命を起点としていて、例えば「義務教育」というものも産業革命が切っ掛けに生まれた。というのも、工場労働というのは長時間単純作業という超ストレス仕事だから、その以前の人々では仕事を続けることができなかった。そこで、工業化社会にとって都合の良い人材を作る目的で作られた制度が「義務教育」だった。
日本も明治以降、欧米諸国に倣って社会構築したわけだけど、どんな社会を模範としたのか……というと工業化社会。だから日本でも義務教育というものがあって、あちこちに工場があって、私たちはその工場で生産された均一なモノを当たり前のように消費している。
工業化社会というものがどんなものであるのか。まずその以前の社会を見てみよう。その以前は手工産業社会と呼ばれ、特別な才能を持った人が、充分な修行の末、やっと仕事が得られる社会だった。要するに「職人」と呼ばれる人たちで、職人は均質なモノを作れるように感覚を徹底的に研ぎ澄まされた人で、職人になるためには修行が必要だったので、どこの街にも何百人もいる……というわけにはいかなかった。
工業化社会の有利な点というのは、どんな人でも平等に職を得ることができて、平等に賃金が得ることができて、平等に均質なモノを消費できるという社会だった。
代償としてあったのは長時間単純労働作業。現代人は週5日から6日、一日8時間仕事する……ということが世界的に当たり前になっているが、これは工業化社会以後の話。その以前の手工産業時代はそんなに働いてなかった。1日5~6時間程度だったし「今日は調子が良くないや」といって気まぐれに休むこともあった。私たちはいつの間にか、ストレスマックスな労働環境を当たり前のように受け入れるようになってしまっていた。
いま私たちが直面している危機は、この高度工業化社会が終了する……危機である。
Netflixドキュメンタリーに『アメリカン・ファクトリー』という優れた作品があるので、そちらを見てほしいのだが、まだ見ていない……、という人にためにここであらすじを結末まで解説してしまおう。
舞台はとあるアメリカの街。その街には以前自動車工場があったのだが、その工場が閉鎖してしまったために1万人に及ぶ失業者を出してしまった。
はい、ここで「失業したんだったら別の仕事すればいいでしょ」って思ったでしょ。でも1万人の失業者をただちに別の仕事につけさせる……なんてことは不可能。世の中にはそんな数の求人はない。街は1万人の失業者を抱えて、しかも再就職させるだけの産業がない……という問題に直面してしまった。
そこにやってきたのが中国資本の工場。街の人たちは「働く場ができた!」と大喜びでその工場へ働きに行く。
しかしそこは中国資本の工場だから、“中国式”の労働環境。今まで以上に長時間単純労働で賃金は低い。しかも中国人が指揮するようになったのだが、中国人達は平気で危険な働き方を要求してくる。
間もなく怪我人や脱落者が出るようになり、労働者達は改善待遇を求めてストライキを起こすようになった。
それでオチはどうなったかというと……。
工場の経営主は反抗的なアメリカ人労働者のクビを切って、その代わりにロボットを導入したのだった。
ギャグじゃないよ。マジな話。邪魔な労働者をどんどん切り捨てて、その代わりにロボットを入れてしまった。
結局街は、数千人の失業者を抱えたまま、この問題は解消されないのだった……。
『アメリカン・ファクトリー』というドキュメンタリーでは、アメリカに中国資本の工場がやってきた……という特殊状況によってこんな状況が生まれてしまったが、これはこの工場だけに限った話ではない。
よくよく考えてみよう。人間なんて面倒なものを入れるより、ロボットを入れる方がはるかに効率が良い。ロボットを入れた方がコストパフォーマンス的にお安く済む。人間よりロボット導入のほうがスマートなやり方だ……と世界中の経営者がこのように考えたら、世の中どうなるか? というより、そういう社会に世の中が変わりつつある。
企業というのは「ボランティア企業」ではない。利益追求団体である。企業が利益を追求するのは動物的本能であり、そのためにより儲け率の高い稼ぎ方をしよう……と考えたら、人間なんて面倒なものを切り捨てて、ロボットを入れたほうが良い……少しでも頭がいい人なら絶対にこう考えるはずだ。ホリエモンだったらそう考えるはずだ。
すると社会的にはどうなるか? 経済の面から話をしよう。雇用主は人を雇い、賃金を払って働かせる。雇われた人はそこで賃金を得て、店に出ている商品を買う。こうやって経済は回るようにできている。ところがロボットを入れてしまうと、「あれ? 商品を作っても買う人がいないぞ?」という問題に直面してしまう。
さらに工業化社会というのは誰もが平等に働くことができて、平等に賃金を得ることができて、平等に均質なモノを手に入れられる社会だったはず。ロボットで人間の働く場が失われると、この大前提が崩壊する。
こういう社会にいま待ったなしで進もうとしている。
しかし、繰り返すが企業はボランティア団体ではない。利益追求が企業の本能だ。より利益効率を目指して人間よりロボットを入れるのは、企業的には正しい判断だといえる。「あれ? 買う人がいないぞ?」なんて深いことまで考える経営者はこの世にはいない。
その結果としてどんな問題が起きるのか……というのは政府が考えるべきことであって、政府はそういう社会になったときどのように国民を守っていくかを考えていかねばならない。日本政府や官僚にそれだけのことを考えられるのかどうか知らんけど。
すると私たち社会の大前提も変えなければならない局面にやってくる。例えば「義務教育」はそもそも工場労働において都合の良い人材を作ることを目的としていた。その役割がなくなってしまうことになる。工場労働者育成のために人を育てたとしても、就職先がまるっきりない……ということになる。それじゃ学校教育は今のままでいいのか……という問いが生まれる。
世の中は「働ける人」と「働けない人」の区別が生まれてしまう。これを「自己責任だ」とか言っている場合ではない。人口に対して働ける場所が限られてしまうという状況が生まれるのだ。手工産業時代への逆戻りだ。この問題をどう解消するのか?
現在の社会はロボット導入によって否応なく崩壊していくし、ロボット社会を受け入れるために新しい社会を再構築していかなければならない。しかし私たちは、その社会が「いいか・悪いか」くらいのことしか考えることができず、思考の準備ができていないのだ。
これを解決する妙案があるとしたら「ベーシックインカム」。全ての国民に一定額の生活費を保証する制度だ。他にいいアイデアがあるっていうんなら教えてくれ。
他にいいアイデアはあることにはあるけれども、書いたら確実に炎上する内容なので、ここから先はブログ版のみの反転文字とする。
《ブログ版のみ》
もしも一定額の給付金が保証されていて、働かなくていい社会になったらどうなるのか? 多くの人が予想するように、大抵の人は最初は「やったー! 遊んで暮らせるぞー」と思うことだろう。しかし次第にある問題に直面するようになってくる。
ある問題とは、「俺はいったいなんなんだろうか……?」という自己規定の問題である。人は社会というものがあって、その社会に対して自分はどういう人間であるのか、社会に対してどのような役割を持っているのか。こういうところから人は「私」が何者であるかを認識するようになっていく。ベーシックインカムの暮らしになると、この自己規定ができない状態になっていく。
(思春期の子供たちがこの自己規定の問題に悩むのは、「社会と自分」という関係性を作れていないからだ。こういう子供たちはだいたいは大人になって、社会とも結びつきができるとともに、悩みは解消される。しかしベーシックインカムの社会になると、永久に「社会と自分」という結びつきが作れない問題が生じる)
確かに生きているけれど、自分が何者かわからない……この状態に耐えられる人間はこの世にいない。こういうところから凶悪な犯罪者が生まれる切っ掛けとなる。
私は最近、たまたま『タクシードライバー』という映画を観たのだが、この映画がそれを描いた作品だった。ベトナム戦争帰還兵で、自分の居場所が社会にない。タクシーの仕事を得られたが、それだけであって誰とも関係を築けていない。どうにもならない孤独……。一度はいい関係になりかけた女性がいるのだけど、こっぴどくフラれて、それを切っ掛けにその女性が支援していた政治家を暗殺してやろうという計画を立てるようになっていく。
要するに、「死刑になりたくて凶悪犯罪を犯した」というタイプの、「無敵の人」になっていくお話だった。ベーシックインカムの時代に入っていくと、「働かなくていい楽園」ではなく、こういう人間を次から次へと生み出してしまう……という問題に頭を抱えなければならない。
しかも、運良くいい仕事に恵まれた人は、こういう「問題を抱える人間」をどのように考えていいかわからない。そういった状況に陥った経験が人生にない人は、そういう人間の心理がこの世にあるということを想像すらできない。特にいい家庭に生まれた一般よりステータスの高い人はよりわからない。私は作家だから想像力で補うことはできるけれど、普通の人はそこまでの想像力を持ち得ないからわからない。こういうところで、心理的な格差もきっと生まれるだろう。
今たまたま見ているドキュメンタリーに『世界の麻薬王 その光と闇』があるのだが、麻薬王はメキシコやコロンビア、パナマというところから生まれやすい。どうしてこういう国で麻薬王が生まれやすいのか……というと産業がないから。全ての人が平等に働けて、平等に富が得られる社会がもしもあったとしたら、「麻薬密売」なんてリスキーな仕事、誰がやりたがりますか。そもそもメキシコやコロンビアに全国民が働けるほどの産業がない、ということが原因になっている。
そのメキシコやコロンビアの麻薬王達の主たる取引先はどこかというとアメリカ。なぜアメリカか、というと豊かな国だから。国ごとの格差社会が生まれると、こういう裏社会的な産業が生まれやすい。
で、麻薬王になった人たちは儲けたお金でどうするかというと、ただひたすらに私腹を肥やしていく……という人もいるのだけど、ある麻薬王は地元に金を貢いでしまう。地元のボロボロだった道路を整備して、駅、学校、病院を作り、住民に結婚するという人がいると盛大に祝う。だから麻薬王と地元住民との結びつきが強く、警察が捜査にやってきても地元住民たちが麻薬王をかばう……という構図が生まれてしまう。そういう実例は結構ある。
本来、こういうインフラ整備は国がやるべきものだった。ところが国にはその金がない。そこでアメリカを売り手市場にして儲けた麻薬王が、国に変わってインフラ整備をする……という図式になってしまう。ある意味、アメリカの富でインフラ整備した……みたいな状況になっている。メキシコ人やコロンビア人にもその自覚があるから、麻薬王を「ねずみ小僧」的に崇拝しはじめてしまう。事実、メキシコの麻薬王エル・チャポは地元で英雄扱いされている。
こういう状況が生まれるのも、社会に国民全員を働かせるだけの産業がないから起きてしまうから。もしもベーシックインカム時代が来たとしても、社会との結びつきが浅いと、そこから犯罪組織を生み出す可能性が強くなっていく。「仕事」というものが、一部のいい家庭、いい教育に恵まれた人でしか得られないものになっていくと、やはりこういう犯罪組織は生まれやすくなっていく。国内に充分な産業がなく、犯罪組織に入った方がより儲けが出せる……みたいな状況になると、そういう状況に陥りやすい。
麻薬王にありがちなプロフィールだが、彼らはめちゃくちゃに頭が良い。高学歴の麻薬捜査官の裏を何度もかいて、捜査の手を逃れている。頭が良いが、麻薬王達の生い立ちは、みんな貧しくまともな教育も受けられていない。そういう、本来なら優秀な仕事に就けるはずの頭脳の持ち主を、単に「生まれがよくない」という理由だけで社会との接点を外したらどうなるか……。彼らが出世先は裏社会、ということになっていく。麻薬王になった人たちだって、まっとうな社会との接点が最初からあったら、犯罪者にならずに済んだはずだ。
そう考えると、ベーシックインカム時代はなにもかもがハッピーというわけにはいかないのだ。次に出てくるのは目に見えない「精神」の問題だ。これをどこまで認識できるか……に未来社会の秩序構築に必要になってくる。
特に「人と社会の接しかた」の問題について、考えている人は非常に非常に少ない。今でもすでに、人と社会を切り離したがゆえに、凶悪犯罪は一杯起きているのに、それでも考える人は少ない。それが現代人の思考力の限界によって発生しちゃっている問題だ。
私はその突破口として考えられるのは「遊び」とした。「遊び」によって社会を築き、自己を認識していく……という考え方だ。
すでにそういう社会に片足を突っ込み始めている。それが「YouTuber」たちだ。YouTuberたちは遊びで社会と結びつきを作り、注目を集めてそれだけで生活ができるようになっている。すでに「遊び」によって社会と関係性を築き、自己規定していく……という社会に入っている。
「遊び」の話をすると、私たちのような人間が考える「遊び」と、一般人が考える「遊び」との間で大きな隔たりが生まれる。
私が考える「遊び」というのは「生み出すこと」にある。絵を描いたり、物語を書いたり、新しい玩具を考えたり、新しい考えを提唱したり……こういうものが私たちの言う「遊び」だ。
一般人が考えがちな「遊び」とは「消費」のこと。ほとんどのYouTuberたちがやっていることも、言ってしまえば「消費」のほう。「お店で売っているものでこんな遊びを思いつきました~」って、うん、面白いこと考えたね、でもそのモノは自分で作ったモノじゃないでしょ……というのが私たちの視点。ほとんどのYouTuberがやっていることは、誰かの掌の上でしかないんだ(ゲーム実況もそうだね。ただの消費でしかない)。
「遊び」の中でも「制作者」と「消費者」がいる。今は目立ちたがりの「消費者」のほうが注目されているけど、消費者が制作者の上に立つことは絶対にない。制作者と消費者の間にある格差は絶対に消えない。制作者は尊敬されてしかるべきだし、高い賃金を得てしかるべきだ……そう考えるのが自然だろう。
(悲しい事実だが、「制作者」と「消費者」を比較すると、圧倒的に消費者のほうが顔立ちが綺麗な人が多いんだ。すると顔立ちが綺麗な人に、大多数の目線が集中する。これで消費者のほうが注目されやすい……という状況が生まれる。もしも私が動画なんか作ったとしても、顔と声が悪いから誰も見ないでしょうよ。そういうこと。だから私はいまだにこうやって、誰も読まねーような長文書いてるんだよ)
それに制作者のほうが仕事を奪われる可能性が低い。制作者になるためには、想像力と技術の両方が必要になる。それは生まれ持っての資質と、何年にもわたる修行が必要になってくる。制作者の立場は絶対にぐらつかない。制作者の世界は今でも「手工産業時代」のままなのだ。だからこそ、「遊び」を極めるなら「制作者・生産者」を目指したほうがよい……と私は考えていた。
さあ、やっと辿り着いたよ、今回の問題。もしもベーシックインカムの時代が来ても、「制作者」であり続ければ立場は盤石……というわけにはいかない。それを全力で脅かしに来ているのがAIだ。
いや、もう、何が面白くて絵描きの仕事を奪いに来てるんだよ……。とは思うが、エンジニアからしてみれば、工場で人間の労働の代わりをするロボット……なんて地味なものではなく、絵画という創作性が必要なものの代わりをするAIを発表した方が注目を浴びる……と考えるはずだ。
AIにはいろんな活用法が考えられている。私たちの生活をよりよくアシストするもの……としてなら誰もが歓迎するだろう。ところが出てくるのは、制作者の立場を脅かすようなAIばかり……。どうしてこうなるのか、というとそういうものを作って発表した方が、注目されるから。
世の中のエンジニアと呼ばれる人だって、注目されたい。一山当てたいと思ってる。そこで企業向けに、地味な作業アシストなんか発表して、誰が注目しますか。誰がちやほやしてくれますか。特別な人にしかできないと思われていた、絵画や音楽というものを独力で創造するAIを発表した方が、みんな注目するでしょう。今回『mimic』騒動にしても、現在はサイトが閉鎖されちゃったけれど、「注目を浴びた」「みんなが話題にした」という初期目標は100%で達成できた。「してやったり」だ。
このブログで繰り返し話題にしていることの一つに、「人間の認知能力はさほど高くない」というものがある。どれくらい高くないかというと、高学歴・高収入の人たちは低学歴・定収入がどんな気持ちであるか想像できない。それどころか「自己責任だ」とまで考えている。逆に低学歴・定収入の人たちは高学歴・高収入の人たちの気持ちが想像できない。人間は学歴の高い・低いに限らず認知能力には限界があって、自分のごく周囲の社会からそれ以上の範囲について考えることはできないようになっている。ある程度外の社会について考えると、あっという間に抽象化してしまう。今時の人はよく国家がどうこう……という話をするんだけど、その国家もたいていは抽象化されまくったイメージでしかなく、意見を聞いていてもさほど国家という実体について考えられてないな……という印象はある。
何年か前に、パソコンの知識のない老人達に、法外な金でパソコンを買わせ、さらにインターネット回線も法外な金で契約させる……という問題が起きた。どうしてそんなことをやったのか……というとこれも認知能力の低さによるもの。それで被害者がどうなるのか、それで後々自分たちにどんなしっぺ返しが来るのか……という想像ができない人が、こういう悪どいことをやり始める。
で、こういう悪どいことをやりはじめるのは、たいていパソコンに精通した人たちだ。「法律にさえ触れなかったら、多少悪いことでもこうやったらより儲かるじゃん」……要するにホリエモンタイプの人たちだよね。
ぶっちゃけエンジニアと呼ばれる人は、こう考える人は多い。だって現実問題よりも理屈で考えたほうを優先してしまうから。そう考えがちになってしまうのは、人よりもコンピューターと向き合っている時間が圧倒的に長い人たちだから。確かにそうかもしれないけど、現実問題、そういうわけにはいかんだろ……ということを考えられないタイプが多い。
そうでなければ、「コンプガチャ」みたいなクソみたいな商売法なんて普通考えつかないよ。考えついたところで、良心があれば「やめておこう」と考えるはず。そういうネジが抜けちゃっているタイプがエンジニアには多い。
で、こういう「とにかくも世間から注目されたい」という人々が、「絵描きが失業しようが知ったことか」でこういうシステムを発表してしまう。そのシステムが世の中の誰が失業するか……なんて考えない。いっそ考えない方が、新しいシステムは生まれやすい。
自動運転システムが今より完全な形になったら、トラック輸送、バス運転手、タクシーはこの世から消える。ぜんぶ自動運転が代わりをやってくれる。それは非常に便利なシステムで、「運転手」という過酷な労働から人を解放するけれど、それで収入を得ていた人を失業させる。
(絵描きAIを作っている人も、建前として絵描きから過酷な「絵描きという労働」から解放する……と語っている。AIエンジニアはとにかくも「解放する」という言葉を好んで使う)
「だったら別の仕事をやれば良いじゃん」と思ったでしょ。再就職先がもはやないかもしれない……が間もなくやってくる未来の恐怖なんだよ。そんな未来も、エンジニアたちの、「運転手の仕事なんか知ったことか」という感覚から生まれる。それで失業する人が出たとしても、「知らんがな」だ。エンジニアは別に人のため世のためではなく、「自分が注目されたい」でシステムを考案する。
でも実現できれば私たちは新しい未来へと到達する。さあ、私たちはどっちを取る? いや選択する必要はない。もう答えは出ている。未来は待ったなしで私たちの社会に入り込んでくる。私たちは必ず「便利な方」を取る。だってそれが人間の本能だもの。
人間の代わりに絵画や音楽を作り上げるAIがある。それで絵描きや音楽家が失業する。そんなことは知ったことか。絵が描けない人にとっては、絵師にお金を払うことなく、無料で好みのタッチの絵を手に入れることができる。こんな便利なシステム、ほとんどの人々は欲しがるに決まってるでしょ。
ただし――だ。
思うことが3つ。
1つ目は『Midjourney』にしても『mimic』にしても、作るものを正確にコントロールできるわけではない……という問題が存在する。
例えば漫画を制作していて、「ここでキャラクターの振り向きが欲しい」と思っても、AIに指定してもバッチリ描いてくれるわけではない。ゲームを制作していて、「こういうトーンのイメージ画がほしい」と思っても、やはりAIは指定した通りの絵を完璧に出してくれるわけではない。やはり人間のほうが、より正確に、ほしいものを出してくれる。
『Midjourney』で制作した漫画を読んだのだけど、どうやって制作したのかというと、『Midjourney』に思いつくままに大量に絵を生産してもらって、そこから使えるものをピックアップして、一つの連なっているように物語を作った……というものだった。
作家側が「こういう物語を作りたい」と考えて作ったものではない。その作家の他の作品も見てみたけれども、これまで作ったものと関連性がまったくなさすぎる。もはや「その作家の作品」とは見なせないようなものだった。
というのも、その作家らしさがどこにも現れていない。作家の人間性が出てきていない。『Midjourney』を使えば絵はリッチなものができるけれども、そこに情や温もりは一切ない。誰が作っても『Midjourney』だ。そういうものが果たして「創作」といえるのか。
もしも『Midjourney』を活用して、ある程度大きな作品を作ろう……とすると、作品は作り手の思う方向ではなく、ただひたすらに『Midjourney』が生み出すものに振り回されることになっていく。「こういう構想はなかったけれども、『Midjourney』がそういうものを作っちゃったからそういう方向性で行くか」みたいになっていく。
こういうものはやっぱり「創造」とは言わない。こういったものが絵描きの重要な仕事を奪うとは、とても考えにくい。
もう一つは、AIが絵描きの仕事を「奪う」という方向性ではなく、「アシスト」という方向性に向かってくれれば私は歓迎だ。
例えば絵を描き始めるはじめの段階……というのはなかなか気分が乗らないものだ。自分がいったいどういった絵を描こうとしているのか、その方向性が掴めない。この「掴めない」という間は非常にストレスがかかるのが絵描きだ。
その絵に相応しいモチーフとは、デッサン的整合性をどうまとめるのか。これをAIでパッと出してくれるとありがたい。
だいたいのラフができあがってきて、絵の完成形が見えた瞬間が絵描きにとって「乗ってくる」瞬間だ。ここからの作業が楽しくなってくる。
ここまでの面倒な過程をすっ飛ばしてくれることができるなら、ありがたい。
それから、「作業的」になりがちなポイントもAIが代わりにやってくれれば……。私の場合、キャラクターの細かい光や質感を再現するのに、異様なほど時間をかける。3~4日くらいかかる。時間にして30時間くらい。毎回1枚の絵を仕上げるまでの間にヘトヘトになっている。私の絵で背景が描かれていない理由は、「背景が構想できない」のではなく、キャラクターを描いた時点でヘトヘトになるからだった(だから私の絵って実は未完成だったんだよね。1枚も完成させられなかった。ちゃんと「絵になっている」絵が1枚もない)。これが私が「もう絵は続けられない」と考えた理由だった。あと金にならん、ということも。
(アニメだったら、ラフ原画をパッと仕上げ済みの動画に変えることができれば、アニメーターは非常に楽をできる)
構想から仕上がりまで、アシストして面倒な過程をスキップする。これができれば、絵の生産数は増えて、絵描きはより儲かることができる。AIがこういう方向性に向かってくれれば歓迎だけど……。システムを作る側がそう考えてくれるか、がまず問題。彼らは絵描きのことを思ってシステムを作っているのではなく、「絵柄を真似るAIを作って有名になりたい!」という想いでシステムを作っているだけに過ぎないのだから。
(アニメの現場の話をすると、アニメがデジタル化して以降、アニメに携わる人たちは作業の効率化によって多くの恩恵を得ることができた。その一つが「仕上げ」。かつてはセル画に色を付ける作業は絵具を用いていたが、今は絵具を使う必要がない。デジタル上でワンクリックで色を付けられるようになった。こんなふうに恩恵を得てきたのだが、一つ、その恩恵から取り残されたセクションが存在する。それがアニメーターだ。なぜ動画マンが薄給なのか……それはデジタル化の恩恵を何も受けることができなかったからだ。AIアシストが充実していけば、今まで得られなかった恩恵を大きく受けることができるようになる。AIは果たしてその方向に進むだろうか……)
しかしこの方向にAIが向き出してくると、また別の問題が現れてくる。それは本当に絵描きの実力なのか? という問いだ。AIにパースアシスト、デッサンアシストをしてもらうとして、そうやって作った絵は本当にその絵師の実力の産物か? むしろアシストされることで、より「絵柄」がテンプレート的になっていく可能性だってある。なぜならAIは新しい何かを提唱することは絶対にないわけだから。そんなアシストに頼れば頼るほど、絵師は実力が付かなくなっていく。
可能であれば、その描き手が持っていると思われるデッサン力を超えないこと。でもそこまでいい按配のAIなんてさすがに無理、か……。
3つ目。これは思いつきだが、絵描きが「制作者」としての魅力を今後も発揮していく方法が一つある。それは「パーソナリティ」を出していくことだ。
大多数の人は、企業がポンと出してきた絵に対して、特別な愛着を持つことはほとんどない。キャラクターに対して愛着を持つことはあるが、そこに「描き手」を認識することはほとんどない。大多数の人は1枚の絵を見ても、判断するのは「好きか嫌いか」であって、技術問題ではない。
すでに書いたように、人間の認知能力には限界があるから、人はお店で置かれている商品から、その作り手がどういう存在なのかを想像することができない。そこは認知外の領域になっている。こういうものでも認知能力は関係してしまっている。
私は元絵描きだから、1枚の絵を見ると、「ああ頑張ったな」とすぐに察する。どういう苦労があって1枚の絵が構築されているか、知っているからだ。こういうのはすぐにわかるし、時には1枚の絵から描き手の深層心理が見えてしまうこともある。こういう感慨を、ごく普通の人に感じてもらうためにはどうしたらいいか。
(未来の世界、熟練の絵描きよりも、AIツールをうまく使える人……のほうが就職で有利になっていくかも知れない。1枚の絵を見て、どんな苦労があったのか想像できず、1枚の絵から描き手の深層心理も読めないようなAIの使い手がプロになっていく……。なかなかのディストピアだが、そういう時代も来るだろう。なんなら発注する側もそういうのがわからない人が増えていくだろうから)
一方、YouTuberに対しては人々はパーソナリティを感じている。どういう顔の人が、どういう人柄で、その遊びをやっているのか……ということがわかるからだ。つまり、その行動が面白いという以上に、それをやっている「人格」が好きだから動画を見ている……という部分が結構ある。
だから絵描きをやっている人は、とりあえずYouTubeで描いている過程を出しちゃった方が絶対に良い。絵が好きか嫌いか、絵が上手いか下手か……という価値判断を超えてその絵からパーソナリティを感じてもらうためには、絵を描いている過程をそのまま見せて、さらに絵ができあがっていく過程を語ったりしたらもっといい。ただ「その絵を描いている人がいる」ということ自体を見せれば、それで充分だ。その絵を描いている人間がいるという存在を見せること――これがAIには絶対にできないことだ。
間違いなくその人間が絵を描いている……その証を見せれば、「制作者」としての絵描きとしての立場は今後も喪われないだろう。
そういうわけで作り手側も、制作者の顔を隠すのではなく、どんどん出していった方がいい。こういう人間ですよ、と見せたほうがいい。パーソナリティがわかる人の作品のほうが、愛着は確実に沸くからだ。
何かしらの商品を買うとき、人は商品そのものの価値と、描き手への愛着を同時に見て買う。例えば、なにかしらのアイドルが、技術ゼロのしょーもない作品を作ったとしても、ファン達は喜んで買う。これはアイドルに対するパーソナリティへの愛着があるからだ。一般の商品(ゲームでもアニメでも)ほとんどの人はパーソナリティへの愛着はゼロの状態で買う。ほとんど商品そのもので勝負している状態だ。「商品そのもので勝負している」というのは作り手としても「挑戦」だが、非常に不利な戦いをやってしまっている。だからこそ作り手のパーソナリティは公開していったほうがいい。
未来は1人1人が意思を持って選ばれるのではなく、「いつの間にか選ばれてしまうもの」だ。そして人はどうしても「便利なもの」「楽なもの」「効率が良いもの」を選んでしまう。だって私たちはいつも現状に対して不満を持っているから。それに理性的に考えれば、より便利なものを選ぶに決まっている。その現状を解消してくれるという期待感があるなら、私たちはそれを選んでしまう。そうやって新しい未来がやってくる。
例えばAmazon。私もAmazonが出始めた最初の頃……というのはなんとなくAmazon怖い、と思っていた。漠然とした不安があった。でも今やAmazonのない生活は考えられないくらい活用してしまっている。
それでどうなったか? 現実にある店がどんどん衰退を始めてしまった。
どこの地域にもある図式として、まず「商店街」というものがあったのだが、それが一つの大型店舗の出現によって衰退した。次なる変化がAmazonだ。人々はAmazonという圧倒的に便利なものを利用するようになったので、今度は大型店舗の衰退が始まった。アメリカでは大型ショッピングモールがどんどん閉鎖し、日本でもイオンなどの大型店舗が苦境に立たされている。その結果として、商店街も大型店舗もボロボロになって、地域経済の地盤沈下が起きる……という現象すら起こしている。Amazonという便利な物によって人々はより貧しくなるという現象が現実として起きている。
こうやって私たちは、どんどん便利なもの、便利なものに引き寄せられてしまっている。それによって現実にどんな弊害が出るか……わかっていてもAmazonという便利なサービスをやめることができない。私たちは「Amazonを利用する」という今の生活をすでに選択してしまっている。次なる「さらに便利な生活」を選択しない理由はない。最初はなんとなく怖いと思っていても、便利とわかるとすぐにそれなしの生活が考えられなくなっているはずだ。
それを選択する時代が、いま私たちの前にやってきている。この選択によって、現在の高度工業化社会は終了する。私たちはこれ以後の社会を新たに構築する必要性に迫られている。さて、どうする? 意思を持ってむしろ進んで破壊させ、新たな社会を構築するか。それともなんとなくで便利さに引き寄せられ、後に何も残らない状況を目にするのか。それくらいは考えるべきだろう。
追記 10月7日
ここまでの内容を書いた後、1ヶ月ほどが過ぎて、世の中は落ち着いてmimicの存在も忘れるかな……と思っていたが、話は逆で、この手のAIが「絵を描き起こすサービス」はあちこちに生まれた。
それで、私もいくつかアカウントを取って試してみたのだけど……。なぜか私が使ってもまったく動かない。何を入力してもエラーが出てしまう。いったいなぜ??
(漫画のネームを放り込んでみたらどうなるか試してみたかったんだ。AIは漫画のネームからどれだけ仕上がりイメージに近いものを作ってくれるか……)
そういうわけで、世間に出ているAIツールがなにひとつ試せていない。
それで、AIツールを使用している人のTwitterなどをいくつか読んでいると、絵描きがザックリしたラフを描いてAIに放り込むと、そこそこ絵を描き上げて戻してくれるそうだ。
そこからさらに絵描きが細かな修正を入れて、さらにAIに放り込むと、最終的な仕上げをやってくれる……。
私が本文中に書いた、「AIによる絵画アシスト」はすでに実現しているようだ。
AIがアシストするものであれば、許容できるかな……という気はする。
ただ、AIの究極の課題は「0を1にすることはできない」だ。AIにたくさんの絵を学ばせ、再現させることはできる。しかし新しいスタイルがそこから生まれることはない。
これを書いている最近の話をすると「novelAI」というのが話題になっているが、この「novelAI」で書かれた絵……というのはみーんなどこかで見たもの。どこかで見たスタイルに、どこかで見たような構図。要するにAIは過去に書かれた絵の再生産しかできない。「創造ができない」のがAIの究極弱点というのは、今時点ではなく、これからも変わらないだろう。
そうするとどんなタイプの作家が駆逐されるのか……というと、例えば「小説家になろう」で異世界転生もの小説を書いている人。すでにあるテンプレートで、どこかが書いたものとそっくりなものを再生産しているだけの作家。こういうタイプはものすごい勢い淘汰される。
いきなり小説の話をしたが、イラストも同じで、すでにあるテンプレート的なスタイルで、どこかの誰かが書いたような絵を再生産しているだけの絵描きはあっという間に淘汰される。
しかし話は矛盾するが、「修業時代」というのはどこかの誰かが書いたものを真似するところから始まる。師匠の作品を「真似る」というプロセスなしで、いきなり独創の創作が生まれるわけがない。
でも人々の認識は、芸術の歴史がそうだったように、極端に「独創」を求める傾向に傾いて、本来あるべき「修行」すらも否定するようになっていくかもしれない。特に、創作に無縁で消費するだけの素人は、「修行」の重要性を軽視しがちになる。一般人はエンタメの作り手になる以前に、「修行」という重要プロセスが必要……ということを知らない。
話は脱線したが、AIアシストはなかなか有効に思えたが、しかし現時点で「スタイル」の指定はできない。ラフをAIに読み込ませてある程度完成させたものを作らせると、返ってくるのはどこかで見た……という絵になってしまう。
さらに仕上げも、完成ポイントをどこにするか……ということも指定できない。AIにあまりにも頼りすぎると、みんながみんな同じような絵になってしまう。そういうAIの弱点は今時点も、これからもずっと変わらないんだろう。AIに頼りすぎると新しいものは今後生まれなくなる……そこを考えておくべきだろう。